107.かしもの・かりもの「消費賃借」と「使用賃借」は違う



はじめに


天理教の教会長でありながら弁護士もしている羽成守氏が「『消費賃借』と『使用賃借』は違う。」ということを述べられおり、面白かったので取り上げさせていただきます。


「消費賃借」と「使用賃借」


まず、説明しなくてはいけないのは、人から何かを借りることに対して、
「消費賃借」と「使用賃借」になぜ分けて考える必要があるのか?
ということです。

これは、おふでさきに出てくる。

人のもの かりたるならば りがいるで 
はやくへんさい れいをいうなり  三ー28

から派生する問題です。

おふでさきでは、人から借りたモノは、はやく返しなさいと言われています。

しかし、法律上では自己破産や債務整理など、借りたお金を返さなくて良い制度があります。

弁護士として、自己破産や債務整理の手続きを担うことがあるわけですが、これが神様の教えと矛盾していると考えた場合、弁護士は神様の教えから背く行いをしていることになる。ということが問題になってきます。

ここが矛盾しないようにするために、「消費賃借」と「使用賃借」は違うと捉える必要が出てきます。

そもそも「消費賃借」と「使用賃借」ってどう意味なのか気になる方もおられると思いますので、その説明も含めて、天理教教会本部宗教法人課から出ている機関紙「宗教法人実務ニュース」の連載500回記念紙に掲載されていた、羽成弁護士のインタビューから抜粋したいと思います。

(※「宗教法人実務ニュース」はかなりマイナーな機関紙で、おそらく直属と教区の宗教法人実務担当者にしか配布されていないモノかもしれません。
しかし、500回記念紙の羽成弁護士のインタビュー記事はかなり面白いかったので、読む機会がある方は是非読んでいただきたいです。)

借りたものを返すようにという教えがあったと思うがそれに対してどう解釈すれば良いのか?
という質問に対する答え
 そうですね。私も法律と信仰というのは、イコールであるべきだと思っていますが、おふでさきに

人のもの かりたるならば りがいるで はやくへんさい れいをいうなり

とあります。このお歌のことですね。
 私はこのお歌は、サラ金のような消費借金には当てはまらないと思います。弁護士的な観点から捉えるとこのお歌は、消費賃借ではなく、無償での貸し借りである使用賃借だと解釈することができます。
 ちゃんと賃料を払って物を借りる賃貸借や、利息を払ってお金を借りる消費借金のような商売は、双方が対等な関係なので、借金や利息を払うことが前提としてあります。ところがこのお歌は、消費借金や賃貸借のことではなく、使用賃借のことをおっしゃっているのだと解釈すると理解しやすくなります。
 つまり、無償で人から物を借りたならば理がいるぞ。だから借りたものを返して早くお礼を言いなさいと。これは「かしもの・かりもの」の教理にも通じるわけで、私たちは神様から無償でこの身体を借りています。借りている以上は、お借りしている感謝の気持ちを忘れてはいけない。
 使用賃借は貸し手から要求されれば、いつでも返さなくてはいけませんが、これは身体も同じです。つまり、あのお歌は商売上のことを言っているのではなく、無償での貸し借りのことをおっしゃっている、天理教関係者でサラ金のことを相談に来られる方には、この解釈を説明して安心してもらっています。

これを読んだ時に、「借りるという行為は1種類ではない」ということがすごく新鮮でした。

「無償で借りている物」と、「実際の社会における貸し借り(レンタルや借金等)」とは、明確に区別する必要があるということです。

言われてみれば当たり前なんですが、レンタルDVDを借りる時に
「神様DVDを貸して下さりありがとうございます」
と思うことは、違和感があるし、逆にかしもの・かりものを軽く見ているようにも思えてきます。

無償で借りている物に対して言われている教えだと考える方が、確かにしっくりくるし、理解しやすいと思いました。


「り」をどう訳すか問題


「人のもの かりたるならば りがいるで」
このお歌を解釈する際に、「り」を「理」と訳すのか、「利」と訳すのか問題があります。

羽成弁護士のインタビューでは「理」と訳されていますが、「おふでさき通解」では「利」と訳されています。
(※今僕の手元には、おふでさきの解釈本が「おふでさき通解」しかありませんので、他の解釈は調べていただけたらと思います。)

先に僕が直感的に思うことを述べると、「り」は「理」じゃないかなと考えます。

なぜ「理」と考えるかと説明すると、「利」とする場合は「利息」という風に考えるのが妥当だと思います。
しかし、その場合「人の物を借りるのは利息がいるので、早く返してお礼を言いなさい」ということになると思いますが、これって当たり前すぎると思いませんか?

「利」と訳す場合、おふでさきにわざわざ書く内容では無いように思います。

「忘れるから筆に記しおいた」と言われているのがおふでさきですが、利息がいるなんで話は、天理教を信仰していない人にとっても当たり前のことなので、忘れるような内容では無いと思うのです。

以上のようなことを思いましたので消去法で、「り」が「利」ではないだろうという考えの元「り」は「理」だと思いました。

ちなみに「理」はどんな意味と考えれば良いのか。ということですが、「理」は「ことわり」「おさづけの理」「理づくり」等、かなり多様な意味を包括しています。その上から、「徳」に近いニュアンスじゃないかなーと直感的には考えられます。


終わりに


本当は「り」については本日書く予定ではなかったのですが、なんとなく流れで書きたくなって書きました。

毎日更新という性質上、こういったイレギュラーなことを書き出すと、どしても教理的な裏付けを調べる時間がありませんので、良い解釈を知っている方がおられましたら是非教えて下さい。




おまけタイム


どーも!育児により自粛の影響を微塵も受けていない男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

小学生や幼稚園に通う子供がいる場合は、かなり自粛の影響を受けているようですが、子供が小さいと外に行けず、逆に何も影響が無いので、勝ち組になったような気分でいます。

というわけで、この自粛期間で逆に勝ち組にのし上がった人達トップ3を独断と偏見であげていきたいと思います。

第3位
ニート

早くも1位大本命のニートが登場してしまいました。彼らは、畳一畳のスペースで人生を謳歌する方法を心得ているので、自粛などなんの影響も受けません。
ただ、ネット通販をする人が増えたせいで、今までより、注文した品物が届くスピードが遅くなったということで3位となりました。


第2位
骨折している人
ニートを抑えて栄えある2位にランクインしたのが、骨折した人です。
本来であれば、骨折により外に行くことができず、家の中で過ごすことに窮屈さを感じるところです。
しかし、この度の自粛で、骨折していなくても外に出ることができないため、むしろ、「骨折していて良かった」と、骨折を肯定するような事態にまでなっている人もいます。
ただ、熱がないのに病院に通わなくてはいけないというリスクがあるため2位となりました。


第1位
最近太った人
栄光の第1位を獲得したのは「最近太った人」です。
薄着に移行するこの季節、服を着るとお腹が出ている等かなり目立ってしまいます。
しかし、この自粛期間は外に出なくていい上、太ったことを自粛のせいにして、健康被害を受けたと国を訴訟すれば、損害賠償を請求できるかもしれません。
(できません)
最近太ってしまった人にはとにかく言い訳が必要になってきますので、
「自粛期間にランニングで外に出るなどけしからん」
と言っておけば、自分のメンツは保たれ、太った言い訳もできるというわけで、勝ち組一直線になります。

異論は、妥当性が僕の独断と偏見より上なら認めます。
(挑発的な強気)


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!




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