ARE YOU(2)
三年生になってさすがに口には出さなくなったが僕等は今でも画家になりたいと思っている。夜遅くまで絵筆をキャンバスにかざして色を眼で確かめたり、手を絵の具だらけにして筆を洗ったりする。所詮、画家の卵に過ぎないが一種の名状しがたい興奮や、口では説明できない衝動が手に入れられる形で示されるときの満足感は知っているつもりだ。
それは新学期となったばかりの日だった。私は描きかけのキャンバスを脇に置いた。満足していなかった。何とか切り抜けたかったが、空腹では気分的に積極的になれなかった。絵の具を片付けて、また戻ってくると誓って私は食堂へ下りた。廊下を曲がると、ハエが一匹輪を描いて飛んでいた。食堂のケースはいくつかの新しいメニューを並べていた。私はじっと財布の中身を確認した。一瞬、目の前が暗くなった。懐具合の寂しい私はカレーを食べるのがやっとだった。付け合わせの漬物を添えてため息とともにテーブルにトレーをのせた。するとお祭りの化身のような大きな声が聞こえてきた。
「どうしたんだい小西くん、そんなところに突っ立って!」
保護者然と大友さんが私の肩をたたいた。いい歳をして、人生の半分はファイナルファンタジーをして過ごしている彼は、無精髭を生やし、目の下にはクマが出来ていたが、自分が身を任せた怠惰な生活の証拠は無視して、ひとさまに意見するのを当然の義務と心得ていた。
「あぁ、大友さん、いま地下鉄に乗って家に帰れるかどうか財布のお金を数えていたんですよ、あっ床に小銭が」
「あーあっ、何やってるんだい。前から言おうと思っていたけどね。君は財布に穴が開いているから、お金が貯まらないんだよ」大友さんの視線が私から床へと食い物にありつけそうな材料を探って移動した。
「ですよね」お金がなく重苦しい私に比べて、大友さんはいつも苦学生を陽気にアピールする空気をまとっていた。多くの学生が泥臭い精神論を敬遠する風潮であっても、この年上の同級生は漫画の世界にだけ生きる、馬鹿げた不屈の精神をたえず説いて歩いていた。
「うわっ、綺麗な十円。お釣りがこういうのだと嬉しいよね。嬉しいといえば大谷のホームラン。あれは興奮したよ。まぁ、それはいいとして、この河原朝生の絵を見たまえ、そして感動してくれたまえ」
このように彼が個人的な関心というものを惜しげもなく並べて小間物屋を開くことは精神的な効能をともなういわば彼なりの整理術ではあった。しかし肝心のアイテムが底抜けの有り様では、締めくくりも前後の関係も無視した自問自答に流れてしまい、ついには感心すべき事柄も、笑うべき事柄も、むちゃくちゃに混同されてしまうのが残念なのである。彼は鞄の中から画集を取りだす。すると画材セールのチラシがひらひらと床に落ちた。自然に河原朝生の話から画材の高騰に対する思いが、綴り、綴られ、綴られまくって、もう終わりかと思ったら画家の志についても一言しなくては彼の気は済まなかった。
「あぁ、心底に自分は絵描きだと自負できる絵が描けたらなぁ。地位も名誉もいらないのに。家が狭かろうが食事がまずかろうが満足だね。個展をして世に問う。それ以上の喜びは無い。そして、その喜びの裏面には、いつか輝く金字塔が控えていて、人類の歴史の上にその名を残すという…それだけで、それが、いや、でも絵が売れなかったらどうしよう」と、このような不安の芽生えは世代から世代に受け継がれるのだ。
僕らは自分で不安を作り上げ、自分で自分に不安を与えていた。それゆえ話の通じ合うなれ合いの関係に甘える気持ちでむしろ問題と正面から取り組むことを避けていたようだ。芸術でどう身を立てたらいいか、何かいい方法はないものか、それぞれが追求すべき活動以上に考え込んだ。これを無駄な時間というのだろう。したがって大友さんの言葉に滲み出ているものは、開けっ広げな付き合いの感覚ではあったが私はその取越苦労に対して表裏のない、もてなしの返事を考える気にはなれなかった。いつとはなく僕らの会話はとぎれた。
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