2.幸せとは何か
幸せとは何か
「幸せとは何か?」と「いつ自分はハゲるのか?」は人生で誰もが一度は考えたことがある、全人類にとっての究極の問題とも言えます。
今や幸せがお金で買えないことは常識となっています。
正確に言えば、美味しいモノが食べたいとか、欲しいものを買いたいとか、ある程度の幸せは買うことが出来ますが、それ以上の幸せはお金で買うことは出来ません。では、どうすればそれ以上の幸せは手に入るのでしょうか。
そのことについて考える為にはまず、
「なぜ人間が生まれたのか」
ということについて考えなくてはいけません。
それは個人個人の生まれてきた理由ではなく、
「なぜ人類は存在するのか」
「なぜ神様は人間を創造したのか」
といった、人間存在の根本の意義についてです。
神様は約十億年前、まだ単細胞生物しか存在しなかった地球を見て、つまらない、味気ない世界だと思われました。
その状況を変える為に、人間を創り、その人間が助け合い支え合い、仲良く暮らす様子を見て、神様自身も楽しみたいと思い、人間になる元の生物を創られましたのです。
この神様が望んだ世界を「陽気ぐらし世界」と言います。
この「陽気ぐらし世界」はキリスト教や仏教で言う「天国」や「極楽」とは全く違う世界です。
天国や極楽とはどういう世界かと言うと、グーグル辞書(現代っ子の広辞苑)には
「そこで暮らすものにとって、理想的な世界。何にも煩されない快適な環境。楽園」とあります。
(つまりハゲる人はいません)
しかし、何にも煩わされないということは、病気やケガ、災害等といった困ることは何も起こりません。
なので、天国や極楽では人間は一人で生きることが出来てしまいます。
「人間が一人でも生きていける世界」
これは神様が望んだ世界ではありません。
神様は人間が助け合って暮らす姿を望んでおられます。
ですから、
「陽気ぐらし世界」には病気やケガ、災害というモノは無くなりません。
しかし、どんな困難な中でも、互いに助け合い支え合って仲良く暮らすことが、人間の目指すべき「陽気ぐらし世界」なのです。
(皆ハゲてても支え合います)
つまり、我々人間はお互いに助け合うために生まれてきたのです。
その証拠に人間には他の生物には無い、特殊な能力が2つあります。
それは
「他人の幸せを自分の幸せとして感じられる能力」と
「恩を感じる能力」です。
我々人間は赤の他人であっても、困っている人を助けて「あなたのおかげで助かりました、ありがとうございます」とお礼を言われたら誰でも嬉しいはずです。
これは、私達人間が他人の幸せを自分の幸せと感じられるように創られたからであります。
さらにその喜びが自分の行動によってもたらされたものなら格別の喜びになります。
しかし、一方的に助けるだけでは、それは助け合いにはなりません。
そうならない為に人間は「恩を感じる能力」を持っています。
人に助けられ、有り難いと感じた時、誰しも恩返しをしたいと思います。
助けられた人が次は助ける側になるからこそ、助け合いが生まれるのです。
この2つの能力は、神様の目的である「陽気ぐらし世界」に近づく為に必要な能力ですから、
人間は基本的にこの能力を使いたくなるように創られています。
つまりこの2つの能力を使えば幸せが感じられるように創られているのです。
このことを分かりやすく表す例があります。
非行に走った子供達を保護する「夜回り先生」と呼ばれる先生がいます。この先生は夜の町に繰り出し、行き場を失った少年少女に必ずかける言葉があるそうです。
「何か人のためにやってみないか」
こう声をかけられた少年少女は、夜回り先生の言葉に耳を傾けるようになるそうです。
(「何か髪のためにやってみないか」と言われれば誰しもが食いつくのと同じ原理です)
どんなに親や社会に反抗していても、心の奥底では誰しも「人の役に立ちたい」という欲求を持っていることが分かります。
欲求と言えばよく耳にするのが「食欲・睡眠欲・性欲(生理欲)」の3大欲求と呼ばれる欲求です。
これらは人が生命を保つ為に必要な欲求ですが、この欲求を満たすことで手に入れることが出来るのは、冒頭で述べた、「ある程度の幸せ」であります。
では「人の役に立ちたい」という欲求はなぜ存在するのでしょうか。
これまでの流れを思い返して考えると
私は「人の役に立ちたい」という欲求が「人間が人間として生きる為に必要な欲求」だと考えます。
この「人の役に立ちたい」という欲求が、人間がこの世に存在する意味を果たす為に必要な欲求であり、逆説的ではありますが
「他人の欲求を満たすことで、自分が幸せを感じることができる」のです。
「幸せとは何か?」の答えは、
自分の手で誰かを幸せにする事で得られるのではないでしょうか。
おまけタイム
僕がハゲのサラブレッドであることは、コナン君並みに頭の切れる方には気づかれたかもしれません。
僕がハゲを意識し始めたのは、中学生の時です。
講堂での集会中に、後ろから全体写真を撮影された際、一人だけ頭皮の見える範囲が広い人がいました。それが僕です。
父の過去の写真を見ると、30歳になる前には明らかにATフィールド(頭(ATama) の領域)の後退が進んでおり、その日から大人になったらハゲるのか、ハゲになったら大人になるのか怯えながら過ごす毎日でした。
しかし、アラサー真っ只中の今、なんとか現状維持でここまで来ることが出来ました。
人生に絶望されている皆さん、
人生捨てたもんじゃありません。
生きている限り希望はあるんです。
母方はハゲてないんです。
そのことをお伝えしまして、今回はこの辺で終わりたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
ほな!
サポートして貰えたら、そりゃめちゃくちゃ嬉しいです!