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私史(自己紹介)


初めに

こちらの文章を読まれている皆さま、はじめまして、こんにちは。解の欠片といいます。

唐突ではあるものの、私の本質は、恐らく、何か冷たくて、暗いものなのだろう。
言いたいこともあるのに、上手くいえずに塞ぎ込み、不要な忍耐で自分を消耗し、意味もない疲弊で倒れるような。そういう本質。

noteにユーザー登録して、既に10日以上過ぎているというのに、なんの記事も執筆していないのがその証左なのだろうか。

秋の、昼下がりの柔らかな日差しを受け、カフェのコーヒーを口にしながら、冷めきった秋風に自律神経失調症の体を小刻みに震わせながら、何か綴ってみようかと本腰を上げた。そして、自己紹介をしてみようと思った。

noteの利用は初めてで拙い文章ではあるかもしれないけれども、最後までご一読いただけると、とても嬉しい。

プロフィール

私は滋賀県の彦根という、県の東にあたる地域に生まれた。モノが多すぎることも少なすぎることもない、田舎めいた雰囲気を除けば過ごしやすい地域だと、内心、自慢している。
このような地元へのちょっとした愛着もあるからか、働くとしたら地元、という意識がとても強かった。

けれど新卒で入社したところではうつ病を発症してしまい退社、再就職したところでもうつ病による体調不良で正社員登用が見送られ退社、という散々な、惨憺たる体たらくである。社会との相性の悪さに顔を覆いたくなる。今も昔も、生み出せなかった自分に嫌悪している。
前向きな言葉で取り繕うならば、今現在、より自分に適した職を得るために、体調を整えながら準備段階に入っている、と人に説明はできる。けれども、今も心の病を背負い続けているし、完治、或いは、寛解した将来を想像することさえできない。

興味関心、或いはその遍歴

幼少期から特撮ヒーロー、及び、漫画やアニメ、映画と、いわゆるサブカルチャーというものを好き好んでいた。雑多にならない範囲内であげるならば、藤田和日郎と寺山修司が好きで、『うしおととら』『からくりサーカス』で描かれた情熱的なケレン味、『田園に死す』にある故郷や血縁への愛憎は、今も心に深く刻まれている。
プロフィール欄を見てわかる通り、「鈴鹿詩子」(愛称は詩子おねえさん)というにじさんじ所属VTuberのファンでもある。彼女の大好きなところ、愛しさを感じるところをあげるならば、穏やかな声質であったり、素直で優しい人柄、包容力といったところだろうか。余談だが、私が制作した、彼女のキャラクター弁当が月ノ美兎の配信で取り上げられた(そのときのHNはゲルダの涙)ことがあることを、ここに記す。冒頭の画像がソレである。そしてその時の配信はこちらである→ 『【キャラ弁選手権】にじさんじ愛を料理に詰め込めッ!!!』https://www.youtube.com/live/NWOMKbJPbDc?si=2PbQlMLOw8LBeyZs

けれども、かつて熱中していたものに対して、今の自分はどこか冷めてしまっており、楽しむこと、面白いものに対してどうしようもない空虚さを感じているのが現実である。
詩子おねえさんを応援しているときでさえ、昨今流布する「推し活」というものを、どこか空騒ぎを前提としているような概念ではないか、と懐疑的になってしまう。

今の自分は、時折走ること、ブラックコーヒーやお茶(とりわけ烏龍茶やほうじ茶)を嗜むばかりの、空虚だ。
走ることに関しては10kmのマラソン大会に参加し、心地良さを感じる程度には好んでいる。どうも走るときは血流が良くなり、安心しているらしい。
ブラックコーヒーの、濡鴉のような澄んだ黒色、スンと鼻腔と口内を貫くような苦味が好きだし、お茶の、ライトの光に映えるようなセピア、ふわっと広がり包み込むような苦さと渋さが好きだ。要するに、穏やかさとカフェインを上手く摂取できるから良いのだ。

白熱するものから安心するものへ、興味関心のシフトが移行されつつある。
故に、空虚なのだろう。

noteで書きたいこと、今後の願望のようなもの

対人という観点において、この世は口語表現の世界と文語表現の世界、いわゆる、話す世界と書く世界に分けられる。そして私は話す世界において友人との対話以外では圧倒的弱者に属し、書く世界の方が心地良さを感じている。
前職で上司と趣味の話や世間話をしているときと今この文章を書いているときでは後者の方が安心するし、何なら学生時代にレポートを書いてる時も安心して冷静に対処できていた。

そうであるなら、書くことをもって意思を発露させたい。

意思と堅苦しい表現になってしまったが、要は冒頭にあるような、言えないことであり、塞ぎ込んだものたちのことである。
それらを執筆した随想が主である。

正義も理想も理解しきれていない、未成熟であることを認めざるを得ない、25歳ではある。けれども、この意思の発露をもって自己の安堵と再発見を、今度こそ成功させたいのである。

そして、ここまで最後まで読み上げて頂き本当にありがとうございます。
今、これを執筆している私はイタリア領チェーン店の赤ワインを飲みながら、自律神経失調症の体を寒さで震わせているところである。
またいつか、次回、なにかの記事で会えますように。

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