方丈記に思いを巡らせる vol.2 食べ物編
今回は、食べ物について考えてみる。(ここに記載することは実験結果や統計に基づく有力なものではありますが、まだ解明されていないことがほとんどの人体に関わるものであるため、もちろん全てではありません。持って生まれた体質や遺伝子的要素もあるので、自身にあった医療や、食べ物を無理せず少しずつ選択されて下さい。)
福岡伸一氏の「もう牛を食べても安心か」は、食に対する考え方が一気に覆るほど私に影響を与えた書物である。
詳しくは是非読んでいただきたいが、本書は、アメリカのシェーンハイマーという科学者は、口に入った食べ物は分解され分子になり、身体の構成分子の中に入り込み、それと同時に身体の分子は高速度で分解され排出されるということを発見した、という事実を基に狂牛病が広まった理由(肉骨粉を摂取した牛を食すことの危険性)、そしてそれがヒトに伝染した理由について語られている。それから、食、医療、自然環境について人が人為的に行うことへのリスクとその理由が書かれている。
シェーンハイマーが発見したことは、ヒトの身体を一つの流れ(川)としてとらえ、それが新たに流れてきた食物(水)にとってかわる、という生物の体内における方丈記の冒頭部の適用を証明したこととなる。つまり、ヒトの身体は食べ物により常に新しくなり続け、もう以前の自分は物理的には全くいない、ということになり、生物は食べたものそのものということになる。そう考えると、口にする食べ物は決してむげにしてはならず、きちんと自分自身で選択していかなければならない。
遺伝子組み換え食品や、ゲノム編集食品が安全だと謳われているのに対し、警笛を鳴らす方が多いのも生物としての流れを無理やり変えてしまったことにある。
遺伝子組み換え食品とは、全く別の遺伝子を結合できる技術で、例えばトマトに牛肉の遺伝子を組み込むと牛肉味のトマトとなる。
ゲノム編集とは、ゲノムとは細胞中もDNAに記録されたすべての遺伝子のことをいうが、DNAとはらせん構造であり、その中の遺伝子のある部分をピンポイントで切断し生物の特質を変える技術のことをいう。例えば、何年も腐らないトマトを作りたいとする。そうすると、その腐る遺伝子をゲノム編集で消滅させれば、腐らないトマトができる。
遺伝子組み換え食品や、ゲノム編集食品は、生物のあるべき流れを無理矢理人為的に阻害している。それを食すヒトの遺伝子や身体に害が生じないか、というと政府等が安全というのは直ちにであって、一生涯生じないという確約とはいえない。
こういった食品が生まれた背景としては、人口が増大しつつある中、その食を賄っていかなければならない。最初は飢餓を抑えたいという社会貢献から始まったとしても大量生産できるものは、次第にビッグビジネスになっていく。そうすると、何か動物実験だけでなく、人体に影響があったとしても、ビジネスに支障があるから隠蔽せざるを得ないという状況もあるのではないだろうか。
それは大方どこの会社でも同じである。例えば、私が勤めていた会社は公共事業をするところであったので、それを例えばにして挙げてみる。どうしてもある事業を実行したいとする。だが、それをするには近隣住民の生活に何らかの影響は必ず出る。でも、実際に説明する場合は、良いことを取り沙汰して、不都合はオブラートにくるみ、今までと何ら皆さんの生活は変わりませんよ、と言って事業を進める。その事業によって、誰かは潤い、誰かは苦しむ。そこには、社会的な強者と、弱者との明暗がはっきりと別れる。それが、ビジネスというものだと思うし、当然のごとくどの企業も社会貢献は建前であって、本音はわが社や関連会社の更なる発展である。
だからこそ、消費者はビッグビジネスの食に流されるのではなく、自分の身体にあった食を自身の身体に応じて選択して流していかねばならないと思う。
そこで、T・コリン・キャンベルという栄養学者が中国の農村部の調査をした「チャイナ・スタディ」という書物を例に取ってみる。(こちらも、興味がある方は、是非読んでいただきたい。)
本書は福岡氏のものが生物実験に対し、こちらは統計から得た結果で、アプローチの仕方が違うものの結論は同じで、本物(定義は難しいが、身体に良い)の食べ物を摂取せよ、ということである。
