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実践「敵の愛し方」筋トレと数学の喩え

Twitter内で「キリスト教」って検索するとキリスト教に対する誤解、曲解、歪曲、憎悪のこもったツイートがいっぱい出てきます。聖霊に満たされてステパノみたいなモードな時は誤解を解くようなリプをつけていく活動があればそういうバトルなら個人的には有益かと思いますが、消耗しますね。

なのでよっぽどの時以外はそういう否定的なのはスルーして、キリスト教に関して肯定的なツイート、興味関心を表明するようなツイートを選んでいいね、リツイート、リプなどをしています。消耗しないで有益なので。

実は大学1年までは僕自身「はなから宗教を見下しているような人」で、宗教はアヘン・害悪だと本気で思ってました。路傍伝道で出会ったクリスチャンを論破しようとして教会について行ってバトルをしかけ、論破され、愛され、改宗しました。なので最悪なバトルでも神様が善用した実例でもあります。

キリスト教を害悪だと思ってる敵対者でしたが、今は自分が敵対していたキリスト教を広めるためにキリスト教に友好的なメディアで仕事してます。僕を変えたのは出会ったクリスチャンを通して示された神様の愛です。敵を愛し友に変える愛です。敵を愛する愛は現代の日本でも存在します。僕が実例です。

イエス・キリストの教えと生き様死に様復活を通して愛を知る

神が自分を愛してることが分かり、愛を受け取り喜ぶ

神を愛したいと願う

神の言うことに聞き従い、また神が愛する者を自分も愛したい

実は神は全人類愛してる

自分も全人類を愛したい

全人類に敵も含まれる

敵を愛する

聖書読んでいきなり敵を愛するのは、ベンチプレスMAX30KGあげた人が次の日に100KGあげようとするのと同じくらい無謀です。足し算をやっと理解した子が次の日にいきなり微分積分の問題を解こうとするくらい無謀です。まずはイエス・キリストの十字架と復活が自分のための愛だと知り受け入れることから。

僕も小学校のころに足し算を学んだあと算数と数学の概念を一つづつ積み重ねて高校生になってやっと微積ができるようになりました。陸上部の投擲選手として高1の春に30KGを10回くらい上げてから、2.5KGづつ増やしていってやっと高3の夏に100KG上げれるようになりました。愛も積み重ねと試行錯誤と鍛錬。

30KGしか持てない人に100KGを持たせると首か胸が潰れて最悪死にます。100KG持てても10回上下でバテる人が11回目を無理にすると死にます。敵を愛すると下手したら死にます。自分の愛の最大出力と反復限度を知りリスクを避けつつ、イエス様を手本に、昨日より少し難しい愛の課題に挑戦すれば成長します。

100KG上げて途中までしか上がらなくても代わりに上げてもらえるように隣に2人スタンバイしてもらうように頼みます。愛の課題を実践する時も、祈りを通して神様に知恵と力を助けていただき、時には他のクリスチャンと協力すれば、一人でやるより安全に確実に遂行しやすくなり、より多く教訓を学べます。

敵を愛することは困難で、いきなり挑戦しても無理です。だからと言って必ずしも一生不可能なことであるとは言い切れません。神に助けを祈り乞い願い、日々イエスに倣って昨日より少し難しい愛の課題に挑戦するうちに、ある日気づいたら自然と敵も愛していた。そういうものだと僕は信じ、生きています。

「神を愛せ。隣人を愛せ」の戒めを知りつつも、昨日愛の行動を示すことができた機会を逃したのなら、その「愛さない罪」に向き合うことから逃げずに悔い改め、昨日の自分を十字架につけ、心を新しくして今日復活し、イエス・キリストと共に愛のくびきを背負ってみよう。種をお育てになる神様を信じて。

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