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孤独のない社会の実現について考える

孤独に陥る過程は様々あるけれど、味わう孤独は同じようなものなのかも知れない。

最近、孤独について考えるきっかけになったのが、母の友人に起きた出来事だった。少し哀しい話になるが、大事なことだと思うので、記しておきたい。

私の母の友人Yさんが、独り自宅で亡くなっていた。今年の9月の上旬まで、その死は、誰にも気付いてもらえなかったそうだ。
Yさんの家庭は崩壊していた。その原因は、妻と子に全く愛のない旦那さんにあったのだが、その旦那さんとは数年前に離婚した。
実家が裕福であったYさんが自身の両親から譲り受けた遺産は、旦那さんに自宅を除いてほとんど全て持って行かれた。そして、お子さんの一人は自死され、もう一人は行方知れずで、独りで生活されていた。
母との交流は細々と続いていて、今年5月上旬にYさんに会ったときは、心臓に疾患がありいつ亡くなってもおかしくない状態だとYさんは語るものの、とても元気そうだったという。
それがYさんの姿を見た最後になった。翌日の朝、私の実家のポストにYさんからの手紙が入っていたそうだ。
それにはこう書いてあった。
『いつも、いつも幸せです。いつも、いつもありがとう』

それを母から聞いたとき、Yさんの死は孤独死ではなく、病気でありながらも、愛のない相手に依存せず、孤高に最期を全うして生きることを選択した、尊厳死ではないかと感じた。
それでも、Yさんは緩和ケアを選択したり、別の方法はきっとあったはずだ。そして、身近にきっとあふれている孤独と貧困、病、死の問題は決して他人事ではない。それに対して、私はどう向き合ってゆけばいいのだろう。

家族の形態が小さくなりつつある昨今、似た様な事柄はどこかで毎日起きているはずだ。
孤独、貧困、病、死等の問題が完全に解決することは、世界の平和が達成されるくらい難しいことなので、ここではテクノロジーの観点から問題に切り込んでみることにする。

私は、孤独でいることがすごく好きで、独りで過ごす時間がとても大事だ。
それは、本当の孤独を味わったことがないからだと思う。
社会人になってから一人暮らしを始めて、孤独を感じたこともあった。だが、とても良い距離感のある優しさで助けてくれる人たちに恵まれた。その人たちは、皆一様に、孤独や病、家族等の様々な苦しみから活路を見出して来た人が多かったように感じる。

数年前から、社会で、あらゆるハラスメントに名称が付けられ、その問題が認識されるようになりだしてからだと思うのだけれど、親切心が仇になることを怖れ、口にして良いこと悪いことことの線引きが非常に難しい事象が増えたのか、私を含め、新社会人に声をかける人がめっきり減ってしまったように感じる。
もちろん、ハラスメントの相談窓口等を作ることで、明らかなイジメや差別に歯止めがかかるのは良いことだ。しかし、それに歯止めがかかるのではなく、心からの優しさに歯止めがかかってしまう事例も多くあるように感じる。
社会に転がっている問題は、性やハラスメントの問題だけではなく、もっと多様なことだ。
だが、人は自身の経験なくして、なかなかそれらを理解することは難しいと思う。

多様な社会での生き方の難しさや孤独、人と関わることの怖れが、人工知能AIに判断を委ねたり、ロボットの家族を求めたりすることに繋がっているのではないだろうか。

カズオ・イシグロさんの『クララとお日さま』という小説では、AIロボットの目線から学んだ家族や、人の孤独、エゴや生死、環境の問題等が描かれる。
本書では、人はロボットに愛着を感じることはあってもそれが愛情に変わることはなく、ロボットが誰かの姿形、性格をコピーしたところで、唯一無二の存在である人そのものに取って代わることはできないのだということが記されている。
そして、家族や他者との関係は、ロボットが命令を聞く様に思いどおりになることはないこと、それは良い方向にも悪い方向にも進むのだけれども、だからこそ人生が愛おしいのだということが描かれている。

人を生かすことができるのは、人なのだ。

堤未果さんの『デジタル・ファシズム』では、子どもの教育がタブレット等によるAIを搭載したものに移ってゆくことは、非常に危険だと述べられている。教育のデジタル化は、子どもが努力して考える過程を失わせることになり、それは物事の多様性を知ることを妨げ、想像力を伸ばせなくなることに繋がって、時間をかけて物事が創られてゆくことを待つことができなくなるという。それは、私自身も、非常に思う所がある。

私は、算数や数学しかできない子どもだったが、最初からできていた訳ではない。
出会った数学の先生たちは、答えをすぐに教えてくれなかった。
時間をかけて問題を解くことの大切さを教えてくれて、答えはいつも一つだけれども、その解き方は何通りもあり、それを自分で見つける様に導いてくれた。
それが、答えへのアクセス方法を自分で無数にある中から選択することに繋がったように思う。
難しい問題が解けたときの嬉しさといったら筆舌に尽くし難く、だからこそ、その教科の学力だけは伸びたのだと思う。

