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ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

私は、週に1度図書館に通っている。本が好きだからはもちろんだが、モノを増やしたくないのが大きな理由かも知れない。本も借りるが、DVDも毎週借りて見ている。大抵のモノは一度きりで、もう1回読みたかったり、観たいとはなかなか思わない。

そんな中でも、何十回と繰り返し観ているものがある。

私は、映画の中に何か大きな物事が起きる映画よりも、淡々と流れて行く日常生活の中でちょっとした変化や成長がある映画が好きだ。そんな映画は、何度も触れたくなる。

傷を抱えながら生きて過ぎてゆく日常生活の中で、葛藤しながら成長する姿が観られる映画が、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」と、「海街diary」である。

この二つの映画ともに、家族の死と家族の再生・成長を描く物語である。また、双方とも大きなアクションシーンがないため、俳優さんの高い演技力が求められるが、俳優さん方のちょっとした表情や仕草に本編では語られていない以上の物事を語ってくれる映画なので、本当に素晴らしい。

今回は、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」について記す。

本映画は、ジョナサン・サフラン・フォアによる同名の小説を原作としている。映画があまりに素晴らしくて、小説も読んでみたが、主人公の少年とその祖父の共同作業が原作と映画では大きく違い、映画が上手く描かれていたのと、映画では語られていなかったことが語られ過ぎていて、ちょっとがっかりしてしまった。それは、その家族の心に抱えていた闇が、映画ではその姿が言わずとも語っていたが、小説を読むと予想どおりでしかなく、語り過ぎることで小説がかえって薄っぺらく感じてしまったことにあると思う。

それほど、この映画は、読んで感じる以上に観て感じることの素晴らしさを教えてくれるものだと思う。また、この映画の主人公の少年が演技未経験者ではあるものの、演技がうますぎて、それが小説を越えてしまっていることが最大の原因である気がする。

この映画は、9.11から1年後のニューヨークを舞台としている。父親をテロにより亡くしたことから立ち直れない、少年(以下オスカー)とその母親がその死を受け入れ歩み出すまでの姿を描いている。

オスカーがどっぷりと向き合ったものは、父親の死であって、テロを起こした人物に対する恨みでも何でもなく、ただひたすら自分と父親との関係に目を向けているというところが、この映画の見所であり、そこにオスカーがどのように育てられたかという背景が言わずとも語られている。アスペルガー症候群の疑いがあるオスカーをそっと助けるのは、息子を失った祖母と、その祖母の夫であり息子を育てることから逃げたが息子の死をきっかけに妻の下に戻ってきたオスカーの祖父であるが、その二人の姿から、アメリカに住んでいながらも異邦人であることと、先の大戦で大きなものを失ったから、人の死も本心は淡々とではないのだろうけれど、受け入れざるを得ない人生を歩んできたことが分かる。また、そこに国や宗教等の違いにより人を差別しない、という生き方をしてきたことが分かる。それゆえに、亡くなったオスカーの父親は、差別や偏見をすることなく生きてきて、オスカーに偏見なくものを見る教育を施してきたのだと想像がつく。

オスカーは、頭が良く、その年齢の子どもが見る世界とは違ったものの見方をする。それゆえに社会に存在する多くの物事が怖くて仕方がなかったが、それを乗り越えさせるために父親が生前オスカーとやっていたゲームを父親の死後、多くの人の手助けを得ながら続行していくことで、亡き父親が望んでいたことが父親の死をきっかけとして悲しいけれども、達成できた気がしてならない。そうすると、単に人の死も忌み嫌うべきものではなく、そこから何を得るか、にかかってくる気がするる。

テロ事件以降、ニューヨークに存在する全てのものが騒々しく、恐怖でしかなかったがオスカーは人との出会いによりその人の背景を知り、物事を受け入れていく。またオスカーとの出会いによって人々は、家族関係を回復させたり、小さな変化を起こしていく。どんなにムダに見えたとしても、あきらめがつく時まで、行動してみるしかないのだと思う。

子どもの成長の妨げをしないよう見守りながら、先に行動するオスカーの母、そして高齢ながら、オスカーを立ち直らせるための手助けをする祖父母、生とはそして死とは何かを深く考えさせられる。

そしてオスカーが愛読していた、「ホーキング、宇宙を語る」にも、この映画に意図されていることがあるように感じる。晩年は、尊厳死としての安楽死を自分で選択する可能性もある、と示唆していたホーキング博士であるが、20代前半でALSを発症し、その闘病生活は凄まじいものであったと想像つくが、寿命を全うされている。ホーキング博士はかつて、「患者には、もし望めば自分の命を終わらせる権利があるべきです。しかし、私は(安楽死は)大きな過ちだと考えています。どんなに人生がひどいように思えても、いつだってできることはあり、うまくやることもできる。命があれば希望はあります。」と述べられたこともあった。

この映画は、どんなに人に迷惑を掛けたり、苦しめられたりすることがあったとしても、また、病気であったとしても、全ての人にはそれぞれの役割や学び伝えていくことがあるしできる。もし苦しみから逃げたとしても、また克服できる状況になったら対峙したらよい。ただ、生き抜くことから逃げてはいけない。生きていく、それだけで誰かに影響を与えるし、それで良いのだ。ということを、伝えたかったような気がしてならない。

生や死に悩む人、大切な人を失った人、大切な人がいる人、家族に悩む人…。全ての方に是非観て頂きたい映画である。



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