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ネズミを捕れないネコ

毎日本をタダで配っている古本屋です。色々な本(たまにDVDやCDも)を出しているのでよかったらチェックしてみてください。


ネコは母親から狩りを教わるが、近年の飼い猫事情でネズミを捕れないネコが増えているという。

ヒトも「資源は親や社会から与えられるもの」として成長すると当然、己の力で資源を獲得することが出来なくなる。
そういう人間が増えると生産者と消費者の割合が益々偏り、脆弱な社会構造になる。


Q.令和時代を生きる子どもに親が望むことは?
・失敗しても立ち直れて成長できること 46.0%
・自分の力で道を切り開けること 38.9%
・世界の人とつながり協同できること 5.6%
・AIに負けない考える力を持つこと 3.3%
・その他 3.0%
・特にない 3.1%

これ見て少し安心したけど、子供には優しさや協調性のような社会での振る舞い方以前に叩き込まなければならない自然の掟があると思う。
というのは、まあ、子のいないオッサンのボヤキではあるんだけど。

なんでもかんでも教育のせいにするのは実証的じゃないけど、親は口ではこう言いながらも社会というか世の中が言う教育は1階を建てずに2階部分を建てるような、国民年金払わずに厚生年金払うような教育をしてるんじゃなかろうか。それじゃ国民年金もしっかり払ってた人と同じ額は貰えませんよっていう。

頭でっかちとはそういう状態のヒトのことをいうのではないだろうか。実感としての痛みや失敗が伴っていないのに、高次のことをやろうとする。当然、空理空論となり、現実を切り開くことはできない。
ヤンキーとオタクの対比もこれを踏まえて見るとより鮮明になる。

世間がヤンキーをダサいものとして隅に追いやった結果、ネットの隆盛も相まって、オタクやガリ勉がイキり散らすようになった。彼らは体感としての痛みを知らない為「もうそれくらいにしといたれよ」という容赦を知らない。
そこにいるのは痛みを感じる生身の人間であるという事実が抜け落ちているので、己の気が済むまで相手を攻撃し続け、その後のフォローなど考えもしない。
殴ったことも殴られたこともない奴がいい歳してイキり出すとロクなことにならない。作法を知らぬまま本番を迎えるようなもの。かと言ってきょうびステゴロを推奨するわけにもいかないんだろ。だったら子供には格闘技くらい習わせた方がいいのかもな。
非暴力という教育方針でも社会に出るとどんな場面に出くわすかわからない。そんな時に作法の心得は大きいと思う。何が何でも非暴力という態度の人はそれはそれでいいんだけど、独りよがりというか、自分が攻撃の側に立たされた場合の想定が抜け落ちてることが多いように思う。

痛みを知らなければ暴力を制御できないように、飢餓を知らなければ生産はできない。それが自然の掟。農耕は飢餓ゆえの発明だ。

公助公助と大騒ぎしたり、国家のバラマキを「勝ち取った」などと思っているようでは次世代は飢餓感を覚えることなく、従って生産を覚えることもなく、いざ資源が枯渇したときに行き詰まる。


古本屋からは以上です


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