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262.「松下幸之助」が天理教を超リスペクトしている件について


はじめに

松下電器(パナソニック)の創業者である松下幸之助(以下松下氏)が、
「天理を来訪して水道哲学を閃いた」
というエピソードは、天理教信仰者にとっては有名なお話です。

この松下氏が、天理教を超絶リスペクトしている講演を見つけました。


ちなみに、
松下氏と天理教について書かれた本といえば
「命知と天理」著:住原則也
が一昨年出版されましたが、この本には取り上げられていない資料となっています。


天理教にお詣りして悟る


松下氏が晩年「第百八十二回経営研究会」にて、
「若い頃天理教にお詣りして悟ったこと」
について話しています。

その中で、

「今日見た天理教は、つまり安心立命を与えて、その人を救っている」by松下幸之助

「心の面、精神的な豊かさを与えるのが天理教や。われわれは物を持って、日本を豊かにするのだ。」by松下幸之助

このように講演の中身は、
松下氏が天理教を超絶リスペクトしている内容になってます。


「松下氏の超絶リスペクト」
これは皆さん気になる内容だと思いますので、早速その講演の抜粋を載せたいと思います。


天理教にお詣りして悟る
それで、そういうものを胸に抱いていた時に、天理教にお参りしようと小売屋さんからやかましく言われた。十回余り小売屋さんが来て、「松下さん、あんたの品物は非常に売れて発展しているけれども、あんたはもっと発展できる。あんたは将来に大発展できると私は思う。そのためには天理教に入れ」と言って、まぁいろいろ説明してくれる。ぼくを勧誘したわけです。
 ぼくはそんな気はないから、そのつど断っていたけれども、「明日またお詣りするのやが、一緒に行ってくれ」と言われたときに、あまり熱心だから、義理でも行かないといかんと思って行ったわけです。そしてずっと案内してくれた。すると、もうすっかりびっくりしてしまった
 そのとき天理教の教祖殿に行ったが、それは仮教祖殿であって、本教祖殿は今建築中だという。全員が「ひのきしん」のはっぴを着て、いたるところに、その格好をしている人がいる。それが全部奉仕です。賃金は要らないのや、信者がやるのだから。
 そして製材場まで持っている。全国の信者が献木する。献木したものを製材場で製材する。それでどんどんどんどんやっている。製材場の広さはなんぼあるか分からなかったけれども、今から考えてみると、千坪ぐらいはあったかね、その製材場の外に材木が山ほど積んである。中に入ったらもう機械鋸でどんどん木をひいている。
ぼくはびっくりした。 たいへんな発展だなと思った。ぼくは信者でないから、ありがたいというものが分からないけれど、僕を連れて行った人は、「ありがたいことです。このとおり、みんなが喜んでやっているんです。松下さんも信者になられたら、もう日本一の成功者になる。ぜひお入りなさい」と言って熱心に勧められる。けれども、どうしても僕はそういう気が起こらない。
 それで、その人は山に泊まる。僕は五時に山を下って帰ってきた。電車の中で考えたことは、ちょうど日ごろ心にかかっておった、うちが発展すれば他がへっこむということでした。これは共存共栄ではないわけです。うちは繁栄するけれども、同業者が倒れていくと言う状態です。だから、これがどうしても胸にあったわけです。
 しかし天理教の発展の姿を見て、これは、今の考えはいかん。そういう小さい問題で悩んでいたらいかん。もっと大きく全体を発展させるんや。だから、一、二軒倒れても、日本全体が、国民の全てが豊かになれば良いのだ。そういう仕事をやらないといかん。それが松下の新しい使命だ。自分は今まで心の底にちょっとした悩みがあった。うちが発展すれば隣がへこむと言うことで悩んでいた。それはなるほど心情的にそういうこともあるけれども、もっと大きな世界を考えないといかん。大きく考えて、日本の人々を貧乏から救うんだ。貧をなくすんだ。今日見た天理教は、つまり安心立命を与えて、その人を救っている、これも大事だ。我々がやっている仕事と言うものは、心に安心立命を与えない。しかし、日常使うものを与えて、富を与えている。だから天理教は心を救うのだ、我々は貧をなくすんだ。社会を豊かにして貧をなくす。貧乏を克服する仕事をやっているんだ。だから、一、二軒がどうやこうやと言う小さい問題にこだわってはいかんと言う事、ぼくはそこで悟ったわけです。
 今までも熱心にやったけれども、単なる熱心さであった。大きな使命観に立っていなかった。国民を豊かにする、これがわれわれの仕事だ。天理教と変わらない。天理教は物を与えない。しかし心の安心を与える。われわれは心の安心を与えるものはない。けれども、心に困っている人に物を与える。日本を豊かにするのだ。心の面、精神的な豊かさを与えるのが天理教や。われわれは物を持って、日本を豊かにするのだ。物心一如の繁栄というものは、両者が一体になったらできるんだ。その一方を担いで車の両輪の1輪をやるんだ。これが使命だ。これは、いっぺんみんなに宣言して、松下電器の250年計画を立てないといかん。
 
