自分を水戸の沼にハマらせた、『あの人』は、今。
どうも。水戸サポーターのいしまさと申します。
ブログは他所でちょいちょい書いてますが、noteははじめて書きます。
せっかくの機会なので、自己紹介代わりに、水戸ホーリーホックにはまった時の話をします。その時の心情を記すのが自分の応援スタンスを語るのに一番都合がいいので。
なお、水戸を知った時の話は↓にまとめています。
物語は、自分な水戸を見始めた翌年の2005年、水戸市内の高校に通っていた時です。
なんせ今から17年前の話なんで、記憶違いがあったらごめんなさい(試合関係は裏とってありますが)。
その日は祝日。でも自分は高校野球応援(夏だけ結成される応援委員のメンバーでした)の練習と準備のために登校していました。午前中で準備を終えて、みんなとお昼食べたあと帰宅、、するところ、この日は同じ方面に帰宅する友達がいなかった(当時自分の街から母校に通学する人は相当稀だった)ので、通常駅までバスで15分(と書いてしまうと地元民ならなんとなくどこの高校か察しがついてしまう)のところ、あえて徒歩で駅に向かうことに。この時点でちょっと変な奴認定。
弁解させてもらうと、この時期から歩くことの楽しさに目覚めまして。バスの定期は買ってあるけどわざと区間を短くして買って節約し、その分歩きながら、ラジオを聴きながら登下校していたのです。ますます変な奴だ。
ただ、大工町という歓楽街に出入りするような不健全な学生でもなく、水戸の109的ポジションだったサントピアは閉店済で、途中にあるデパートに行って先生に出くわそうものなら事情聴取が待っています。時間はあるが、駅に行くのにぶらつく場所は意外と限られる。素直に大通りを歩くのもいいんですが、この日はちょっと刺激が欲しい、と一本裏の通りを歩いていました。
この裏通りにNHK水戸放送局の建物がありました。全然意識してなかった。
通りに面しているテレビ画面をのぞいてみてみると。
あれ。。。
水戸の試合中継やってる???
そうなんです。
茨城県には今も昔も民放のテレビ局がありません。
そこで、NHK水戸が2004年から茨城県域のデジタル放送を始めたのです。NHK的にはどうもデジタル放送の実験局的な位置づけだったらしい。後から知ったことだけど。
このことから、このころのNHK水戸は水戸ホーリーホックの試合をちょいちょい中継してくれていました。(普通2005年前後のスポーツ映像ってハイビジョンじゃないことが多いんですが、水戸関係で大洗キャンプの砂浜ダッシュなどハイビジョン素材がたんまり残っているのはこのため)ただ実家のテレビはまだアナログだったので、見れなかった。当時見られる人たちが相当うらやましかったなぁ。
そんなこともあり、実家で見られない水戸の試合に街頭で釘付けになって見ていました。そのまなざしは戦後すぐの力道山の試合を見ているぐらいの熱量で。
すると。中から手招きする女性の姿が見えました。この人が自分の運命を変えるのです。
入っていいことを確認して局内に入ると、パブリックブーイングと告知はされていないにしろ、100インチ近い画面の前に椅子が並べられ、数人が試合映像を見つめていました。
「ホーリーホック、好きなの?」
椅子に座るや否や、その女性は自分に語り掛けます。失礼ながら、見た目40歳代ほどでしょうか。その女性はハンドルネームで、「ちゃーちゃん」と名乗りました。
好きというか、ちょっと興味があって、、、と答えると。
ちゃーちゃん(以下、ち)「これ、見て!」
とバックから何かを差し出しました。恐る恐るのぞき込む。
と。
何やら小学生と思しき写真。
ち「これ、大和田君が小学生の時の写真なの!!!」
僕「?????????」
初対面の自分に、いきなり選手の子供時代の写真を見せびらかす、ちゃーちゃん。正直、さっぱり理解できません。
ち「どう??かわいいでしょ!!!???」
押し売りされるがごとく、
「かわいいでしょ?」
といきなり聞かれましても、「はい、かわいいです」としか言いようがありません。
しかも。
ち「この子が岩舘くんで~、この子が〇〇くんが8歳の時ので~~~~」
止まらない。
しかも何人も出てくる。選手の子ども時代の写真コレクションが。
ここで自分は心の中で悟りだすのです。
「この人、、、確実に、、どうかしてる、、、、、」
一瞬、ヤバさを察知して、何とかこの場から立ち去る方法はないものかと考えました。でも、ちゃーちゃんは話すのをやめようとしません。というか、子供時代からプライベートまで、やたらと選手事情に詳しい。
ち「たぶんこの子(5歳児の時の写真を見せながら)、朝ごはん食べなかったから試合出なかったのよね~。」
この人、朝食の有無まで把握している、、、!?何者、、、、、、???
