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DO TO(9) 「あれから好きな画家は河原朝生」


新しい学期に入る前に、私がカビくさい河原朝生の画集を買ったのは自由が丘の古本屋だった。直感的に表紙の絵にひかれて一度見たことのある名前をもう一度注意深く眺めた。なんだか身震いをするような思いでそれを買って外へ出た。林立するビルの一方で、駅前は賑わいを見せていた。私はタバコを買いにコンビニに立ち寄った後、そこから線路を進行方向の右に眺めながら、待ち合わせの喫茶店まで小道を歩いた。百メートルほどの道のりだった。
駅前の喫茶店のような様々な人間が休息を求める場所では、座席の間隔が近く、隣の人の声が筒抜けで、高飛車なOLの会話などが聞くともなしに耳に入ってくるので、僕たちは適度な混み具合のこの喫茶店まで足をのばし時間を過ごすことが多かった。タバコの吸いすぎをエリに咎められながら、買ったばかりの画集を読むことが、何ともいえず心安らげるひと時だった。
どのくらい混んでいるかと扉を空けると、広々とした店内で狸小路エリはすでに読みかけの本を持って、夢見るようにこっちを見ていた。私は窓を背にして左右に目をやりながらその隣に座った。店内には気の利いた音楽が流れていた。コーヒーとナポリタンを注文した。そして心地のよい音をさせて氷の入った水を飲んだ。
八月のきらきらした日差しがかすかに入る店内は、昼時なのに活気がなかった。私は河原朝生の画集を開いた。都合よくもう一組の客との席も離れていた。にも関わらず、店内には無神経な声が充満していた。あまり性質のよくない声を取り交わす、そのもう一組は自己啓発セミナーの講師と思われ、押しの強い表情や体のこなしまでもが伝わってくるようだった。
僕らの耳に入ってくる情報に比べ、画集に書かれている情報が頭に入らず、私は思うように読むことができなかった。私はその喧しい会話を集中力でさえぎろうとした。それでも、見積もりの数字を説明する声は聞こえてきた。私はわざわざ大きな声で水を所望した。どれだけ声が響くかを聞かせようとした。それでも人に不快を与える声は周りなど気にかけていなかった。露骨に横目で眺めた。手で耳に栓をした。それでもだった。万策が尽きて私は頭を掻きむしった。 
店内に響く声のせいで、目の前に開いている画集にも申訳が立たず、声に出さなくても分かってくれると思った筈の溜息を求めて、相席の彼女の方を眺めた。しかし、エリは顔を本にうずめて鉄のカーテンのように微動だにしない。その本は平野遼という画家の評伝だった。私はその顔を覗き込みながら、集中力のある彼女をほめたたえた。すると彼女は僕の方を向き、謙遜のつもりか、にやりとした。ただ、その笑いにはなんとなく妙なわざとらしさがあった。
店を出てそのことを問いただすと、実は勉強に飽きて、じっと隣の会話にばかり聞き耳を立てていたとのことだった。私の顔を見て「騙されているな」と思っていたとのことだった。まるで新聞記者のようにその会話の詳細を教えてくれた。その集中力はさすがと思わせるものだった。ただ、一度耳をそば立てると「なかなかそれを排除できなくなって困った」と言っていた。のぞき見根性の罰だが「食事がまずくなった」と彼女は笑いながらいった。 
彼女の言葉には飾りのない小気味よさがあった。型にはまらない、そんな彼女のしゃべり方が好きだった。化粧っ気のない白い肌が好きだった。何もはめていない薬指が好きだった。ときどき見せる楽し気な表情も好きだった。この笑顔がいつまでも続けばよかった。いま思い出しても、私にとってこの一瞬一刻はかけがえのないものだった。
「あの二人の車かしら?」
「電卓が置いてあるから、そうかもね」
「新しい車のようだね。ナンバーはどこかしら?」
「そのうち家に上がり込んで、何を食べているかも覗くようになるんじゃない?」僕らは哄笑した。こんな無邪気なやり取りも楽しかった。天気もさわやかにかわいていた。勉強はさんざんだったが笑顔は泉のようにあふれ出ていた。
幸い僕らは冗談を言い合える間柄だった。ただ、次の問題は、内部の関連を育てること、親和の形成を明らかにすることだった。なぜなら、親和の形成は欠点を美点に変えるアプローチを持っているからだ。ただ、それは刺激的であっても、困難な飛び石の連鎖が浮かんで見えた。さあ、あなたが飛ぶ番ですよという声は聞こえてくる。それは男の私からするべきだった。だが、どういう風に?高い跳躍を含んだ問いに考えさせられた。中間の連結を描いている部分には腰砕けになりそうだった。私はエリという人間のほんの戸口に立っただけだった。エリを真剣に愛するべき相手がどうかわからなかった。

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