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僕が考える #水戸ホーリーホックスピリット

クラブ通算310勝、そして4年ぶりの3連勝を達成した仙台戦の帰り道。
ツアーバスの車内でマイクを握ったスタッフ瀬田さんがつぶやいた。

「うちの西村が、noteあげてますね。」

ずいぶんと珍しいな、と正直思いました。
書籍出版して以来のnoteですから。
西村さんが何か書くということは、、、やはり何かあるんだろうなと思ったので読んでみたら、やはり「何か」ありました。ちょっと遅めの、夏休みの宿題が。

皆さんが考える水戸ホーリーホックらしい選手とは?
これからの水戸ホーリーホックの
選手にどう在ってほしいか?
なぜそう思うか?
を教えて頂けたらと思っております。
あなたが思う、
水戸ホーリーホックらしい選手とは?
①3つの単語で。
②選手名(現在、過去、複数名可)
③具体的なエピソード

西村拓朗 「#水戸ホーリーホックスピリット」

自分がサッカーを見るうえで、水戸ホーリーホックを見るうえで、一番大事にしている視点をまとめるのにちょうどいいテーマだと思いましたので、この宿題、早めに片付けたいと思います。。。(と言いつつ喜んで書いてる)


1.ひたむきに(戦う)

「ひたむき」という単語を辞書で引くと、

一つの物事だけに心を向けているさま。忍耐強く、いちずに打ち込むさま。「―な努力」「―な情熱

デジタル大辞泉

と出てくる。
「一つの物事」はサッカーでいうと「勝利」になるでしょうか。
勝利に向かって忍耐強く戦う姿に、心惹かれます。

これは最初期の観戦経験が非常に大きく影響しています。
OBの小椋祥平さんのプレー。
高卒でプロ入りしてから、誰よりも走って攻守に躍動するひたむきな姿、そしてそこから世代別の代表に上り詰めるまでの過程を目の当たりにして、サッカーとはこういう楽しみがあるものだ、というのを学ばせてくれました。

その感動を、甲府サポのフリーペーパー、バス小瀬新聞さんの2021年最終戦号に書き残していますので、参考まで。(バックナンバー先頭「12月5日 水戸ホーリーホック戦」の5ページ目です)

こんな選手を水戸では見たいし、成長につながると信じているんです。

2.地域のために(戦う)

クラブによって、戦う理由は様々あると思うんです。それはクラブによって自由だと思っているのですが、とりわけプロビンチャ(地方クラブ)は、その地域に対して還元するような行動をしてほしい、それをプレーに変換して見せてほしい、と願っています。決して勝敗だけではないのです。

その境地に至ったのは、大学時代にバイトしていた川崎の街の変化に触れていたからです。
等々力陸上競技場隣の野球場(今みたいにきれいな球場じゃなく、改修前の古ぼけてた時代)やテニスコートで施設管理のバイトをしていた時。

このころの川崎フロンターレは中村憲剛さんが代表に召集され、GK川島永嗣さん、ジュニーニョとチョン・テセさんの2トップでリーグを席巻。ACLもクラブ初のベスト8に進みました。

そんな川崎は、成績が出る以前から地域活動に積極的で、そのお礼を込めて後援会が商店街にタペストリーを制作したのもこのころでした。小児病棟をクリスマスの訪問する青いサンタクロースとか、あの夏祭りに○○選手が来ていたよ、とか、ほかの地域とは全く違う形でフロンターレの話題が出てきたのを心底うらやましく思っていました。

そしてもちろん、その地域活動にも通信となって活躍していたのが、中村憲剛さんその人だったわけです。

代表クラスの人が自分の街にこんなに尽くしてくれるなんて。

等々力緑地に通う利用者は口々にそう話していました。
普段そんなにサッカーやる人でなくても、です。

日々の活動は小さいものだったかもしれませんが、
その活動は等々力緑地にチームカラーの水色を増やし、
「川崎フロンターレ」とロゴが入った大きな遊具が公園内に完成し、

川崎の街がフロンターレカラーに染まっていく過程を目の当たりにしつつ、サポーターが増えて手狭になった等々力競技場の改修要望が上がるようになった流れを見ては、

自分が応援する水戸も、こんな地域に愛される存在になってほしい!

