頭を使って瞑想をする人は、迷走している
今回は、アメリカの体験話を、少し離れて、具体的に、日常的に起こりやすい「瞑想」をする人の落とし穴について、触れてみたいと思います。
少し深い内容になるかも知れませんが、お付き合いください。
「瞑想」という言葉は、昔は、お坊さんや、心の修行者の一連の行為でしたが、今は、「マインドフルネス」という言葉の通り、普通の人も、気軽にやっています。
「瞑想」と、ググって検索しても、何かしらの情報はでてきますし、「瞑想」の検索数は、極めて高い数値を示しています。
その上で、「瞑想」と言っても様々なやり方があります。
なじみ深い「マインドフルネス」を例にすれば、その意味は、「現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程である」と出てきます。
さて、この「現在起こっている経験に注意を向ける・・・」とは、どのようなことでしょうか?
「わたしは、呼吸をしている」「わたしは、食べている」「わたしは、歩いている」という行為に注意を向けることは、誰にでもわかりやすく、行為そのものに、注意を向けることができます。
次に呼吸をしている経験、食べている経験、歩いている経験をしている、その最中に、何かを考えたり、思ったりしている自分の存在に気が付くことができます。
この辺から、心の世界、つまり「心を内に向ける」という過程に入ってきます。
が、しかし
何かの行為の最中に、考えたり、思ったりすることは、分かりやすく言えば
「あたまを使っている」という状態です。
これが、・・・現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程である・・・と錯覚すると、大きな間違いです。
「思考」している自分に、注意を向けること(気づくこと)から入ることは、否定しませんが、このレベルの瞑想や、マインドフルネスであれば、今日のタイトルである
「頭を使って瞑想をする人は、迷走している」という状態に陥りやすいので、注意が必要です。
私自身も、そのような状態を経験し続けていました。
「思考」の先にある「心の世界に入る」ことが、ホリスティック瞑想法の鍵です。
それは、「感じる」という世界に入ること。
それが、極めて大事なことだと思います。
目をつぶって、「瞑想」をすると、すぐに雑念、妄念が浮かび、眠くなってしまう人もいます。
悩みがある時に、瞑想して、心を落ち着けようとしても、全く無理だという人もいます。
だから瞑想を習慣化することが、出来なくなってしまうのかも知れません。
「瞑想」しても「迷走」に終わるだけ
とは、よく聞く話です。
次回は、音(音波)=「音が生み出す波動」を使って、思考と感情の波(波動)を整えることについて、触れたいと思います。