ex)megane
後にbabymosaicというギターとドラムの2ピースバンドでドラムを叩いてくれた大貴と初めて接触したのは高校一年生の英語の授業だった。
「顔整っててめっちゃかっこいいな、、さぞかしモテるだろうし自分と友達になるタイプの人じゃないだろうな。」
とか思いながら授業を受けてたら大貴から
「ちょっとノート見せてくれない?」
って言われてノートを見せた後先生に大貴が当てられて俺のノート通り解答したら見事に間違えてて
「間違ってるじゃねーか」
って小声で言われた事を覚えている。
同級生にハルという男の子がおり、大貴はハルと他校に通っているクボという中学からの同級生でオリジナル曲を演るバンドをすでに組んでいた。
高一の地元の夏祭りで彼等が演奏してるのを俺は見ていたのだが「なんだか悔しいな」と思ったのも覚えている。
俺は高校に入ったら軽音部が作りたいと思っていたのだが姉から猛反対されバスケ部に入るのだが直ぐに辞めてしまい一人寂しく放課後勉強していた。
そんな中、学内の高校生バンドを集めた企画があり出演者を募集していたので一人で出る事になった。
自分が住んでいた町にはライブハウスというものが存在せず、費用を出演者で折半し公民館を借り、趣味でPAをしている農家のおじさんから機材を借り、みんなで設営を行いライブを行なっていた。
初めて一人で弾き語りをすることになり、バンプのメロディーフラッグやハスキンの瞬く過現未などを練習していたのだが「バンプが下手って言った奴表出ろや」と言いたくなるぐらいメロディーフラッグが難しくて必死に練習した記憶がある。
初めてしたライブのことはあまり覚えていない
覚えているのは当時好きだった女の子に「おもってたよりずっと上手だった!!」と言われた事と大貴のバンドがゴイステをコピーしてて「なんか羨ましいな」と思ったこと
そんな感じで場所と機材を借りみんなで費用を折半するスタイルで当時高校生だった自分はライブをしていくのだけど高校2年生の時にクラス替えがあって大貴とハルと同じクラスになった。
一年生の時のクラスが好きだった自分はクラス替えなんてマジ要らないと駄々を捏ねていたのだがクラスメイトの男子はみんないい奴だった。
ある時学校の休み時間に「犬マユ毛で行こう」の一巻を読んでいたらタカアリという奴が「ホシくん!」と声を掛けてくれて
???
となっていたのだが翌日タカアリは絶版になってる「犬マユ毛で行こう」の2巻を持ってきてくれて俺に貸してくれてそこからすぐ仲良くなった。そんな事が沢山あって気付いたらタカアリの家や大貴の家にしょっちゅう遊びに行く事になっていた。
初めて自分の曲を書いたのも高校2年生の時だ。
公民館でのライブでハルが自分のオリジナル曲を演っているのをみて不格好でいいから作ってみなければ駄目だと思い学校祭での学内のライブに向けて曲を殆ど寝ずに作ってた記憶がある。
その時学校祭のパンフレットに本名が載るのはなんとしても嫌だと思い「眼鏡」という活動名をつけた。結局先生のミスで本名が学校祭のパンフレットに載せられる羽目になるんだけどね。。
眼鏡としての初ライブはそれはそれは酷いものだった。だけど、曲を聴いた同級生が今までにないくらい熱い感想をくれた事を覚えてる。自分の作った楽曲を発表するなんてそれはもうボコボコにぶっ叩かれるかと思ったけど「あれ、思ったより意外と世界は優しいぞ」とその時生まれて初めて思った。
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