と願ってUターンしたものでした。

新しくなった等々力球場から陸上競技場を眺める。
この光景は一朝一夕にできたものではない、としみじみ。

幸いにして、水戸は各市町村にPR大使を置くとか、ガルパンに協力するとか、独自の形で地域に貢献してくれています。(地元の市報に水戸の話題が乗ってどれだけ反響があったことか…!!)

他競技よりも選手生命が短くなりがちなサッカー選手が、直で地域の人たちに触れることで、他者の存在を感じ、社会性をはぐくみ、経験値をピッチに、その後の人生に生かしてほしい。
そう願わずにはいられないのです。

3.夢に向かって(戦う)

そもそも、水戸ホーリーホックというクラブは、「夢を追うために作られたクラブ」だと思っています。
設立経緯としても、鹿島じゃなく県都水戸にJクラブを、動き出したクラブですし。04年の天皇杯での直接対決、05年からTRMでの茨城ダービーが始まってから、水戸が成長を遂げていく姿が関係者にどう映っているか。

鹿島という大きな存在が近くにあるからこそ、成長を刺激させられるし、夢を追うことができる。

PK戦とはいえ、天皇杯で鹿島を破った時は最高の気分でした

選手ではありませんが、沼田会長がまだ社長だったころ、天皇杯の試合前にサポーターにあいさつするときは、

「天皇杯勝ち上がって、ACLに行くぞ!!」

と盛り上げていましたっけ。

甲府さんがACLを戦う姿を見て、ついそんなこと思い出してしまいました。

このころが一番夢に対してギラギラしていた。今もギラギラしているけど。

「育成の水戸」という話を瀬田さんがバスツアーでしてくれたわけですけど、「育成」するからには育てた先にこうなりたい理想像があって、、
代表に入るとか、CLで点を取るとか、はたまたこのクラブのバンディエラになって貢献する、でもいいでしょう。

各々の夢の途中を応援できるのが、サポーターとしての最高の幸せだと思っているし、成長の途中だと思いたい。
それが選手だけじゃなく、フロントスタッフや監督、GRASS ROOTS FARMのような新規事業や社長までも「育て」ようとしているクラブ、それが水戸。

悪く言えば欲張りなんだけど、
でも夢があるっていいじゃん、と思うのです。
うちはいつだって、形変われど「夢を追うクラブ」
いつだって、成長の途中ということ。のびしろしかない。
生きている中で、夢がないとワクワクしませんから。

まとめ

最後は抽象的になってしまいましたが。

・ひたむきに(戦う)
・地域のために(戦う)
・夢に向かって(戦う)

この3点セットがそろって、ピッチ上で戦える選手が、最も「水戸ホーリーホックらしい選手」と言えるのではないでしょうか。

本間幸司選手が今も慕われるのは、(チーム最年長のレジェンドということもさることながら)この3点セットがそろった選手だからだと思っています。

こういった選手なら、なによりどんな試合結果になったとしても、この選手なら応援したい!と思ってもらえる確率が高くなるのではないでしょうか。

そういえば、瀬田さんはバスツアーの中で、水戸というクラブの魅力だったり成長の過程を「定量的(=誰もがわかる基準)」な形で語れるようにしたい、とおっしゃっていました。

水戸らしさ、あるいは水戸ホーリーホックスピリッツというアバウトな言葉を、いろんな人のnoteを通じて「定量的」なわかりやすい言葉でまとめられ、研修とかで伝えられるようになると、このクラブの進むべき道がより明確になる気がします。そんな流れに期待しています。

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