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セクハラされて自殺しようとしてた鬱病患者だったが、『テニスの王子様』で超元気になった話

2017年4月、私は昼13時ごろの会社の会議室で死のうと思い立ち、ドアノブにPCとコンセントをつなぐケーブルを巻き付けていた。

私は2016年春に新入社員として大阪から東京の企業に就職して上京した。
大学では美術を学び、卒業後は作家として生計を立てたかったのだが、経済的な理由も相まって念願かなわず、泣く泣く就職した。
(就職難なこの時代に、泣く泣く就職する、といったような傲慢な表現をお詫びします)

『会社で一番多忙な部署』とやらに配属された私は、新卒として日々業務に励んでいた。今思えば、業務効率化を怠り右のエクセルに左のエクセルの数値をコピー&ペーストするような業務を朝から晩までやって「忙しい」とのたまっているような部署だったように思う。女は私一人だった。

元来負けず嫌いだった私は、「やるからにはバリバリに昇進してやる」という野心に満ち溢れていた。そのかいあってか否か、入社してわずか6か月で会社の6割程度の収益を占める事業の担当者に抜擢された。

もちろん新卒一人に任せるわけにはいかないので、サポーターとして部署で一番偉い人である部長とともに業務を行うこととなった。部長はその会社の執行役員も兼任していた。会社で3番目くらいに偉い人である。
2016年11月ごろのことだった。

ある日、執行役員にキスされた。
「仕事の話があるから」と呼び出された執行役員との会食(業務の話はほとんどなかったが)での帰りのタクシーでのことだった。私は驚きと腐ったどぶのような口臭に、とっさに反応することができず硬直し白目をむいた。

執行役員は当時40を超えた妻子もちの人物であり、外見は河童と酷似している。

そこからあまり記憶はない。タクシーから連れ出されたような気がするが、覚えているのは、あまりの不快感に道路の中央にうつぶせに倒れこんで「虚」になっている私に対して執行役員が上から覆いかぶさってなんらかを語りかけてきたことだけである。とにかく、口が臭かった。歯槽膿漏の子泣きじじいに乗っかられているような気分だった。

それからも、業務中、業務外を問わずに子泣きじじいからのセクハラは続いたが、主要な点でないため割愛する。
(もちろんだが、言葉行動ともに明確な拒否は常にしていた)

とにかく私は「就職先で全力を尽くそうとして頑張っている新卒」であり、「努力が認められて大きなプロジェクトを任されたにもかかわらず会社の重役からセクハラをされた哀れな新卒」だった。

それと同時に、「入社してわずか6か月で大きなプロジェクトをまかされる優秀な新卒」でもあったので、執行役員のセクハラの証拠を着々と集めていた。私が執行役員に対し肉体的接触を拒んだことからセクハラはやがてパワハラへと変わり、11月、12月と時間は過ぎていった。

1月4日に出社すると、私に子泣きじじいから個人宛メールが届いていた。

「あなたの勤務態度が悪いので、プロジェクトから外します」

要約するとそのような内容だった。
セクハラの証拠を集めていたものの、大きなプロジェクトを成功させて実績を残したいという野心も捨てきれずにいた私を人事のもとに走らせるには十分すぎる内容だった。

私は証拠として
・音声
・ラインの記録
・メールの記録
・会議室の使用履歴(セクハラをするために呼び出された際に使用されたもの)
などを人事に提出した。
説明を一通り終えたのち吐き気を催した私は女子トイレで嘔吐した。

幸いにも当時勤めていた会社の人事・総務部長が優秀な方だったため、その日のうちに私には一週間の会社都合の有給が与えられ、子泣きじじいは自主退職となった。

体重は一週間で7キロ減っていた。
問題が起こったことにより私が大切にしていたプロジェクトは他人の手に渡った。部署は男所帯だったため、私に対しての理解や労りはなかった。むしろ、「おまえ、なんてことしてくれとんねん」「お前のせいで部長はいなくなるし俺たち死にそうなんだが?」「セクハラくらい我慢しろや」という空気が蔓延していた。
父には「お前の心が弱いからこういうことになる」と言われた。父のラインはブロックした。

一週間の管理休暇明けに私に渡された業務は、「会議室の清掃」だった。

会社で問題を起こし、一週間の管理休暇後にやつれて帰ってきた新卒に対して、おそらく新しい上司は扱いに困ったのだろう。
重い業務を与えるにはまだ早いと判断したのかもしれない。優しさだったのかもしれない。ほかの社員のいら立ちを感じ取り、オフィスから遠ざけてくれたのかもしれない。が、私にとって「会議室の清掃」は戦力外通告と同義だった。

一人で会議室に張り巡らされたケーブルを束ねながら思った。
「今ここで死んでたら、みんな最悪な気持ちになるだろうな」

最悪な気持ちだった。人生で最悪な気持ちになったことは何度かあるが、上から数えた方が早いくらいには最悪な気持ちだった。
復讐したいとか大層なことは考えていない。ただただ家族や同僚、関わった人間が私くらい「最悪な気持ち」になればいいなと思った。

