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99.7.不足(不平・不満)したら負け -「たんのう」解説- #4

はじめに


前回に引き続き、深谷忠政氏著書の「天理教教義学序説」を出来るだけ分かりやすく、噛み砕いて説明していきたいと思います。

噛み砕いて説明しても難しいという、恐ろしい本なので、普段の記事より少しコアな内容になると思いますが、ご了承下さい。

前回の記事はこちらです。

天理教教義学序説の本文を載せて、その本文を解説する形式の記事になります。

それでは本日の記事です。

<天理教教義学序説を噛み砕く>

人間は本来自分の力で生まれるものでもなければ、また生きていけるものでもない。一本の指を動かすのも、親神様の十全の守護があればこそである。このかりものの理に徹し、ともすれば喜べない自分を振り返った時、真に生かされている喜びが解り、たんのうの心が定まり、思うようにならぬという心のあせり、心のもだえは、おのずから霧散するであろう。

ここはそのままででも分かりやすいです。

自分の力で生きている人間は一人もいません。
喜べない自分を、かりものの理に照らし合わせて振り返った時、
生かされている喜びに気付き、たんのうの心が定まって、不足の心は消えてなくなります。



「たんのう」は、心力の源泉



たんのうの強調は、無為自然の道を選び、悲劇的忍従の主人公になることを進めるかのごとく誤解されるかもしれないが、事態についての、われわれの懸命の努力を、このまま放棄することではなく、われわれの心のあせり、心のもだえを放棄し、力強い大らかな心をもって、ますます努力して進むことがたんのう本来の姿である。

たんのうは、苦難や困難が起こった時、
「どうしてこうなってしまったんだろう」
「なんでこんな苦しい思いをしなくてはいけないんだろう」
と不平・不満を持つのではなく、
起こってきた事柄を「成ってくるのが天理」だからと受け止め、身を任せることと誤解されているかもしれません。

そうではなく、たんのうはそういった不平・不満、不安や心配に心を奪われることなく、困難や苦難に対して、力強く包容力のある心で、ますます努力して問題の解決や周囲の人達、自身の成長の為に、思案し、行動することが、「たんのう」する人の本来の姿です。


「たんのう」の、形容詞的解釈と動詞的解釈


われわれの信仰の歩みが、陽気ぐらしのかんろだい世界建設であるとすれば、まさにたんのうはその基礎工事であり、その材料は誠真実であり、その作業方式はひのきしんである。

ここを解釈する上で、「材料は誠真実であり」がネックになってきます。

前回の記事で、「誠真実」とは「たんのうの心」と「ひのきしんの態度」であるとしていました。

つまり、前回の記事では

たんのうの心+ひのきしんの態度=誠真実

でしたが、この場面では

誠真実×ひのきしん=たんのう(陽気ぐらしのかんろだい世界の基礎工事)

ということになります。

ですから、今回登場した「たんのう」は、前回登場した「たんのう」とでは、著者の解釈が違うため、たんのうには見る角度によって様々な側面があることが伺えます。
(誠真実の解釈が違うという可能性も考えましたが、今回はたんのうに焦点を絞りたいと思います)

ここでの僕の解釈は、
1.「たんのうの心+ひのきしんの態度=誠真実」
での「たんのう」は、
「親神の親心を絶対的に信ずるがゆえに、自分の置かれている状況をまるごと受け入れる心」という
「心の基本的なスタンス」
つまり、
「形容詞的な解釈」をされていると考えます。

苦難や困難に直面してようが、直面していなかろうがブレることのない、基本的な状態ということになります。

これに対し、
2.「陽気ぐらしのかんろだい世界の基礎工事」
として使われている「たんのう」は、
通常時ではなく非常時、つまり、
苦難や困難に出くわした時に発動する「たんのう」の「動き・作用」といった
動詞的解釈をしていると考えられます。

動詞的解釈に関して次に説明があります。



天理教信仰者の心づかいは「たんのう」である


たんのうは静止でもなければ安住でもない。活発な信仰の躍動を胎み、大きな伸展を将来に宿した働きの基盤である。天理教者の心づかいを一言で表せばたんのうということであろう。

たんのうは、苦難や困難が起きても「自分の置かれている状況をまるごと受け入れる」ことにより、
「親神様のなさることだから、何もしなくても大丈夫だ」
と、変わらなくても安心だとか、
そのままでも良いということではありません。

苦難や困難は、親神様が人間に与える陽気ぐらし世界への道標ですので、親神様のメッセージである苦難や困難の先には、「活発的な信仰の躍動」「人間の大きな伸展」が内在しています。

つまり、
「たんのう」は信仰者にとって
「心掛けるべき、基本的なスタンス」であり、
「信仰エネルギーを生み出す源」であり、
「陽気ぐらしをする為の方法」なのです。

これまで、述べた「たんのう」の性質から言えることは、
天理教信仰者の心づかいを一言で表せば「たんのう」です。

そう、天理教信仰者の心づかいを一言で表せば
「たんのう」なんです!

(大事なことなので2回言いました)

ということで、今回はここまでです。

次回でおそらく「たんのう」シリーズは最後になると思います。


おまけタイム


どーも!お家で暇を潰す天才
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

今回は、お家で暇を持て余している方も多いと思いますので、そんな方々の為に、
お家でできる、オススメ妄想ベスト3を紹介したいと思います。


第3位
妄想親孝行

現在の移動自粛の中では、親孝行もろくに出来ない方が大勢おられると思います。
そんな方は、妄想で両親にマッサージをしてあげると良いです。
両親はとても喜びますし、こちらとしても、両親に喜んで貰えて嬉しい。
登場人物皆が幸せになれる妄想です。


第二位
妄想お掃除

ずっと家の中にいると、すぐに家が汚れてしまうと思います。
でも掃除を頻繁にするのはめんどくさい。
そんなあなたにオススメなのが、「妄想お掃除」です。
妄想の中だと、普段は掃除出来ない、冷蔵庫の下や棚の奥など、簡単に掃除することができます。
家中ピカピカになって、とても清々しい気分になれる妄想です。


第一位
妄想トイレ

この自粛中、家で映画を観る方も多いのではないかと思います。
しかし、トイレに行きたい時でも、家族皆で観ている為、一時停止させてもらえない。
こんな経験誰でもあると思います。
そんな時にオススメなのが、妄想トイレです。
妄想でトイレに行けば、映画を中断する必要はありません。
尿意は残ってしまいますが、トイレに行きたいという欲求は満たせるので、まさに家族皆がWIN-WINになれます。


自宅で過ごす日々が少しでも豊かになれば幸いです。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!




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