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辛くない?!カシミリチリの謎

2024年1月19日、スパイスの生産と流通のフィールドワークの旅を始めて丸1年が経ちました。思い返せば1年前は何の当てもなく、とにかく行くだけ行ってみようとインドはケララ州のカルダモンの産地を尋ねました。そこから1年足らずで、まさかこんなに沢山のサプライヤーや農家の人たちと出会い、繋がりを持つことができるとは想像もしていませんでした。

そんな記念すべき日、私はニューデリーにあるFAO(国際連合食糧農業機関)が主催するカンファレンスに参加していました。コリアンダーの産地で偶然出会ったFAOのプロジェクトマネージャーの方にご招待いただき、「Investment Forum on Advancing Climate Resilient Agrifood Systems」(気候変動に強い農産物システムを推進するための投資フォーラム)に参加してきました。日本の農業分野でも気候変動対策でも議論は始まっていると思いますが、インドは農業大国であること、そして10年以上前からすでに、干ばつや豪雨、高温など気候変動による農作物への被害が拡大していることもあり、危機感が違うことを肌で感じました。

翌日、警報レベルの寒波に襲われていたニューデリーを後にして、真夏の暑さのゴア州にやってきました。インドで最も富裕な州の一つと言われ、1961 年までポルトガルの植民地だったこともあり、キリスト教徒も多く独自の文化を有しています。日本で特に有名なゴア料理に、お酢を使ったカレー「ポークビンダルー」がありますが、インドのマジョリティであるヒンドゥー教徒がタブーとして食べない豚肉の食文化があるのです。

ゴアの滞在は2日程度でしたが、マーガオという街のマーケットに行くと、まず目に飛び込んできたのは、首飾りではなくソーセージ屋さん。スパイスとお酢が使われていて、インド版のチョリソーといったところでしょうか。さらに奥に入ると、スパイス屋さんが並んでいます。そこで売られているチリパウダーは全て「カシミリチリ」でした。お店の人にホールの唐辛子はあるかと聞くと、別の並びのお店にあるというのでそちらに向かってみました。

マーガオのマーケットのソーセージ屋さん

すると、山盛りに積まれた唐辛子の山が。よく見ると、どのお店もシワのある唐辛子2種類をメインに取り扱っています。そこでお買い物をしていたある女性に聞くと、

「これはカシミリチリ。そんなに辛くないのが特徴よ。この香りと色が、私たちゴア料理には欠かせないの。」

と教えてくれました。さらにお店の人に聞くと、そのうちの一つは正確には「ビャダギチリ」という唐辛子でした。ビャダギというのは、ゴア州のお隣カルナータカ州にある街の地名で、実はこの「ビャダギ」が私の次の目的地だったので、思わず興奮してしまいました。ある情報では、ポルトガル占領下のゴアに持ち込まれた唐辛子を農家が持ち帰り、ビャダギ周辺で栽培をしたことが始まりだとも言われています。

その日夕食にゴア・フィッシュカレーのレシピも教えてもらいましたが、ホールのカシミリチリを他のスパイスやココナッツと一緒にペーストにしていました。スケジュボックスにもカシミリチリのパウダーが陣を奪っていて、ゴア料理には欠かせないというのは本当のようです。

手前が「カシミリチリ」と言っていましたが、この正体は後に明らかに。
ゴア・フィッシュカレーのペーストの材料。フレッシュのターメリックが入っているのも特徴的!


教えてもらったゴア・フィッシュカレーの美味しさに後ろ髪をひかれながら、目的地のビャダギに向かうべく深夜特急に乗り込みました。7時間程で到着したそこは、観光客は皆無の、周りを農村に囲まれた小さな街。早速APMC(農作物市場委員会)が主催するマーケットに行ってみると、広大な敷地にサプライヤーのお店がずらり並んでいて、そこに様々な種類の大量の唐辛子が運び込まれています。

私がお店の入り口付近で唐辛子を物色していると、英語が少し話せるスタッフがやって来て、それぞれの品種を教えてくれました。このマーケットの唐辛子の特徴は、やはりシワのある辛味が少なく香りと色が強い唐辛子。私がゴアで見かけたビャダギチリを筆頭に、他の唐辛子とビャダギチリとを掛け合わせたハイブリッドなどもあり、バラエティーに富んでいます。

