138.教祖が「おぢば」はどんな所か説明された話し

はじめに

高野友治氏が執筆された、「教祖余話」には、稿本天理教教組伝や稿本天理教教組伝逸話篇にも出てこないような、教祖の御話しがたくさん載っています。

その中で僕が面白いなーと感じた御話しをピックアップして紹介したいと思います。

おぢばは喜ぶところ


「ぢばという処は、世界たすけの場所であるから、ぢばにおって、苦しいとか、悲しいとか、情けないという心は、もってくださるなや世界たすけの邪魔になります。ここにいるならば、好ましい、たのもしい、ありがたい、とよろこんでくだされや。そしたら神は、いつまでおってもかえれとも言いませんで。いつまでいてもかまいませんで。そのかわり、悲しんでいては、いようと思ってもいられんようになりますで」
と、おっしゃっておられたそうです。


苦しい、悲しい、情けない


「ぢばにおって、苦しいとか、悲しいとか、情けないという心は、もってくださるなや」

僕は、この言葉を読んで、
「まじかー」
(どうとでも意味が読み取れる便利な言葉)
と思いましたので、今回はここを掘り下げていきたいと思います。

僕がこの言葉を見て真っ先に思い浮かんだのは、
「八つのほこり」です。

「をしい・ほしい・にくい・かわいい・うらみ・はらだち・よく・こうまん」
また、この八つに「うそ・ついしょう」を加えたものが、使わないように心がける心遣い、
また使ってしまったとしても、溜まった埃を掃除するように、心の掃除をして払えば良いと聞かせていただいている心使いです。

今回登場した「持ってはいけない心遣い」が、
「苦しい・悲しい・情けない」
の三つです。

僕が先程「まじかー」と思ったのは、使わないように気をつけないといけない心遣いが、増えてしまったと思ったからです。

しかし、よくよく言葉の質を考えてみると、ただ単純に使ってはいけない心遣いが増えたと言うわけではなさそうです。

そこでまずは、
「八つのほこり」と「苦しい・悲しい・情けない」
の違いについて考えてみます。


「八つのほこり」と「苦しい・悲しい・情けない」の違い


まず挙げられる大きな違いは大きく分けて二つあると思います。

「八つのほこり」
・能動的
・対人関係において使ってしまう心遣い。

「苦しい・悲しい・情けない」
・受動的
・自分や周りの状況に対して使ってしまう心遣い。

このように違いを見ていくと、教祖の言われていることが段々と分かってきました。

教祖は、
心の使い方というより
「感じ方」

「物事の受け取り方」
について教えてくださっているということが、読み取れます。

教祖は、起こってくる様々な物事に対して、
「苦しい・悲しい・情けない」
と受け取る(感じる)のではなく
「好ましい、たのもしい、ありがたい」
と喜んで受け取ってほしいと仰っています。


喜べない心は世界だすけの邪魔になる


ぢばという処は、世界たすけの場所であるから、ぢばにおって、苦しいとか、悲しいとか、情けないという心は、もってくださるなや。世界たすけの邪魔になります

かなり厳しいお言葉のように思います。

世界たすけの場所で、苦しいとか悲しいとか情けないと感じてはいけないということです。

これは思考法を変えるとか、
考え方を変えるとか、
そういった次元の問題ではなく、
自分の価値観(感性)を根本から変える(進化させる)必要があります。

「苦しいとか、悲しいとか、情けない」
といった感情(心遣い)は、反射的に感じてしまうものです。
これを反射的に感じてはいけないという、めちゃくちゃハードルの高い課題になります。

理想としては反射的
「好ましい、たのもしい、ありがたい」
と感じる必要があるわけです。


こーせー流実践方法


では、理想の状態になるにはどうすれば良いか。
僕なりの実践方法について紹介したいと思います。

僕の基本的なスタンスとしては、
たった一つだけ、これだけ外さなければ間違いない。
といえる教理があります。
それは、

十全の守護?
→NO

かしものかりもの?
→NO

たんのう?
→NO

これらの教えではなく、僕が思うこれさえ押さえておけば間違いないと思う教えは 、

「元のいんねん」

です。

先に上げた、十全の守護、かしものかりもの、たんのうといった教えは、いわば理です。

言い換えるならば、この世のルール、規則、法則とも言えるかもしれません。

しかし、元のいんねんはこれらとは、一線を画します。

元のいんねんは、
「人間に陽気ぐらしをさせたい」
という、この世のルール、規則、法則の土台であり、教理だけでなく、身の回りで起きる全ての事柄の目的も、「陽気ぐらしをさせたい」という親心に帰結します。

つまり、
全ての事象の根本は
「人間に陽気ぐらしをさせたい」という、
「親心」になるのです。

ですから、身の回りで何が起こったとしても、それは
「陽気ぐらしのために神様が導いて下さっている」
と理解してさえいれば、まず生まれる感情は
「嬉しい、ありがたい、楽しみ」
といった、前向きな思考になります。

これが出来たら本当に、多くの出来事に対して、反射的に前向きな姿勢を取れるようになります。

ところが、中にはとてもじゃないですが、反射的に喜べない出来事もあります。

しかしそれは、神様が
「少し立ち止まって、ゆっくり考えてみなさい」
と、考える時間を下さっているのだと思います。

あくまで、僕流の考え方ですので、参考程度にしていただけたらと思います。


おぢばは喜ぶところ


教祖のお言葉を、めちゃくちゃ端折ってまとめると
「ぢばという処は、世界たすけの場所であるから、どんな時でも喜んでくだされや」
このようになると思います。

ここから
人を助けるためには
「自分が喜んでいないといけない」
ということが、読み取れるように思います。

自分が喜べていないのに、人を喜ばせることは出来ません。

やはりまずは自分が実践することが、もの凄く大切だと思います。

ですから、
まずは自分がどんな中も喜ぶ。

これに尽きるのではないでしょうか。


おまけタイム


どーも!通常更新を5日も空けるのが初めてだったためか、今回の記事に力が入ってしまった男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

実はこのこーせー流実践方法は以前「たんのう」のシリーズと柏木庫治氏の記事でも書いたものです。

同じ内容を書くのってどうなんだろう?

と思っていたのですが、そもそも僕の記事を全部読んで、さらに内容もなんとなく全部覚えていることなど不可能だということに気付きました。

ですから、部分的に同じような内容であったとしても、アプローチを変えてどんどん発信していこうと思います。

久しぶりのおまけタイムなのに、真面目な話しをしてしまったので、バランスを取るために、ハゲあるあるでも言いたいと思います。




ハゲは







帽子が命





本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!









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