人生の最期を迎えるための教科書
『エンド・オブ・ライフ』を読んだ。
この本を知ったのは、小川糸さんのエッセイ集『グリーンピースの秘密』だった。
本書で小川糸さんは『エンド・オブ・ライフ』について触れられている。
糸さんは、これをもっと前に読む機会があったとするならば、『ライオンのおやつ』という小説をきっと書いていなかったと記している。
(『ライオンのおやつ』とは、末期癌の若い女性がホスピスで夢のように温かな人生の最期を迎えるお話で、死を怖がって亡くなられた糸さんの母を想って書かれたものだそうだ。)
その理由については、明記されていないのだが、私は、終末医療のリアルを知りたくなって手にした。
『エンド・オブ・ライフ』とは、京都の渡辺西賀茂診療所の在宅医療について描かれたノンフィクションだ。
在宅医療とは病気やけがで通院が困難な人や、退院後も継続して治療が必要な人、自宅での終末医療を望む人などのために、患者の自宅を医師や看護師が訪問して行う医療のことをいう。
2013年から2014年にかけて作者の佐々さんは、その診療所に勤める医師と看護師に同行し、在宅で人生の終わりを迎える人たちの取材していた。
ところが、人の死をテーマとしたものを多く書かれていた佐々さんは、心身に不調をきたし、本が書けなくなってしまう。
そんな中、2018年に、その診療所の男性的看護師である森山さんが末期癌になり、佐々さんの元に、将来、看護師になる学生たちに、患者の視点からも在宅医療を語った教科書を作りたいから共著して欲しいとの森山さんからのお願いの連絡が入る。
それをきっかけに、また佐々さんの作家としての歯車が廻りだす。
そうして、森山さんが2019年の春に最期を迎えるまで、がん患者となった彼から取材したこと、そしてかつて看護師として診療所に勤務していた彼や、診療所のスタッフから取材したことを織り交ぜながら描かれたのが本書だ。
取材の開始時に、診療所の院長である渡辺さんは、佐々さんのどうして在宅医療を始めたのかの問いには的確に答えず、鴨川を指し、方丈記の冒頭部分を唱える。
『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし』
この言葉が、本書全体を的確に表現している。
河の流れのように、人も入れ替わってゆく。この舞台から流れ去ろうとしている人たちにこの診療所のスタッフたちは自分たちの仕事であろうとなかろうと、しっかりと生き抜いて、拍手喝采の中舞台を降りて欲しいがために、人生最期の日までにやりたいことを一緒になって叶えてあげようとする。
人もそれぞれを河に例えると、海というあの世に旅立つまでに長い河、短い河もある。長さは、もともと持って生まれた寿命もあるだろうし、生き方によっても左右されるものだと思う。
そして、海に出るまでの間、流れは真っ直ぐ、順風満帆に進むことはない。濁流の日もある。でも、濁流の後は、澄み切ったきれいな美しさを放つ流れになる。
多くの死を看取ってきて、自身にも死期が迫った森山さんは『人は生きたように死んでゆく』という。
その言葉のとおり、佐々さんは取材をとおして、多くの人に優しさを振りまいて生きた人は、多くの人に自身の経験を学ばせ、そして、去り際に贈り物を遺してゆくことを知る。
そして、中には、分かっていても家族や周囲に愛をかけることのできなかった人は、自ら死を選んだりするようになったりする。
生きることとは、人生で様々な岐路にぶつかって、様々な選択をしながら、自身の河の流れを作ることなのだと気づく。そして、当然、死が近づいて来たと悟ったときに、どのような選択をするのかも多いに自身の河に影響してくる。
自身の病を知った森山さんは、がん患者と呼ばれることを嫌い、死に徹底的に抗い、徹底的に好きなことをして生きようとする。
私はその一連の行動が、家族や、読者、医療従事者のために森山さんが敢えて実行し、敢えて遺した最大のメッセージだったのだと感じる。
そして、アメリカの精神科医で多くの死にゆく人と関わったエリザベス・キューブラー・ロスが著書『死ぬ瞬間』で語る、受容の五段階を実践してゆく。
受容の五段階とは、死期が迫ると多くの人は否認をする。その次に怒り、取引の感情が出てきて、抑鬱、そして受容という段階をたどるというものである。
西洋医学での治療は手遅れとなっている森山さんは、勤めていた診療所との関わりを断ち、死に抗ってみるために、スピリチュアルな治療、自然療法、ホメオパシー等試してゆくのだが、全く効果が現れない。
そして、自身も看護師のときに行っていた余命の見立てや、死ぬと思われること等に対して苛立ちや怒りを感じだし、がんを擬人化して、がんと交渉しようとする。
その後、死を悟り、抑鬱、受容を経て、やりたいことをやりつつ、自身で見事に死の段取りを整えていくのだ。
そして、最期は身体の痛みに耐えかね、セデーション(鎮静)でそっと息を引き取ってゆく。
セデーションとは、医療用麻酔をかけて意識のレベルを落として眠らせる方法で、そのまま息を引き取ることも少なくないと言われている方法だ。
本書では、近代ホスピスの創始者といわれる、シシリー・ソンダースによる、痛みの4つの分類についても記されている。
身体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛み、そして、スピリチュアル・ペインがあるそうだ。
身体的な痛みとは、病気、ケガ等による痛み、精神的な痛みとは、不安や恐怖、怒りや鬱などの心の痛み、社会的な痛みとは、社会的に孤立したり、経済的に困窮すること等の痛みで、スピリチュアル・ペインとは、自身の人生や存在等の意味の答えが出ないことによる痛みであるそうだ。
終末期の医療も進歩し、現在では痛みのコントロール可能となってきたという。そんな中、本書に登場する人々の全員といっても過言ではないくらい、スピリチュアル・ペインによる苦しみに、もがいていた。
医療の選択も複雑化し、ある程度の寿命もコントロールすることのできる現在、本当に必要になってくるのは、心のケアではないだろうか。
在宅医療の取材をとおして彼らから様々なことを学んで来た作者の佐々さん自身にも、最後にちょっとした変化がある。
いつかは必ずくる死をきちんと迎えるべく、自分の心に忠実に、身体を大切にするようになるのだ。
死は忌むべきものではなく、見方を変えれば多くの人に学びや贈り物となるものであり、無駄なものでは決してない。
本書は、医療従事者の方に限らず、多くの人の教科書になるものだと思う。
老若男女の多くの事例がここに記されているため、読み終えたときには、私自身の希望する最期も自ずと出て来た。
病院か、それとも在宅医療を選ぶか、延命治療(胃ろう、人工呼吸器等)を希望するか、それに限らずどこまで西洋医学による治療を続けるか、どこで止めるか。それは、正解はないし、出会う医師の裁量に多いにかかってくるのかもしれない。
それでも、最期が迫って来たとき、大切な家族と最期の時間を過ごしたいとの意志を貫き通し実行した森山さんや多くの方々の姿が、最期まで大切なものを守りつつも、好きなことをやって貫いて生きた方がいいよって、背を押してくれている様な気がしてならない。
(了)
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これは、下記の本の読書感想文です。
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