さらにそのスタッフの紹介で、サプライヤーの加工ユニットを訪問させていただくことになりました。到着したのは、APMCの外れにある大きな工場。案内してくれたのはオーナーの息子さんのテジュラジさん。そして、広大な敷地に敷き詰められた唐辛子を手で掴みながら、流暢な英語で、

「これはDABBIと言って、プレミアム・クオリティの唐辛子なんだ。ビャダギチリと比べて大きさも2倍以上するけど、価格も2倍。DABBIもビャダギチリも、北インドでは『カシミリチリ』として流通してる。実際にカシミール地方で生産されているカシミリチリは、生産量が圧倒的に少ないから、実際に市場で出回っているものの多くは、ここビャダギの唐辛子なんだよ。」

ビャダギのAPMC。インド最大の唐辛子マーケットはグントゥールという地域にあるが、それに次ぐ規模。
こちらがDABBI。ビャダギチリより太く、辛さが弱く、香りと色が強い。

と教えてくれました。そこで私は去年3月にグジャラート州の都市アーメダバードのスパイスマーケットを訪ねた時のことを思い出しました。そこで唐辛子を大量に購入している一家に話を聞くと、この時期にカシミリチリを使って大量のアチャールを作ると言っていたのです。その時に見た唐辛子は、DABBIによく似た、シワのある色の深い大きなもの。テジュラジさんも、グジャラートは地理的にカシミールに近いにもかかわらず、そこで「カシミリチリ」と称して流通しているものの多くは、ビャダギから来ているはずだと添えてくれました。

テジュラジさんの工場は簡易的なラボも所有していて、色味と辛さのチェックを行います。ビャダギチリの場合、辛さを示すスコヴィル値が5000〜15000と、比較的辛さは控えめではあります。元祖のカシミール産のカシミリチリはというと、スコヴィル値が1,000 ~ 2,000とさらに辛さが少ないので、辛いものが苦手な日本人にとっては後者の方が扱いやすそうです。現に、日本のカレー界でも「カシミリチリが意外に辛い問題」があり、カレーを作る際の唐辛子選びは、一つの重要トピックかもしれません。

カラーチェック用のサンプル。KCPは「カシミリチリパウダー」の略称

1月下旬は唐辛子の収穫シーズンでもあり、マーケットから近いビャダギチリの農家を探して回ったのですが、べラリという一大産地を中心に、ほとんどが300キロ近く離れた遠方の農家で、時間の関係上尋ねることができませんでした。そんな農家探しの中で、偶然お寺で出会ったナガラジさんという男性が、唐辛子のトレーダーをしているというので、彼の取引先の加工工場にお邪魔しました。

そこにはDABBIやビャダギチリを筆頭にさまざまな唐辛子がありましたが、驚いたのはチリパウダーの加工方法。他にも増して真っ赤なチリパウダーがあるなと思ったら、オイルコーティングをしているというのです。数パーセントのパームオイルでコーティングをすることで、より色が赤く見えるらしいのですが、噂には聞いたことがあったものの、実際にその工程を施したスパイスは初めて見たので、少し興奮しました。ちなみにこの工場でのオイルコーティングは、発注元の企業のリクエスト次第で行っているそうです。スパイスを良く見せるための加工については、掘ってみると色々と深そうです。

ナガラジさんの取引先の唐辛子サプライヤーのオーナー。ケララ州の大手スパイスメーカーにも卸しているそうです。
様々な品種のパウダーを加工しています。オイルを混ぜることで赤の発色をよくする加工方法も。全ては企業の希望に合わせて加工しているのだとか。


「カシミリチリ」として販売されている唐辛子が、カシミール地方の唐辛子なのか、はたまたビャダギチリなのか?残り少しのインド滞在の中でリサーチを続けてみたいと思います。カシミリチリを取り締まるという意図ではなく、特性を正しく理解して、料理や好みに合わせて選ぶための事前情報として知っておくことが、より良いスパイスライフに繋がると思うから。ビャダギチリは独特なスモーキーな香りと、染料としても使われる色素が特徴なので、辛さとは異なるベクトルで評価ができるはずです。

3月に帰国したら、様々な唐辛子を「辛さ」「香り」「色味」のベクトルで、評価して、どんなカレーにマッチするのかを改めて研究してみたいなぁ。どなたか、一緒に試してみませんか?

APMCには多くの労働者の女性たちが唐辛子のポストプロダクションのために働きに来ていました。マスクをしていても咽せるのに、お母さんたちは大丈夫なのか…。

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