恐る恐る、ちゃーちゃんに聞いてみた。あなたは普段何されている方なんですか?と。
ち「そこで、選手寮やってるの。」
なんと。ちゃーちゃん、当時水府町にあった水戸の選手寮の寮母さんでした。
ちなみにこの日は録画中継。普段の試合日はスタジアム(当時は笠松陸上競技場)で観戦、前日に開催されていた試合の遅れ放送を見に、那珂川を渡ってすぐのところにあるNHKに来ていたのです。
道理で、選手の一挙手一投足に詳しいわけです。
あれ、子供時代の写真はどうやって集めたんでしょう、、?
ち「なんか、親しくなった選手の親さんに会った時に、ついでにもらったのよ~~」
ついでに、という割にはアルバムこしらえるくらいの量ですけど、、、、?と思ったけど、この先は突っ込まないでおいた。
覚えている会話はこの程度だったが、あの選手が寮でどう過ごしたとか、本当にプライベートギリギリのトークだったように思う。
裏の裏まで包み隠さない、濃密な時間。それでいて、愛情が深い。試合中継を見ていても、選手を貶す言葉が一切出てこない。ミスをすると厳しい口調になることもあるけれど、思いやりのある言葉の数々。まさに、母そのもの。
当時高校生の自分にとって、この出会いは衝撃的だった。応援って、こうあるべきなんだ。
スポーツに興味を持ち始めたお年頃、なんとなく見始めた水戸ホーリーホックが、あたたかい愛情をもった裏方に支えられている。
煌びやかなJ1とは明らかに輝きは違うけれど、環境も給料も全然違うと聞いてはいるけれど、こんなにどうかしてる(褒めてる)人達に支えられているクラブが大きくなったら、きっと面白いに違いない。というか、こういう愛情を注いでいる人達こそ、報われて欲しい。自分もその一端だけでもなれたらいいな。
中継を見ながらちゃーちゃんの話を聞いていて、そんな確信めいた感情がわいてきたのです。最初は相当引いた目で見ていた、のに。
ちなみにその試合、甲府相手にしっかり1-0で勝ちました。
ち「めったに勝たないんだけど、勝った時の嬉しさがまたいいのよねぇ」
そう、試合終了時に仰っていた気がします。
勝ち続けるだけが、サッカーの美しさではない。
苦しみ、白星に飢え切った後に待っている勝利の喜び。
手弁当に近い状態であったとしても、泥臭く支え信じた者だけが味わえる、歓喜。
水戸という地方クラブだからこそ味わえる喜び方を、ちゃーちゃんはしっかりと教えてくださいました。それはすべて、どんなに負けが込んでも、努力している選手に悪口を言わない、信じて応援し続けるという、今の自分の応援スタイルの基礎になっています。選手の裏で頑張ってくれている人々がいる、そのことを脳裏によぎらせながら。
中継終了後、ちゃーちゃんとはその場でメールアドレスを交換し、連絡を取り合い、その年笠松でも数回お会いしたように思います。
しかし自分が上京し、笠松に行く頻度が減ってしまった後から、ちゃーちゃんとは会えていません。高校時代は携帯電話禁止だったので、番号もわからないどころか写真もありません。
ちゃーちゃんは今、どちらにいらっしゃるでしょう。もしお会いできるのなら、あなたに会えたからこそ、今の今まで水戸のサポーターでいられたし、上京後茨城に戻ってくる決心がついた、と伝えたいです。
最近noteを書いているほかの執筆者よろしく、後の推し選手にハートを射抜かれたとか、ひょんなことで試合を見に行ってのちのフィアンセになったとか、ココロオドルような話ではなくてごめんなさい。
でも、どんな形であれ誰かの愛情や熱は必ず伝わるし、その熱が感じられるほうに人は感情が動くと信じています。
少なくとも、ネガティブな言葉では人は動かない。人を動かすのは他人の熱。
かくいう自分がこうやって、人の熱を感じて、水戸という沼にハマったのですから。
現在散発的に上がっている水戸サポーターのnoteやツイートが熱を伝える一助となって、応援の輪が広がっていくことをささやかながら祈っています。