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SUNNINESS(6) 「だから平野遼を評論する」


私は自分にいくぶんかアカデミックな趣味があることを自覚している。つまり癖のない絵を描く人間が好きなのである。なぜなら、技術のない人間ほど、しばしば安易な絵作りをすることがあるものだからだ。予備校時代の艱難辛苦に比べ、空疎な自由を謳歌する、その手の美大生の遊戯は、せっかくの研鑽の高みを安易な道楽と取り換えて、芸も美も何の発展も見ずに、葬り去ろうとしている、とさえ思っていた。
この絵がそうだった。しかし、その空疎なはずの筆の舞の中に、私は賞賛の眼差しか見いだせなかった。それは、自分にはこれしか生きる道はないのだという、背負った宿命や、将来への憂鬱を映しながらも輝いていて、整理整頓された完成度に甘んずる僕ら三年生のような、ギリギリの仕事を怠った形跡はまるでないと言えた。私は自分の眼差の中に、技術的な優劣しか見ていなかったが、鍵もかけずに放置されたこのアトリエには、一人ひとりがエネルギーを費やした熱量が充満していて、私はそのただならぬ重力に茫然となってしまったのだ。
三年生の教室は、生徒が画風ごとに区分されていて、教師は多彩な制作の中にも絵肌や色彩の違いをつぶさに見分けることができる。一方、二年生では、身近にある道具や画材で、いろいろなやり方を工夫して、試行錯誤するように教師に導かれる。しかし、一年生では、まだ人体把握と陰影の正確な処理の仕方を目標に、徹底的に実物に肉薄することを命じられる。つまり技術を叩き込まれる。後戻りして、あの頃のように絵を描くなんて、口では言えるが、実際には難しいことだ。
ただ、私は自分が技術と一緒に何か大切なものを手から放し、ゆっくりと落下した瞬間を知っている。あれは、一年生のときの、なんとなく学校に来てしまったクリスマスの夜だった。私が助手の男の人に、静物用のモチーフを出してもらい、下手な輪郭で牛骨を幾度も幾度も描き直しているときだった。

「もう、こういう絵はいいじゃない」大友さんは云った。
「腕が錆びつかないためにやっているんですよ」と私は反抗した。
「それは、そうかもしれない」大友さんが不敵な笑みでささやいた。
私は自分に言い聞かせた。「三年生になれば、いくらでも好きな絵が描けるのだから、今はじっと力を蓄えなくてはならない」しかし、どこからとはなしに聞こえてくる声はそれとは違っていた。「もうデッサンはいいのではないか、回り道なんかしないで、真っ直ぐに自分の絵を切り開けばいいのではないか」こうして、たちまち私は自問に陥り、仕事どころではなくなってしまった。 
大友さんは、檀家の未亡人と待ち合わせがあるとかで、クラスメートの誘いにも、どこか上の空で外へと出かけたが、私はアトリエの中でその可否をかんがえあぐんだ。どうして、はっきりと分からない未来を、どちらか一つに選ぶことが出来よう。しかし、いつの間にか、不思議な力で、ずるずると恐るべき自由に引きずり込まれてしまったのだ。
いや、違う。あれは決定打ではない。私は自由な意思で、現実を映すことは気にかけずに描くようになった気がする。私は自分自身にむしょうに腹が立ってきた。知らず知らずに私は変わってしまったのかもしれない。一年から二年に、二年から三年にという、カリキュラムの移り変わりと付き合っているうちに、私は自分の絵に安易な技巧や、衣装のひだを身につけさせていたのかもしれない。妄想なんかやめて、いい仕事をしなくてはならない。画家になるためにも上へ上へと階段を上らなければならない。一日一日どころか、一瞬一瞬も無駄にはできない。そうだ、画家は、大学に寄り添っていても、ある時期には孤独に追いやられるのだ。それは心理的な理由によらず、画家の生理的な宿命のように思える。演劇科では握手を交わし、互いに洒落をたたくことが共同作業の役に立つが、絵画科はそれどころではない。じんわりとした決意が肌にしみ込んだ時、電灯が点いて、アトリエの中がぱっと明るくなった。

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