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旅路の果てに

2019年の夏頃、私が幼かった頃から行きつけだった、商店街の一画にある映画館が、80周年の無料上映会を開催した。

その映画館に行く機会がなくなった遠く離れた地で、会社員として生活していた私は、映画館のホームページでそのことを知った。
行くことはないだろうと思いながらも、どんな映画が上映されるのかをチェックしていた。
それが私の、密かな趣味だった。

最後に家族と、そこで映画を観たのは、中学生くらいの時だった。
だが、その年ごろになると、家族とではなく友達と大型ショッピングセンターの映画館に行くようになっていて、それから先は一度も訪れていない。
便利な複合施設の映画館が主流になり、次第に昭和レトロな映画館が廃業し続けてゆく中でも、その映画館だけは生き残っていた。

廃業の危機を乗り切れたのは、おそらく、その映画館と同世代、もしくは、その子ども世代の人たちがその場所を愛し守ったからではないかということと、上映する映画を最新作ではなく、過去にヒットして、ロングランされていたものに切り替えたからではないかと思う。

そうして、街の人々と歴史を刻みながら80周年記念を迎えた無料上映会に選ばれた作品は『グリーンブック』というものだった。
ホームページで公開されていたビジュアルは、晴れ渡るようなブルーグリーン色の車の、運転席に座るガラの悪そうな白人男性と、腕を大きく広げ悠々と後部席に座る黒人男性だった。
車の鮮やかさと対照的な二人の男性の姿は、圧倒的なインパクトがあって、一瞬で私の脳裏に焼き付けられた。
この映画を記念日に選んだ理由、私はなぜだかそれを知りたいと思った。

最近の、私の映画鑑賞法は、専ら図書館のDVD頼みである。
図書館だと、ディスプレイの仕方で図書館司書の方々のイチオシ映画が分かる。それを借りてみることで、新たな出会いや発見があって、不思議に人生が広がってゆくように錯覚することがある。

先日、図書館のオススメコーナーで見つけたのが、あの『グリーンブック』だった。
多くの映画をネットで鑑賞することができるようになったが、様々なジャンルの厳選された中の一本に、私が恋い焦がれていた映画に巡り会える可能性は低い。
それだけに、出会えた時の喜びもひとしおだ。

『グリーンブック』は、1962年のアメリカを舞台にした実話だ。
ニューヨークの高級ナイトクラブで用心棒として働く、イタリア系アメリカ人の粗野で無学なトニー・リップが、天才黒人ピアニストのドクター・シャーリーにツアーの運転手としてスカウトされる。
シャーリーの目的は、勇気が世界を変えることを証明するため、黒人差別の色濃い南部で演奏ツアーをすることだった。
二人は黒人用旅行ガイドブック(グリーンブック)を頼りに出発する。

本作は、私の予想を超え、とてもいい映画だった。
ピアノの音色も美しく、音楽作品としても楽しめる。しかも、後味の悪さ等が全くない。

トニーは貧しい家庭に生まれ育ち、教養がなく、家族のために一生懸命働く日々を送っている。
一方、シャーリーは黒人だが、学歴があり、裕福で才能にも恵まれている。
当初、トニーもシャーリーも、お互いがお互いに対し、こころの中では、偏見を持ち、差別している。
二人を観ていて感じたのは、得体の知れない相手に対して、自分との差や違いを比較し分けてしまうのは、動物としてのヒトに備わったある種の、身を守るための本能のようなものでもあって、それ自体は完全に否定することはできないということだった。
打ち解けていない相手を警戒することは、誰にでもあることで、悪いこととは断定できない。
もちろん、二人の間に存在する差別や偏見とは、集団化したものが、ある特定のものを弾圧、迫害、搾取したりする、暴力を伴う凶器のようなものとは全然違う。

二人は長い旅路の中、双方ともに出会う人々から差別を受ける。
その中で、お互いを観察し、知り、時に争い、今まで受け入れなかったものを徐々に受け入れ、芸術を愛し、ラストには、お互いに支えあう関係性に変貌している。

そして、この映画の最も素敵な点のひとつは、全く慣れない孤独な環境に身を置いた、自分自身に向き合う彼らの姿を観せられることにある。
自分ですら何者かを理解していない自分を、旅と共に探し続け、自分とは何かを問い、変わり、成長しようとする過程が描写されているのが最高だ。

『グリーンブック』を見終えて、あのレトロ映画館に思いを馳せてみる。
そうすると、芸術を提供してきた映画館という場所と、その場所と共に走り続けてきた人々が、トニーとシャーリーの姿と重なってみえて、『グリーンブック』が記念日の上映会になぜ選ばれたのか、その理由が分かる気がした。

例の映画館は残念ながら、昨年、火災により焼失した。
再建は難しいと一度は断念されたものの、多くの人々の支援のもと、同じ場所で再建されることとなった。

再開の記念日には、どんな映画が上映されるのだろうと、今から期待している。

(完)


本記事中の映画は、下記のとおりです。

ドクター・シャーリー本人による、ピアノ演奏を聴いてみると、もっと味があって面白いです。


その他のオススメ映画

○トニー・リップの演技に惚れた方
トールキンのファンタジー、『ロード・オブ・ザ・リング』3部作をオススメします。
トニー役のヴィゴ・モーテンセンが、人間の王、アラゴルンとして登場します。
容貌は違いますが、優しい仲間想いのところは同じで、こころが熱くなります。

○職場での差別に負けず、宇宙開発に尽力する黒人女性を描いたものを観たい方
『グリーンブック』繋がりで、図書館の職員さんからオススメいただいたものが、『ドリーム』です。
NASAを支えた3人の才能溢れる黒人女性の姿を描いた実話で、ドクター・シャーリー役のマハーシャラ・アリも出演しています。

○生き残った映画館を描いたものを観たい方
何度も閉館の危機に瀕しながらも、映画館を守り抜いた人々と、その場所を愛した人々を描いたものが、『オリヲン座からの招待状』です。


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