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【第1回:尾形光琳】おしえてトーハク松嶋さん!

おしえて北斎!-THE ANIMATION-」は、絵師になることを夢見るダメダメ女子高生の前に、尾形光琳、高橋由一、狩野永徳など伝説のスーパー絵師たちが次々と登場し、絵が巧くなるコツと夢を叶えるためのヒントを伝授していく、“日本美術”と“人生哲学”をゆるく楽しく学べるショートアニメーションです。

監督は、原作の著者にして生粋の日本美術マニアでもある”いわきりなおと”。そして、本作の日本美術監修をされたのが、東京国立博物館(トーハク)研究員の”松嶋雅人”さん。このお二人が、本作に登場するスーパー絵師たちについて語るロングインタビューを、8回に分けてお届けします。

第1回目は、第1話に登場するスター絵師”尾形光琳”(1658年~1716年)
日本美術を代表する絵師の一人で、京都の大呉服屋のお坊ちゃま。

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【尾形光琳ここがすごい!】
監督:第一話のテーマは「練習(努力)が大事!」。
尾形光琳と言えば、四十代で急に世に出てきた人気絵師、どちらかと言うと努力とは反対の「天才」というイメージがありますね。でも実際は、呉服屋の大金持ちのお坊ちゃま、小さい頃からファッションやデザインに触れ、絵や書道を習い、能や踊りもたしなんだ。努力していないというより、むしろものすごく努力してきた人なんです。努力量、練習量が多かったからこそ四十代になってからでもすぐに絵師になれた。天才と言われている人も、実はただ努力しているだけなんだよということを知ってほしくて、第一話に尾形光琳に登場してもらいました。

松嶋さん: そうですね。何百年も後世に作品が残るような絵師達は、一見、自分達とは違う星の下に生まれ、輝く才能をもっていると考えがちです。でも、絵師たちの経歴を辿っていくと、いきなり描けるようになったという人はまずいません。後で出てくる白隠(慧鶴)は、ある種そういう次元の上をいく人なので例外ですが、どんな絵師も努力を積み重ねて作品を生みだしています。イチローでも、素振りから練習をしないとイチローにはなれなかったでしょう。その方法はいろいろですが、努力なしで上手くなることは絶対にないんです。

Q.芸術はお金持ちのコミュニケーションツールだった!?
松嶋さん:京都でお金持ちといえば、社会的に上の地位にいる人で、古代では朝廷や大寺院。中世になると、武家が武力で領地を治めて、そこから上納金をもらってお金持ちになる。それが、近世になると商人になります。そして、彼らが何をしたかというと、今で言う芸術活動です。この時代は、能楽は趣味ではなく、半分仕事のようなもの。町衆達とコミュニケーションをとるためには高い教養を持たなければなりません。武家では客人を呼び、能を見せて「どうだ、面白かったか」とコミュニケーションをとる。お茶もしかりです。能も茶の世界も、人を呼んで価値観を共有して、互いに同じ方向を向いているんだという確認を行っていました。「嗜み」ともいえます。今どきのデキるビジネスマンには、美術・芸術の知識が必要だと言う人もいますが、実はそれはずっと昔から言われていることで、むしろ当たり前のこと。光琳が、非常に高いレベルの芸術的能力を発揮できたのも、京都で裕福な呉服屋に生まれ育ち、高い素養を持っていたからと言えるでしょう。

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Q.尾形光琳、一体何がすごいのか?
監督:デザイン的な「余白」、「省略」、「引用」僕はそこだと思います。絵を描き込むというよりは「間」を見せる。描いていないスペースに何かを想像させるカッコ良さです。よく例えられるのが、今でいうコピペという手法です。絵師というよりは現代のグラフィックデザイナーのような「センス」で見せるカッコよさがあります。

松嶋さん:日本の絵画史でいうと、尾形光琳は“琳派”。代表作である「燕子花図」などの特徴に挙げられますが、花々などが型紙を使って同じパターンで描かれている。いわきりさんがおっしゃるようにコピペのような技法です。ちなみに、智積院にある長谷川等伯の「楓図」も型で描いた作品です。いわゆるグラフィックデザインの範疇で、シルクスクリーンで表したかのように花の形をかたどったものを、配置しています。染色の型紙で染めて表す手法と同じ見せ方です。絵画と工芸は別物と感じる人もいるかもしれませんが、材料が違うだけで本来は一緒です。それが、呉服屋に生まれ育った光琳の環境に非常にマッチした。ただ、この手法は、光琳が始めたものではなく、日本の絵画の伝統そのものにつながっています。日本絵画は西洋とは違っていて、写実とは完全に真逆のものが発達して、それが「大和絵」と呼ばれています。ある職業の人間を描くときはこの型でといったように、造形していく上で「型」が完全に決まっています。元は、奈良時代に唐の絵画が日本に渡ってきて、それが連綿と続いてきた。光琳がやったことは、言ってみれば大和絵を先鋭化したということ。ですので、今見ても凄まじいデザイン性やかっこよさを感じることができる。特徴としては、彩色において、ある色面の中で色が変化しない。例えば、柱を描くには、ハイライトや影があれば、立体感がでます。でも、日本の絵画は、色面があったら一色だけ。平坦ともいえます。光琳の場合は、それが極まっていて、ポスターカラーで塗っているのと同じように見えます。だから私は、光琳はポスターカラーでずっと塗っているようなものといっています。でも、均質に塗るのは、極めて難しい技術で、美術学校で学ぶ日本画の4年生レベルでもムラが多くみられ、院生になってようやく消えるくらいだと思います。ですので、平面性を感じさせる絵を描くということは、実は凄いことなんです。

紅白梅図

【尾形光琳・裏話】
Q.絵師になってもモテモテ?そして、光琳、お江戸へ進出!?
監督:女性に裁判を起こされたなどの資料は残っていますね。絵師になった時には、お金を使い果たしてしまって、色んなところからお金を引っ張ってきたり、弟の尾形乾山(けんざん)から借りたりしていたようです。ちなみに、アニメではイケメンのホスト風でしたけども、光琳の自画像が残っていて、実際はちょんまげを結ったおじさんなんです(笑)。

松嶋さん:最初は家のお金を使っていたのに、使いすぎて絵師で稼ぐしかない…っていう流れになったのだと思います。遺産を使い果たして、京を離れて江戸へ2度ほど行きます。京都で光琳の絵は人気があったのですが、江戸では全く受けなかった(笑)。いわゆる「光琳の東下り」です。現代でも、お笑いで大阪と東京の感覚が全く違うように、上方(京都)と江戸では文化の違いがあります。歌舞伎でも、上方は人情の機微を描く「世話物」、江戸は切った張ったの「荒事」が中心、方向性が違うんです。 光琳は数年、江戸にいましたが、最終的には上方へ帰ってきました。

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