答えを解く鍵はたくさんあるように、孤独を解決する鍵も至る所に存在しているはずだ。

私が、河川の水門等を管理する事務所で働いていたときに、現在では多く導入されているものではあるが、これは面白いと感じた技術があった。
水門のゲート操作は一般的に機械や電気部門の専門とされていて、土木が専門の私には、専門外のものである。しかし、管理の仕事は専門外であっても、ある程度の知識を習得して、どんな分野であってもこなせることが必要となってくる。
電気設備や機械設備の専門知識が全くない私にとって、ゲートを操作する際にどのスイッチをオンにして、どのボタンを押すのかということは、まるで地球を爆破するボタンを押すような恐怖を伴うことがある。
そこで、素人でも操作ができるようにと機械を担当する先輩が、とある企業と共同で開発したのが、水門の機械設備に付けられたQRコードをタブレットで読み取ることで、自身のペースで一つ一つ確認しながらゲート操作ができるものだった。
これによって、素人の私であっても、手順を確実にこなして独りでゲート操作を完了したこともあった。

また、ヘッド・マウント・ディスプレイという眼鏡のようなものとイヤホンを装着すると、遠隔地にいる技術者が、装着している人の見ているものをパソコンで、同時に見ることができ、かつ、装着者に指示することもできるというものも開発された(NHKの番組『タイムスクープハンター』で、要潤さんが杏さんと通信を取り合うために使っていた様な感じのものです)。これは、孤独で操作することに恐怖があった私にとって、正に、孤独を解消する装置の一つだった。

このテクノロジーは、専門的な知識のない人でもそれがあれば誰でも操作ができ、緊急事態が起きても必ず誰かが対応できる。そして、同時に現場を一緒に確認してくれる仲間がいる、という安心感がある。
人の仕事にとって変わるテクノロジーではなく、人と共にあって、人と共に成長するテクノロジーがあるということを私はこの経験で学んだ。
そして、それは未来への技術の伝承に必ず結びついてゆくのではないだろうか。

人工知能を導入しない、人が生き、活かされるための分身ロボットOriHimeの開発をされている方が、吉藤健太朗(通称オリィ)さんである。
主に重度の障がいや難病(ALS等)を抱えた方が、自身で遠隔地からOriHimeを操作することで、実際の身体は社会に参加することができなくても、もう一つの身体を使ってそれを可能にすることができるものだ。

オリィさんは、自身の病や不登校での孤独を味わったりする中で、人とコミュニケーションが上手くとれないという問題を抱えていた。
しかし、様々な出会いをとおしてコミュニケーションの改善の努力をされていく中、人は人を傷つけるが、人を癒せるのは人でしかないということに気付き、孤独をなくすためのロボットの開発をされるようになったそうだ。
今年は、OriHimeやバリスタロボット等を導入し、重度の障がいや病を持つ方が社会で働けるよう実験カフェを作られ、より実用的なロボットの開発に挑戦されている。

株式会社オリィ研究所をオリィさんと共に設立された方の一人、結城明姫さんは、結核に罹患され孤独を味わった経験からOriHimeには孤独を解消する可能性があると賛同され、OriHimeが完成した後、起業を提案されたそうだ。
しかし、お金儲けに興味がないというオリィさんに対し、結城さんが言われた言葉がとても素敵だ。
『吉藤が1人でやっているうちはそのままでいい。吉藤の情熱だけで進めていける。でも、分身ロボットを世界中の必要な人に届けるためにはチームを作る必要がある。吉藤がいなくなっても維持されるような社会のシステムにしなくてはいけない。社会のシステムはお金の循環、お金が回るから人が動き続ける。市場を作り、サービスを提供できる社会のシステムをつくるのがビジネスですよ』

また、OriHimeの開発に参加されている途中で、病状が悪化して亡くなられた方が遺された言葉も印象的だ。
『私が家族との会話に使いたいこともあるけれど、それ以上に、私が参加することで、私のこの経験が他の患者さんを助けることにつながる』

自分自身が誰かと繋がることで受け取ったバトンを増やして、より多くの方に配っていき、それを未来へと繋げていくことが孤独の解消になるのではないだろうか。

まず大切なことは、誰かと出会うことを諦めないことだと思う。
そして、自分自身の携わっている物事で誰かを幸せにできる方法はきっとある。
だから、発想を広げて、アイディアを形にしてゆくこと、孤独の解消のために自分が行った一歩は、必ず自分にとっても良いものとなって返って来るから、一人一人が絶えず努力を続けてゆくことが大事だと感じる。

(了)

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本記事を書くにあたり、参考にした文献は以下のとおりです。


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