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ドイツ人の労働生産性が高い理由を、ドイツ在住6年の日本人が考えてみた。

ドイツの労働生産性が高いという評価は、広く受け入れられているようだ。これについて多くの著書も出版されている。

この要因としては、例えば、教育水準の高さや優れた労働環境、そして先進的な技術の導入などが挙げられているようだが、果たして本当なのだろうか。自身の経験をもとに、検証してみたい。

私は先日、Goethe B2 ドイツ試験に申し込んだ。これはA1からC2までの6段階の中の4番目を表すレベルで、日本の独検準1級に相当すると言われている。

昨年の初受験において、Lesen(読む)、 Hören(聞く)、Schreiben(書く)、 Sprechen(話す) の4つの科目を受けたが、Lesenを除く他の3科目は合格したため、今回はLesen のみを受験することになった。

Lesen のところにチェックを入れた願書とともに、メール本文にもLesen のみの再受験である旨を明確にして申し込んだにもかかわらず、Hören の受験票が送られてきた。

その誤りを修正しようと、運営団体に複数回メールで問い合わせたにも関わらず、しばらく返信はなかった。

それでも諦めずにメールを送り続けたところ、「この件について、確認してください。登録内容を修正して、受験者に連絡してください」という運営側内部の転送メールらしきものが、担当者ではなく、私に返信という形で送られてきた。

呆れ果て、20年間ドイツに住んでいる彼女に頼んで電話をしてもらったところ、数時間後に修正された受験票が送られてきて、問題はあっけなく解決した。

これは一例であり、ドイツに6年も住んでいれば、似たような経験はたくさんある。

「ドイツ人の労働生産性が高い理由」を私に言わせれば、それは単に、必要最低限のことしかしていないから、ということになる。

必要ないと思われることには時間を使わないし、ときには必要なことさえもしない。それは教育水準の高さとかいったものとは到底関係のない、いかに仕事を増やさないか、というだけの思想から来ているように思われる。

なお、Goethe試験は、ドイツで最も権威あるドイツ語試験と言われている。ただ、Lesen とHörenについてはマークシートに回答するものであるが、その採点は機械ではなく、人間の目視によりおこなわれている。先進的技術の導入なんてものとは無縁であり、マーク1つ分、合格点に満たなかったため不合格となった私の前回のLesen 試験結果も、その正確性が疑わしい。

ただ、ドイツ人の同僚たちと仕事をしていて個人的に感心するのは、6-7割の労力でそれなりのアウトプットを出して、それ以上はその件に時間を使わないという、「手離れの良さ」というべきものだ。その匙加減には、いつも気持ちの良さを覚える。

これが日本だったら、どうだろう。一部の人間にしか読まれないような内部資料であっても、その修正を何度となく繰り返すような印象がある。ドイツから見ると、日本ではさほど必要ないことにまで時間を費やしているイメージだ。

ドイツと日本、どちらが良いかということを言い切ることは難しい。ただ、日本で生まれ育った私にとって、ドイツで生活することは簡単ではなく、特に役所の手続きなどは不便や不満を感じることが多い。

最後に、私事になるが、ドイツに長い例の彼女との同棲を考えている。この異国の地・ドイツで、共に助け合っていくチームメートのような関係を、効率的に築ければ、と願っている。

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