なので、冒頭にあるように私は昼13時ごろの会社の会議室で死ぬためにドアノブにPCとコンセントをつなぐケーブルを巻き付けたのだった。

根暗な性分かつ中2病だったので中学時代に「完全自殺マニュアル」を履修していた私は、記憶をたよりに自殺の準備をし、ケーブルを首にかけ、腰を下ろした。

バキン!と音が鳴り、私ではなくドアノブのほうが壊れた。

今時のドアノブは、自殺防止のために一定以上の力が加わると壊れるようになっているらしい。なるほどな…と感心すると同時に、わずかに残った理性で「死にたくねーな」と思った。早退し、精神科へ向かった。

医者にうつ病と診断され、休職を言い渡された私は、一日中部屋で泣いていた。その時には「悲しい」という感情はもうなくなっていたが、ただただ目から汁が出るので仕方なく泣いている、という感じだった。うつ病の症状には不眠もあるらしく、当時の睡眠記録を見ると、一日の平均睡眠時間が2時間だった。

私は本来、「カロリーは高ければ高いほどうまい」という信念をもっており、唐揚げなどのことは「食べる金塊」などと呼び崇めているような人間なのだが、当時は唐揚げを前にしても全く食欲がわかず、むしろテカテカと光る表面を見るだけで吐き気を催した。ショックだった。
食いしん坊という自分のアイデンティティーがうつ病によって揺らいでいると感じたからだ。酷いときには水も飲むことができなかった。
そんな中「ランチパック ハム&マヨネーズ」だけは唯一食べることができた。一袋を4日かけて食べる日がしばらく続き、東京喰種の主人公、金木 研になった気分を味わった。

私には同居している同性の2名の友人がいる。どちらも聡明で、信用に値する素晴らしい人間である。
当時の私の状況を2人は知っていたが、遠ざけるでもなく、構うのでもなく、ただ私がその状態であることを受け入れてくれた。これが大変心強かった。

何度か私がふさぎ込んでいることを見越して「一緒に映画見に行かない?」と誘ってくれたが、それに対し私は「元気がないので行きません」と人間として最低限の返信をした。OK~という返事が有難かった。

誰にもかまわれたくないが、無視はしてほしくない
そんなわがままな心理を受け入れてくれたような気がした。

ある日、共有スペースのリビングに行くと、同居人の一人であるU氏がミュージカルを見ていた。

テレビからは「これが俺のやり方 お前はただのでくの棒~♪」といった大変物騒な歌詞が流れていた。
その時は気にも留めなかったが、5時間後、再度リビングにお茶を取りに向かうとまだU氏が食い入るような目つきで画面を眺めていた。

「これが俺のやり方 お前はただのでくの棒~♪」

5時間前に聞いたフレーズである。
物騒な謎のミュージカルも怖かったし、おそらく同じ画面を繰り返し見ているであろうU氏も怖かった。

オタクハウス (2)

↑当時のU氏を再現したマンガである

次の日になってもU氏の奇行は続いた。
食い入るように画面を見ているU氏。テレビから流れてくるのはあの歌詞である。

「これが俺のやり方 お前はただのでくの棒~♪」
「あがいても無駄ッ! 考えてもッ無意味ッ!」
「俺のテニスの前では~♪ お前は死人も同然ッ♪」

今、テニスって言った??

「お前は~再び~テニスを~忘れて~ここから~去ることに~
な~る~だ~ろ~~~~~~う♪♪♪」

テニスの話なん??????????????????????
これ、テニスの話なん???????????????????????????????????????????????????????
歌詞は続いた。

「俺と戦ったことが 不運だったと あきらめるんだな~!!!♪」

同居人に自分から話しかけることもしなくなっていたのだが、流石に気になってU氏に問いかけた。
「何見てんの…これ…」

U氏「ミュージカル『テニスの王子様』The Final Match 立海」

なんて?????????????????????????

「この歌ってる人は一体誰なん?」
「幸村精市」
「テニスしてんのに、人が死ぬん?」
「この世界では、テニスで負けるんは死ぬのと同義やねん」

意味がわからないよ

意味が分からないので、黙って横でミュージカルを見ることにした。
ミュージカルには、はるか昔小学生の時にアニマックスでうんざりするくらい見た「越前リョーマ」の実写版が居て、「やっぱテニスって、楽しいじゃん!!!!!!!」と天にむかってラケットを突き上げていた。
うすぼんやりとしか覚えていなかった「大石」や「タカさん」「桃ちゃん先輩」といったキャラクターも登場していた。
(海堂だけは小学生時代バトミントンでブーメランスネークごっこをしていたので異様に覚えていた)
越前リョーマの対戦相手である立海という学校は、どうやらテニスに命を捧げている連中らしく、敗北したことで全員悔し涙を流していた。

「この世界では、テニスで負けるんは死ぬのと同義やねん」

命を懸けて戦って負けた人間の顔だった。迫真の演技だったので、
30分程度しか見ていないにも関わらずU氏の発言の説得力が増した。
そして、役者全員の顔がめちゃめちゃキレイだった。

