スペイン🇪🇸でのがん告知

始まりは

2015年10月始め辺りから、鼻がつまり熱っぽく、風邪かなぁと思い、何度かファミリードクターの元に行っては、抗生剤を処方してもらいました。調子が良かったり、悪かったりと繰り返しの日々で、なかなか良くならず。

ある日40度の熱が出て、大学病院の救急外来に行きました。抗生剤を飲んでも、こんなに高熱が出るのはおかしいということで、緊急入院となりました。耳鼻科の医者が来て、鼻の奥が完全にブロックされているので、手術が必要とのこと。この時は副鼻腔炎と診断されて、緊急手術開始→終了し、耳鼻科の病棟に移され、その後退院となりました。少し顔の腫れが気になっていたけど、まぁ手術の影響だろうとも思っていました。

人生を変えた11月4日

熱も下がり元気に過ごしていましたが、顔の腫れがなかなか治まらないので、義母の勧めで耳鼻科へ。
丁度その日の担当医は、前回の救急外来の時と同じ医者。顔の腫れや、鼻をチェックして、Dr.V(手術も担当してくれた主治医)に連絡するから待合室で待っててと。数十分後Dr.V本人が、外来診察日でもないのにわざわざ診察室まで来て来ました。他の医者二人と入れ替わりで、私と義母が中へ。そして、真剣な顔で、『君に大事な話がある』と。いつもの『HOLA~(オラー)』という明るいノリではなく、とても真剣な顔。そこで、腫瘍があってLymphoma(悪性リンパ腫)という、病魔に侵されている言われた。
初め、言っている事がよく分からず、、、副鼻腔炎のことで病院に行ったはずなのに、まさかの告知で、『えっっっ!?!?!?ちょっと待って、待って、なになに??』
その後の説明でようやく、自分に腫瘍があり、悪性リンパ腫という、血液のガンにかかっている事を理解しました。手術の際に、怪しい腫瘍を見つけたので生検に回したところ、悪性リンパ腫だったとのことでした。
頭の中がもう真っ白。どんどん溢れてくる涙で、医者の顔も何も見えず。

Dr.Vもあまりに悲しそうな顔で説明するもんだから、
私『私は死ぬんですか?もしそうだったら、隠さずに言って下さい』
Dr.V『放っておけば死にます。これから辛い戦いに挑まなくてはいけない。でもこれに勝てば君は生きるんだ。Hay que luchar!! (戦うんだ)』
ま、そんな事言われてる間にも、まさか自分が・・・なんで私が?・・・ウソでしょ?・・・これは夢?悪夢を見てる?・・・スペインって今日がエイプリルフールだっけ?・・・などなど、もー色々なことが頭をぐるぐる。
10日間くらいは泣きまくりました。もう涙が出ない!!ってまで、20年分くらい泣きまくりました。

一寸先は闇

まさにことわざ通り、順風満帆な人生だと思っていても、その次の瞬間、いきなりどん底に突き落とされることがあるのです。まさか自分がこんな病気になるなんて、思ってもみませんでした。もしかしたら夢かも、夢だと思いたい!!そう思って毎朝を迎えましが、腫れた顔は変わらず。むしろ少し腫れが酷くなっているようにも見えました。

この日をさかいに、耳鼻科ではなく血液内科にお世話になることになりました。正直そんな科があるのも初めて知りました。
そして、私はガン患者となり、人生がガラっと変わりました。

病気を診断されてから、私はインターネットで自分の病気を調べまくりました。目につくのは悪い記事ばっかりでもそんな中、自分と同じような病気で頑張っている方々のブログと出逢い、本当に励みになりました。立ち向かって治療して行こうと思えるようになりました。このブログが、少しでも誰かの役に立てたら、励ましあえたり、情報交換出来たらと願いを込めて、闘病のことなどを綴っていきたいと思います。私が出逢ったブログのような存在になれたら嬉しいです。

現在もし、大変な治療の真っ只中の方がいたら、心の底から応援したいです。また自分には全く関係ない、と思う方もいるかもしれません。私も自身も、自分に起こるまでは、本当に想像もしたことがありませんでした。ですが、ガンという病気は誰にでも起こりえることです。明日のことは誰にも分かりません。もし近くで、大きな病気と闘っている家族や友達がいたら、「頑張ってね」はあまり言わないであげて下さい。その方はもういっぱい、いーっぱい、あなたが想像してる以上に頑張っています。なので「頑張ってね」の代わり、優しく寄り添ってあげて下さいね❤️ 

最後まで読んでくれてありがとうございました。私のスペインでのガン治療の経験などをまたシェアしていきたいと思いますので、お付き合い下さい。楽しい一日をお過ごし下さい。またね、アディオ〜ス!!

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