サポーターが声を出す理由
9月2日(土)、J2第34節、仙台対水戸の試合が行われるユアテックスタジアム仙台(通称ユアスタ)に行ってきました。
ベガルタ仙台がホームとしているユアスタは、地下鉄泉中央駅から徒歩数分とアクセス便利なところにあるフットボール専用スタジアムです。
残念ながらケーズスタもそうですが、シャトルバス使わないと電車民は行けないスタジアムが多いJリーグ。ユアスタは理想的な立地で本当にうらやましい限り。
この日は声出しエリア設定試合でした。ちなみに仙台さんにとってはこれが今季ホーム初解禁だそう。実証実験からずっと声出しできている水戸にいる身としてはつい忘れがちになるのですが、実験結果を踏まえて先週今週から声出しエリア設定というクラブは多かったようです。
ところが、仙台のサポーターの間ではちょっとしたトラブルが起きていたようで、結果として試合前のセレモニー的な応援をやらないという判断になっていたようです。
他サポながら、個人的にも仙台さんのカントリーロードは大好きだっただけに、そのような判断に至ったことは非常に残念でなりませんでした。
こういう風景を見たかった。
確かに仙台さんはこの試合に入るまでに3連敗中で、何とか打開したいという気持ちは理解できないわけではないのです。
でもね、選手からサポーターがどう見えるのか、どのような存在なのかをこのような機会だからこそ意識したうえで判断していただきたかったなぁ、と。
話はサッカーから若干逸れますが、先日おとな部終わりにPerfumeの9thLive tour「PLASMA」に行ってきまして。(もともとチケットとっていた日におとな部がねじ込まれたのでこうなった)
ライブはもちろん素晴らしかったのですが、その中でサッカーにもつながる話だなぁ、と改めて心打たれた一節を紹介します。「マワルカガミ」という曲です。
この曲は前のPolygon waveでも最後の最後で謎の新曲としてサプライズ披露されたものですが、グラウンドレベルにお客さんが入った状態で聞くと、鳥肌が立ちます。
声を出して応援するということは、目の前の演者に「大丈夫」って直接伝えること。
目の前のステージに立っている人が抱く率直な想いって、こんななんだろうな、とストレートに簡潔に伝えてくれる歌詞と音楽とダンス。紆余曲折あったグループの歴史も絡めて、涙なしには見られません。
ライブシーンはまだ声出しする機会がまだまだ少ないのですが、仮に声を出せる現場になった時、この曲の意味はさらなるパワーを持つことでしょう。
話をユアスタに戻しまして。
声を出して応援するということは、目の前の演者に「大丈夫」って直接伝えること。
これがサッカーになると、こうなります。
手前味噌で恐縮ですが、屋根で音が反響する構造をうまく生かした水戸サポーターの応援は素晴らしかった。
後押しするってこういうこと、という通りに場を盛り上げ、苦しい時には歌い、ボールを奪うたびに手拍子で後押しをし、目の前のサッカーを肯定していきました。
それらが選手のパワーにつながったのであれば、応援する側にとってもこれ以上の喜びはありません。
音楽ライブとサッカーが違うのは、サッカーは相手がいるということが最も違うところです。どう相手と対峙し戦い、勝利をものにするか。
そのプロセスを見せるのがスポーツですが、そこにサポーターが介在する意味って何なのだろう、関わる者としてどうあるべきなのだろう、ということを、この仙台遠征は教えてくれた気がします。結論として、推しに対する現状肯定、という意味では何も変わらないわけですが。
この試合、戦術的にも水戸の準備がハマった部分はありますが、サポーターの論理としては、声出し応援の経験値に勝る水戸が勝つべくして勝った、と言わせて欲しい。仙台サポーターには申し訳ないけれども。(試合翌日の河北新報さんの記事を読んで、実情は理解しているつもりですが、他サポなので仙台さんの戦い方の是非はここでは語りません)
声だし解禁した初戦はホームチームが勝てない、というのことも今年のトレンドの一つです。
水戸の時もそうでしたが、何のために声出すんだっけ?ということをもう一度探った結果、かみ合わずに空回りすることが多い印象です。でもその試行錯誤こそ、ファンの声援、応援により深い意味を持たせるプロセスだと信じています。
その成果として、いつの日か仙台と水戸がJ1で会えるといいな、と思いながら帰途に就くのでした。
もちろん、牛タンはおいしくいただきましたよ😋
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