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DO TO(18) 「あれから好きな画家は河原朝生」


テーブルには冷たい水が二つ並べられた。土曜日の長い授業を終えたエリと私はラーメン店で夕食にありつくところだった。開け放たれた窓の向こうには高速道路をひた走る音の光が流れていた。風の肌触りがいかにも夜だった。
私は「楽しみだね」といった。エリは「そうだね」といった。私の「楽しみだね」はラーメンだったが、エリの「そうだね」は一緒にするアルバイトのことだった。
大学の張り紙を私に向けて差し出して「これやろうと思うの」とエリが言ったのは数日前のことだった。張り紙には大きな活字で「作品整理のためのアルバイト募集」とあった。非常勤講師の河原朝生の作品が大学に大量に寄贈されたことで、大学の美術館は資料を整理しデータ化するための係を必要としていた。条件にはパソコンが出来る人とあった。エリはパソコンを持っていなかったので出来るとも思えないし、そもそも申し込み期限も過ぎていたが、僕らはとりあえず学生課に申し込み書を提出した。
エリは「くせになるかもね」と顔を近づけていった。私は「そうだね」と少し顔を引きながらいった。エリの「くせになるかもね」はアルバイトの時給千円だったが、私の「そうだね」は脂っこいラーメンのスープだった。
さわやかな雨が降り続いていた。僕らは拍子抜けするほどあっさりと採用された。仕事は作品のほこりを払い、写真を撮り、受け入れ順にナンバリングする作業だった。マスクをしてハケを動かしたり、照明を移動するぐらいは訳なかったが、エリも私もパソコンには太刀打ちできなかった。こうなることは当然だったが、一週間でエリと私は解雇の通告をなされた。
私は中庭をのぞきこんだ。エリが研究室の職員に食ってかかっていた。会話の内容は聞き取れなかったが、顔を突き合わせていた。エリは顔を赤らめて攻撃的な言葉を発しているようだった。長々と弁じたてていた。相手の方は子供を相手にするように笑顔でじっとこらえているようだった。
エリと私は現場から追い出される前に必要なものを取りに収蔵庫に入った。そのときエリは河原朝生の絵を一枚くすねた。トートバックの中にそろりと隠した。私はその過激な行動に怖気づいた。しかしエリを止めることはできなかった。エリは私に目で助けを求めた。私は重いドアを開けることで応えた。これで俺も共犯だと思った。計画性のないところだけが救いだった。 
二度と後戻りできない外部へ出るとき私はエリの顔をのぞきこんだ。エリの目は熱を帯びていた。これ以上のスリルはないという感じだった。しかし私の足にはからまるものがあった。言葉で伝えられる単純な気持ではなかった。
すると校門の前で、ぐうぜん研究室の職員に遭遇した。私たちは黙って通り過ぎようとしたが呼び止められた。私はギョッとなった。もうダメだと思った。しかし、どういう訳かエリは目の前に迫った危機にも落ち着いていた。私に大きなトートバックを預けると、鋭い口調で「お世話になりました」と深々と頭を下げた。そして相手を鼻先で一度見返しながら門の方へ歩いた。私はそそくさと無口な職員の横を通り過ぎた。
僕らは動かぬ証拠を突き出される前に多摩川の緑地にその絵を運んだ。花火を買ってきて、入っていた箱と作品リストを燃やした。私は私自身に呆れていた。運が良くても退学ですむ問題ではないはずだった。川の向こう側にはネオンが光っていた。水面からは涼しい風が吹いていた。少し寒かった。遠くの山には薄雲がかかっていた。僕らは夜の終わりまで、人気のない土手の芝生に腰を下ろして色あせた空を見ていた。

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