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182.「別にこれくらい良いじゃないか」こうまんの落とし穴

はじめに


心には気づかない内にほこりが溜まってしまいます。 
本日読んだお話の中に、ついつい使ってしまいがちな、ほこりの心遣いがあったので紹介させて頂きます。


キュウリ2本の罪


あらすじ
ある布教師の青年があまりにも腹が減ったので、ついつい魔が差して畑のキュウリを盗んで食べようとしました。
しかし、見張りに見つかってしまい、どれだけ謝っても許してもらえません。

「ただではゆるされない。キュウリ代として50銭出しておくれ」
といわれ、キュウリ2本が50銭ですか、とおどろいて問うたが、出せなかったら元通りこれをつけておくれ、ときゅうりをつき出され、又も血の涙を流さねばならなかった。
 最早N青年はなす術も無く、道の先輩をたずねてこのことを相談したが、
「君が、きゅうり2本ぐらい何だという高い心でいるから、先方の心も高いのです。君の心が低くなれば、向こうの心も低くなるのです。低い優しい心になって、心から頭を下げておわびして見なさい。きっと許して下さるから」
とその教友は語った。
 そこでその人から借りた50銭を持って、三度その農家に参り、今は低いやさしい心からさんげの気持ちで、
「野や山を宿としている者に、キュウリ代は大金です。何とぞおゆるし下さい。あなた方は私の心をみがいて下さった御方です。この御恩は一生忘れません。どうぞ御勘弁を願いとう存じます」
と涙を流してお詫びした。
 この青年の真実の気持ちは、この度の相手に通じたと見え、
「以後は気をつけなさい。返してあげますから」
と補命の証書(布教の証明書、担保として取られていた)は再び青年の手に返された。
 感極まって親神様、御教祖様に合唱して感謝の祈りを捧げるさまを、老夫婦はにこにことうなずきながら眺めているのであった。
出典:真実の道 ー信仰例話集ー


「きゅうり2本ぐらい何だという高い心でいるから、先方の心も高いのです。」
このセリフ、グサッと来ませんか?

「きゅうり2本ぐらい、別にいいじゃん、心狭いなー」
って思ったりしませんか?

この「別にそんなに怒らなくていいじゃん」
っていう気持ちは、結構持ちやすい感情だと思うんです。

でもその気持ちは「こうまん」の心遣いをしている事になるそうです。


犯した罪<科された罰


自分が犯してしまった罪に対して、科せられる罰の割合が大きい場合、本文に出てきたように「きゅうり2本ぐらい何だ」と、逆に相手が悪いと思ってしまう心理に、なってしまいがちだと思います。

しかしこれは、完全に自分の視点でしか物事を判断していない、自己中心的な考えです。

大切なことは、
罪や間違いを犯してしまった場合、とにかく低い心になって謝る。
というシンプルな対応です。

しかし、そのシンプルな対応ができない人がかなり大勢いると思います。

交通事故を起こした時、相手に謝ってはいけないという話があります。
謝った方が不利になってしまうからだそうです。
この傾向は外国の方が顕著で、アメリカなんかだと、謝ったら自分が悪いと認める事になるので、絶対に謝らないそうです。

そんなお国柄のアメリカですが、
「もし相手が素直に謝ってきた場合、あなたは相手を許しますか?」
というアンケート調査を行った結果、
多くの人が「相手を許す」と答えました。

法律の関係上は謝らない方が良いの面ですが、人間関係の面では謝った方が良いみたいです。


まとめ

素直に謝ることができないのは、謝ることで自分が損をしてしまうと考えてしまうからではないでしょうか。

しかしそれは間違いで、謝って損するパターンは、
低い心になれず、中途半端な心で謝罪をしているから、損をしてしまうのだと思います。

自分に非がある場合は、こうまんの心遣いを捨て、相手の心の下に潜り込むような勢いで謝罪する方が、事態は良い方向に好転していきます。
(実験済みです)

ついつい、自分の非を棚に上げて、相手を悪く思ってしまうことは結構ありますので、気をつけていきたいです。


おまけタイム


どーも!読みたい本が多すぎて困る男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

ただ今、本を読みたい欲と睡眠欲が僕の中でバトルを繰り広げています。
というより、毎晩このバトルを繰り広げているような気がします。

ほとんど睡眠欲が勝つのですが、今日も例外無くめちゃちゃ眠たいです。

ということで、今日は睡眠欲の圧勝ということで寝たいと思います。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!





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