キャンベル氏は、中国の農村部と、アメリカ等のガンや糖尿病といった現代病が多いところの食生活の違いを比較した結果、中国の農村部では、乳製品や卵を含めた動物性たんぱく質を摂取していない、という結論に至ったというものである。
本書によると、遺伝的要素や体質により病気になるのではなく、摂取した食べ物の影響により発病するという。そして、未精製、未加工の植物性の食事を摂取することは病気の予防や、病気の改善につながる、という。同じ食べ物を摂取していたとしても、ヒトによってかかる病気が異なる。それが、遺伝や、体質の違いによるものであるという。
話を、日本国民全体に関わる法の問題に変える。
ある女優さんの発言で一躍有名になったのが、種苗法の改正である。
この法は、情報が錯綜していて、何が本当なのかよく分からない。だけれども、政治家が国民のことを考えてやってるか、というとやはり人のすることである。当然自分や、自分に関連する事業や、ある特定のビジネスが潤うようにしたい、というのが人の常である。だから、法改正の本音は隠すであろうと思うと、女優さんの懸念は多いに一理あると思う(発言された内容は知らないが)。
種子法という法律は、日本国民が飢餓で苦しんだ経験を生かし、もう二度と日本国民が苦しまないよう、日本人の主食である作物を国が守る目的で制定されたものであったが、2018年に廃止され、その後すぐに、農業競争力強化支援法が制定されたという。その結果、日本人の主食である米、麦、大豆といった作物が国や地方自治体に変わって民間企業が権利を握ることになるという。ある特定の企業のための、ビジネスであると想定できる。
その2つの法の撤廃や制定後にもちあがったのが、種苗法の改正である。マスコミはシャインマスカットが海外に流出したから、日本の宝である貴重な苺やブドウ等の優良品種を海外に流出させてはならないから、種苗法を改正するのだという。さて、それは大変だ、と思ったが、シャインマスカットとはなんぞや?と思った。
種苗法は国内法であるので、改正したところで、海外への流出は防げないという人もいる。
そこで、ふと思い出したのが、通う農業学校を探すための説明会に参加していた時期があり、とある学校が、アフリカの農業支援のために、苺の栽培を試み、成功したという話があった。それはすごいと思ったが、どうやってアフリカで苺を保存するのか、そして主食でない作物でどうやって飢餓が救えるのか、と疑問に思ったのを思い出した。
国は、海外へ優良品種が流れることを問題視しているが、果たしてそうなのだろうか?もし、その品種がお隣アジアへの流出ではなく、日本が飢餓に対して多いに途上国に貢献できた、ということだったら、問題にしただろうか。
宮崎にへべすという柑橘類がある。だが、それは高千穂でしか、へべすにならないという。それを持ち出して他のところで育成した場合、全てかぼすになるという。その、高千穂独特の気候・風土がへべすを育てる。そうすると、海外では、シャインマスカットにならない可能性が高い。
そこで、シャインマスカットに固執するからよく分からないのであって外ではなく内に視点を合わせると、恐らく次第に真実が見えてくるはずである。
今まで原則農家は自分のところで種を採ることが原則可能であったが、種苗法の改正により農水省が登録している品種においては農家は自家採取禁止となることが、大きな問題となっているそうだ。在来種は、自家採取可能で農家には何らかの影響はでないとのことだそうだが、公的機関から民間企業に無償で譲り渡された種のデーターは、どんな遺伝子操作されて、特許を取得されるかも分からないし、それと、農家が長年培ってきた種が自然に交配してしまった場合、農家が賠償責任を負う可能性もあるとのことである。ただ、今の段階では、そうなる恐れという話らしい。
何れにせよ、種苗法改正という川が流れ出した場合、真実が初めて明らかになることではあるが、一度流れ出すと、未来がその水になり、簡単に変えることはできない。今一度、農家が受ける影響がどのように我々の生活に関わってくるのか、考えてみて、家庭菜園をしてみたり、食に向き合い己と子孫にとって良い食のあり方を選択した方がいいと思われる。そして、一人一人が食に対する選択肢がたくさん残されており、飢餓に苦しむことのない社会を残したいと思う。
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