思えば、2016年11月ごろからずっと「何かがキレイ」だとかそういう感情を失っていた。

U氏はその後も繰り返しリビングで「ミュージカル『テニスの王子様』The Final Match 立海」のDVDをみていたため、いつでも気になった時に一緒に見ることができた。

U氏がみていた回はミュージカル『テニスの王子様』における最終回的なものだったようで、悔しくも『テニスの王子様』の最終回の内容のみ熟知する結果となった。
最終回の内容は、
これまでのテニスの記憶を失った越前リョーマが強敵である立海大学付属中学のラスボス幸村精市と試合をすることになり、幸村精市の「相手の五感を奪う技」で苦戦を強いられるもテニスの楽しさを思い出し勝利する
というものだった。

何故越前リョーマは記憶を失っているのか
何故この幸村精市という人は五感が奪えるのか
そもそも五感を奪うとはどういうことなのか

もう何もわからない 役者の顔がめちゃくちゃにキレイということしかわからない 知りたい… テニスの王子様を…!!!!!!!!!!

自室でランチパックを食べながら一日22時間何もない空間を見つめ涙を流していた人間が、もうテニスの王子様のことを知りたくて知りたくて仕方なくなっていた。U氏に「テニスの王子様」のことを根ほり葉ほり聞いた。休職期間中一番喋った。
金銭的にも余裕がなかったので、マンガ喫茶に行って「テニスの王子様」を全巻読んだ。

気づいたら私は毎日テニスの王子様のイラストを描きまくっていた。
就職してからというもの、創作の道をあきらめてしまったという負い目から筆を持つことから遠ざかっていたのだが、もうそんなことはどうでもよかった。
食い入るようにミュージカルを見る イラストを描く 食い入るようにミュージカルを見る イラストを描く
怖いと思っていたU氏の姿に今度は私がなっていたが、もうこのテニスの王子様へのあふれんばかりの創造意欲は抑えることができなかった。

完全に元気になっていた。

完全に元気になった私は、医者からの「復帰してもよし」のお墨付きをもらい職場に復帰した。

復帰した私は、もとの『会社で一番多忙な部署』にもどることは許されず、バックオフィスの部署へと移動となった。
「会議室の清掃」どころではない。本当の戦力外通告である。

が、私は嬉しかった。
「これで早く帰宅できるし、テニスの王子様の絵が山ほど描ける~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!やった~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

仕事中も業務を行いながら「テニスの王子様で付き合うならだれかな~~~!!!!!」「桃ちゃん先輩がいいけど、モテそうだしアウトドアっぽいからな合わないかもな~~~!!!!!!」「菊丸先輩は付き合うとかじゃなくて回りでキャッキャ言ってるくらいがちょうどいいしな~~~!!!!」「現実的に考えてタカさんかな!!!!!!!!!」などと毎日考えており、それはもう楽しかった。私の身に起こったことは社内で知れ渡っており「執行役員をやめさせたやべー新卒」として腫物のような扱いをうけていたが、どうでもよかった。

たまに辛くなることもあったが、心の中の幸村精市が
「これが俺のやりかた~~~!!!!!!↑↑↑↑」と歌っていたので、私も「これが俺のやりかた~~~~~~~!!!!!!!」という気分で毎日出社した。
これが俺のやり方 執行役員を会社から追放して戦力外通告を受けても 腫物のような扱いを200名ほどの社員から受けても 出社して給料をもらうのが俺のやりかたなのである。
執行役員よ 俺と戦ったことが 不運だったと あきらめるんだな!

テニスの王子様のことを考えながら仕事をして、家に帰ったらU氏とテニスの王子様の話をする。幸せ以外の何物でもなかった。

テニスの王子様への情熱は冷めやらず、人生で初めて一人で同人誌を出した。2018年のことだった。
もう一人の同居人Nは、そんな私を若干不気味がりながらも暖かくオカンのように見守ってくれた。有難かった。

一時は会議室で死んでやると思っていた人間は、テニスの王子様に命を救われた。

1999年から連載が始まったテニスの王子様というコンテンツの発展が2017年まで続き、確実に一人の命を救ったのである。
ありがとうテニスの王子様…
ありがとう許斐剛先生…
ありがとうテニミュの顔の綺麗な俳優さんたち…
ありがとうこれまでテニスの王子様というコンテンツを買い支えてきたオタクたち…
全員に感謝を伝えたい。

私はそのあと会社を退職し、今はコンテンツを作る事業に携わっている。
私もコンテンツの力で誰かの命を救えたらいいな
そんな思いをもって毎日仕事をしている。




ちなみに、執行役員とはその後裁判でガチンコバトルを繰り広げることになるのだが、もし反響があればことの顛末をマンガで公開しようと思っている。冒頭の数ページのネームを下記に記載する。

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ネーム1

ネーム2-1

ネーム2-2

ネーム3

ネーム4

ネーム5


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(今はもりもり食べられるようになりました!!!!!!!!!)

追加

裁判のやり方についての記事も書きました

https://note.com/hokuro_90/n/n2989a0413949





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コメント (1)
一気に最後まで読んでしまいました。ほくろさんの経験をシェアすることで救われる人が必ずいると思いました。フォローさせて頂きます。ありがとうございました。
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