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提供したいもの

病気で動けない人にとって、「ヒーリング」や「スピ」などはエンタメになっている傾向がある。旅行行けないから講座。遊べないからチャネリング。みたいな。
悪くないけど、そこに走っていても本筋からははずれている。気分がめいって鬱になってしまうよりはましだけど、「なんのために」それを受けているかを認識するのは大事。
病気を作っているのは自分。
病気を作っているのは自分。

探せないレベルのものもある。
抗えないレベルのものもある。
間に合わないレベルのものもある。
でも足掻ける人は「気休め」や「慰め」に走ってないで足掻かなきゃ。

『来世がないひともいます』

カテキョはさらっと言った。

『病気は魂の訴えなので、無視すれば悪化します』

カテキョはさらっと言った。

『それも選択ですが』

カテキョはさらっと言った。

自分の命も魂も自分でしか救えないんだよ。
誰かなんとかしてくれることなんてありえない。
スピ側の多くの人もわかってる。
でもみんなビジネスだ。来る人を拒みはしない。
「ましになったらよし」くらいだろう。

でも人間のポテンシャルをばかにしてはいけない。
それこそ「死ぬ気」でやったらその景色が見えるんだ。
「寿命」も「宿命」も関係ないとこまでアセンションできる。
その自分を信じられるかどうかだ。
「ネガリリセッション」はエンタメではない。慰めでも気休めでもない。
本気なんです。
講座はもう少し緩いけど、そのくらいのパッションで受けてくれたら
得られるものは違う。そういう人もいるから、だから遅刻しないでね。
あなたにはエンタメでも、そうじゃない人もいる大事な時間だから。

私たちの講座やセッションは私たちが受けてほしい人にだけ提供する。
受けてほしくない人はお申込みがあってもお断りしている。
それを決めているのはカテキョだ。高次元のリーディングだ。
なので「なんで私受けられないんですか」という質問をされても
きっと理由は本人の潜在領域にあるのだと思う。私に訊かれてもわからないこともある。
どんなえらっそうなシステムだよと思われた方は離れてしまうだろう。
人間には肉体やら言葉があって、意識をわかりにくくさせているが
高次の意識体から見たらその人の意識は筒抜けらしい。

何が目的で、どんな価値観で生きているか。
「そんなの各自の自由じゃないか」ごもっとも。
それをカテキョの判断で選ぶのも自由だ。
「じゃあニシカワの意見は反映されないのか?」
私が私の「意見」だと思っているものの殆どが「情」である。
私たちの講座の目的は、もうすでに突入してしまった乱世において
そこで生き延びるための自分を自分で育てられる人を増やすことだ。
多くの人が勘違いするけど、「その講座を受けているから大丈夫」ということも「そのコミュにいるから大丈夫」ということもない。講座を受けて
自分がどれだけ実践しハラオチさせて生きて行けるかだ。

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