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DO TO(12) 「あれから好きな画家は河原朝生」

目の下のクマがひくひくしていた。エリにいわれて気づいたが、精神的なストレスの前段階だった。しかし、できない我慢を、するのが我慢だった。ここで自分の権利を手放したら負けだった。敵の思うつぼだった。ごたごたした状況を沈め、意地悪な嵐を黙らせるには、プレゼンを完璧に乗り切るしかなかった。「こんなことでへこたれてたまるか」と思った。すると私が原稿とにらめっこしている間に、エリがプレゼンの際のポイントを手際よくまとめておいてくれた。私はエリに感謝した。
いよいよ、発表の時がきた。原稿は完成したが、私はリハーサルの暇もなく、みんなの前でそれを読まなければならなかった。緊張していた。私はうつむいて説明を始めた。よく声がとおらず、おまけに早口で舌が上手く回らなかった。冷や汗が出た。すると茨木さんは私の言葉つきをあざけった。嘲笑い、せせら笑った。私を怒らせるための練りに練った作戦だった。パニック障害が聞いてあきれた。場の空気をひっかきまわす輩に、私は知らないふりをしていようかと思ったが、もはやそれもできないかった。私は無益な争いを避けるために、肩をそびやかし、自分の口ぶりを几帳面に詫びた。手際よく相手に釘を刺した。さすがの茨木さんも口を閉じざるを得なかった。みんなの注意は必然的に私に集まっていたが、これで、私はすっかり落ち着くことが出来た。 
それから私は自分の企画を言ってのけた。自分が考えた企画だから言うまでもないが、一つ一つをはっきりとした口調で説明した。その理論が鋭くさえわたってくると、教室は静まり返った。発表は質疑応答に移った。私はやっとそれで、いくらかほっと安心のため息をついた。いつもの呑気でお人よしの気分を取り戻した。ところが、各班代表からの質問が終わり近くになって-僕らの足の理論に対する全面的な反論が飛び出した。
「生物学的な進化論は、足という機能の文脈ではなく、適応という角度から認められるべきではないか」という鋭い指摘だった。
私は頭が真っ白な状態でしゃべりはじめたが、途中で思わず言葉に詰まり、まごついてしまった。鋭い弾丸に足が貫通して動けなくなった。
その時、追い詰められた私に援軍が出された。エリが私にかわって手を挙げて発言してくれた。大いに奮起して援護してくれたのだった。
「足の変化については、いろいろな解釈があり得るが、眼に見えぬ程度の変化を様々な方向から探ることしか出来ない適応の歴史より、四足歩行から二足歩行という段階の歴史の方が、進化の法則を直線的に表している」というのがエリの言わんとしたものだった。
エリは堂々としていた。先生方からの質問にも先頭に立って答えてくれた。その明晰な調子は、他の抗弁を許さなかった。私はどうやら彼女を過小評価していたようだった。次第に僕らは意気揚々としてきた。僕らの勝利が手の届くところまできていた。すると僕らの奮闘に金沢さんが加勢しはじめた。
「足というテーマで椅子の脚に注目するのは、進化というよりメタファーじゃないか」という質問に代弁してくれた。それが椅子の脚の形で証明されることをスライドで示しながら力説した。私たちの企画は完全な説得力によって一枚岩に固められた。いろいろな角度から質問が行われ、批判の展開も行われたが、それは我々の理論を一歩前進させただけだった。結果として私たちの企画は絶賛された。茨木さんは眉をぴくつかせ、エリと私は勝ちどきをあげた。
最後に、講評をまとめる先生から、ひとり黙って突っ立っていた茨木さんに質問があった。すると、これが上の空の小娘にとってこっぴどい一撃になった。彼女は金沢さんが顔を赤めるほど馬鹿な答えを発して、もうこれでおしまいと先生が言うまで教室で小さくなっていなければならなかった。私はそのことに満足感をおぼえた。私はこのことを一生忘れないだろう。あの小娘もこのことを忘れられないに違いない。

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