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DO TO(10) 「あれから好きな画家は河原朝生」

「同じグループだね」
「うん」
テーブルで区切られた通路の向こうから、エリが身を乗り出して話かけてきた。夏休みのゼミのことだ。私は前かがみになり彼女が聞き取れないくらいの小声でささやいた。チョークを持った先生はよれよれのシャツを着ていた。黒板には二日間のスケジュールが記されていた。  
その教室には30人くらいの生徒がいた。僕らはこれから座学の後に、それぞれの班ごとに分かれて、与えられた課題に取り組むことになった。幸先が良かった。エリと過ごす授業はとびきりな時間ではあったが、私たちのグループには、エリと私のほかに、二人のメンバーがいた。金沢さん茨木さんだった。袖触れ合うも多少の縁だが、それはそれで、けっこう気の張る思いもしなければならなかった。話が深く進んでいくためには、それぞれの言葉の糸を結ばせなければならない。糸の色が違うのは仕方がない。要するに、意見が一致しなくても仕方なかった。そういうことが嫌で私は画家を目指していた部分もあったので、正直に言うとグループ学習というものはあまり気が進まなかった。   
私は多少構えた気持ちで輪の中に入った。最初はおとなしくしているほうが無難だと考えた。ただ、それは頭で考えてたようにはいかなかった。次から次へと課題が与えられ、発表しなければならないので、なんでも論じ合うしかなかった。私が希望するような呑気で無関心の空気は生まれなかった。自分は画家だからといって、すましているわけにはいかなかった。なんにでも意見を持って、発言しなければならなかった。
一見すると不愛想な金沢さんは、美術に対してすぐれた見識があり、年長なこともあって特別扱いされていた。初日から遅刻してきた茨木さんは、愚図で意地っ張りの困った女の子で、みんなからは腫れ物にさわるように扱われていた。私は同人誌に参加しているということで一気に評価を上げた。ただ男は私一人だったので、なぜか、みんなは私に遠慮しなかった。私たちのグループには、しっかり者の長女、気の強い次女、甘やかされた三女がいた。実権は女性陣が握っていた。どこの社会でも女性にとって気の弱い長男は、従わせるべき下僕なのだった。
僕らは大学のコレクションを基にして仮想の展覧会を企画することになった。ネットで調べてきた場違いな情報を自慢げに押し売りする茨木さんに一応の挨拶は済ませた後、僕らは本題に入った。
「足をテーマにしたらどうかしら」と金沢さんが同意を求めるように言うと、私は息を吸い込んだ。あまり余計なことを言って、不興を買ってはいけないと思いながら「いいかもしれませんね…」と語尾をにごした。アイディアとしては面白いが、必ずしも最適とは限らない、なお検討の余地があるだろう、という意味だった。
歯切れがよくないのは、それまでに二度ほど、金沢さんと私とのマッチアップで相手に軍配が上がったからだった。茨木さんは二回とも金沢さんを支持した。エリは中立的な立場だったが、思い切って少数野党の私に味方するのは気が引けたようだった。
それは私にとってきわめて不利な状況ではあったが、今度ばかりは私は私の企画を通したかった。私は河原朝生の展覧会をしたかった。それがシンプルで一番やりやすいと思っていた。ただ、そういう素振りはおくびにも出さず、自分の意見を腹の中で固持していた。しかし、こちらの企みは見事に打ち砕かれる運命にあった。
 奥歯にものが挟まった私の態度に、物怖じしない金沢さんは「大学のコレクションにはポスターとか、写真とか、いいのがあるのだけどダメかしら?」と問い重ねるように主張してきた。
「いや、足というのは人類の進化にとって重要な意味があるテーマかもしれませんね」と私はこらえかねて調子のよい意見を吐いた。そうしないと、どうしても場の空気が濁りそうだった。私は足というテーマについて考えはじめた。たしかにオリジナリティのある問で面白い。待ち構える企画の執筆を思うと、早く仕事を片付けられるのなら何でもよかった。
私は「じゃあ企画の文章をみんなで考えましょうか」と水を向けた。しかし、金沢さんから「じっくりと話し合うことが先決だ」とたしなめられた。プランの失敗はテクニックでは補えない。時間に縛られてはいけない。それは金沢さんが正しかった。話し合いは授業が終わった後も、中庭で続けられた。

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これは、ある画家の半生の物語です。ある画家とは狸小路エリで、彼女が北海道を訪れ、悠久の自然に魅了され絵を描くという設定でストーリーが展開していきます。また、小説を車軸にしながらも、松井宏樹による写真と、彼女にまつわる展示も、二つの車輪となってHOKUBU記念絵画館で連動します。

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