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ARE YOU(12)

「ともあれ、才能は努力に優先するね、少なくとも画家の世界においては。ピカソがいい例だよ。あと、クレーもそうかと思う。ミロはどうかな、彼はその作品が時代にぴったりした様式を備えていたということかもしれないね。もちろん駄作を恐れない、あの仕事の量はすごいけど、才能があるのとでは話が別でね」情景が転々と映っては消える、よく判らない映画というものはあるが、大友さんはエリちゃんに向かってロードショーを小一時間も続けていた。
「ところで、エリちゃんはどんな本を読むの?」ようやく、落ち着いた大友さんはビールを飲み干すと、エリちゃんの方へ向き直って云った。 
「サン・テクジュペリとか読みますけど」
「そうか、サン・テクジュペリといえば飛行家、飛行家といえば、今から約三十年前、全米でベストセラーになった『カモメのジョナサン』を思い出すんだけれどもね」
この後、彼の舌の回転はテープチェンジを重ね、ついにはロードショーの続編に変わった。下手な鉄砲のように微妙に話の中心からずれる、調整能力の無さこそが、大友さんの会話をつまらなくさせている大きな原因かもしれない。そしてタブーのない開けっ広げの性格のせいか、いいところを見せようという持ち前のバイタリティからか、まるで興奮にせかされるように、何かを説明するたびに何かを思い出し、ごく短い間に豊富なエピソードがもられるのだった。
「だから『カモメのジョナサン』はすでに伝説となりつつあるんだよ。あの太宰治が永遠なのと同じようにね。あと忘れちゃいけないのが『あしたのジョー』を踏まえたボクシング漫画『がんばれ元気』なんだけれどもね」と彼はおもむろに鞄から本を取りだすと、何もわざわざエリちゃんにまで説明しなくてもいいのにと思われる主人公の家族構成をこと細かく話し始めた。 
「これが、シャーク堀口といって、元気くんのお父さんなんだよ」いつもは快活なエリちゃんも、さすがに憔悴した眼で大友さんを見つめ、彼が舌を動かすたびに起きる暑い風のひとそよぎに体をよろめかせていた。 
「という訳で、元気くんは、旅立ち、成し遂げ、英雄となった。ところで、英雄といえばあの維新を円滑にせしめた坂本龍馬を思うのだが、その時、龍馬は愛国といったかもしれない。しかし、いま彼がこの世に生を持ったとして、はたして愛国と発するだろうか、否、愛地球、愛人類というに違いない」大友さんは自分に酔いしれつぶやいた。
そんな彼の話で腹を膨らませ、喉の渇きを覚えた私は、いささか飲みすぎていたのかもしれない。私は黙ってタバコに火を付けた。そして懐から一枚の手紙を取りだした。それは大友さんがエリちゃんに宛てたラブレターだった。
「大友さん、これエリちゃんが返してくれってことです」
「へー」
「実は、まだ間もないんですが、僕エリちゃんと付き合っているんです」
「あ、そうですか」
「エリちゃんは思いやりがあって、僕なんかにはもったいない女性なんですけれどもね」
「なるほど…」
「何がなるほどですか、大友さん」大友さんは言葉につまった。そしてジェスチャーの力を借りて頭をかいてみせた。

人は言葉につまった時、たとえば心を動かされた時、単純な言葉に頼る。私の場合は「イイ」だが、その特長は主語が無いので、よく判らないということだ。自分という人間に深みがないだけになおさらである。ただ、どこがイイかはよく判らない方がよい気もする。人生を感じさせるからだろう。そもそも絵とは人生の1ページに付箋を付けるようなものだが、それだけでは付箋の追跡する部分はあからさまではない。だが、どこがイイのか解説する行為は、秘密の混じった感情にアンダーラインを引くことを意味する。とはいえ、私も意中の女性を相手に芸術談義に花を咲かせる時には、まるで深い信仰心を明かすような調子で美に対して感傷的な告白をしないでいられるかはあやしいものだ。しかも、それが心のたけなどではさらさらなく、何かのはずみで押さえが効かなくなった愚にもつかないおしゃべりに終始する、というような具合なのだ。これまで私は「イイ」についての本質については語るまいと頑張ってきたが、どうやら私も狸小路エリを評価する理由とは何か、その本質にぜんぜん触れないという訳にはいくまい。ならば何かこう熱にでも浮かされた調子で、私の意見というものをカミングアウトしたいと思う。

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