こういうこと二、三日考えて、ちょうど五月五日になるから、五日に発表しよう。端午の節句でもあるから、というので告辞文を作った。
(後略)

出典:松下幸之助発言集28巻
「命知五十年を期して決意を新たに」
第百八十二回経営研究会
昭和五十五年(一九八〇)五月十九日
於・松下電気 中央研究会(大阪)

これが松下幸之助が天理教について語っている部分です。

この講演の後半は、
「松下の決意」
「社員の反応」等
といった内容になっていますが、ここは直接天理教と関係ないので割愛させていただきます。


どうですか?

僕はこれを初めて読んだ時、
「松下幸之助さん、想像以上に天理教をリスペクトしてる!!」
と思い、にやけてしまいました。

当時のおぢばは、松下氏にそこまで思わせる空気感があったんだと思います。

そうなってくると、
一体おぢばの何が松下氏にそこまで思わせたのか?
これが非常に気になってきます。

これが分かれば、僕達が天理教の魅力を周囲の人たちに伝えるヒントにもなるからです。

そこで、
松下氏程の人間を感動させたおぢばの空気感、
これがどんな雰囲気だったのか調べてみました。

教祖殿普請の熱気


松下氏が見学した神殿普請の様子がどのようなものだったのか調べてみると、、松下氏が来訪した約1ヶ月後の天理時報昭和7年6月16日号に、
教祖殿普請の様子」と
「職人がひのきしん姿を見た感想」

が載っていました。


教祖殿普請の様子

現在、教祖殿の方は、基礎コンクリートの間へ土を埋めてしまう埋め戻し工事を終わり、柱石束石の据え付け工事の真っ最中であり、同合殿及び御用場は基礎コンクリートが完成し、両三日中に埋め戻し工事にかかろうとしている。やがて基壇のコンクリート打ちの行われるのもまもなくの事であろう。これらの工事に実際携わった人達は、常勤ひのきしんの人が1日平均約135名、職人約150名、それに随時行われる各団参のひのきしんを加えて、平均1ヵ月に10,000人を超過している、なおその構築に使用された材料の一部をあげてみるならば、教祖殿の基礎コンクリートに使われたセメントだけでも 2800樽に及ぶだろう、また柱の下部その他に使用される石材は、大なるものは、教祖殿玄関の柱石となる3尺8寸角、高さ2尺のものを始め、北木島産の石が841個及び教祖殿の柱間石に使用される。9尺角のものその他に徳山産の石材が280個使用される。(後略)
※現代仮名遣いに直しています。

出典:天理時報昭和7年6月16日号

これを読むと、松下氏が見学した時の作業の規模感が分かります。
常勤のひのきしんの人:約135名
職人:約150名
団参ひのきしんの人:約333名(1ヶ月約1万人を日割計算)

毎日約600人を超える人数でひのきしんをしていたとなれば、中々の規模です。

松下氏は全員が信者だと思っていましたが、そうではなく、一般の職人も一緒に作業していたようです。

プロ無しの素人建築で教祖殿や礼拝場を建てる訳にはいかないので、考えたらそりゃ当然ですね。

そして、
この信者ではない職人の目から見た神殿普請の感想が、当時の雰囲気を知るための重要な資料になります。

プロの技術者が信者のひのきしん姿を見た感想

工事の跡を辿る その1
楽に運んだ工程 条件完備と信仰の賜 建築技術部員は語る
この大建築工事の参謀本部ともいうべき建築技術部では、この仕事を如何に見ているか、工事の跡を辿る第一歩として先ず技術部員の意見を聞く

実に楽と言うべきでしょう。一般世間で、いかに安価に、しかもいかに立派に見せかけるかという事が第一の問題です。そして常に我々の仕事は予算で締め付けられています、ここの工事では、その制約はほとんど受けないと言っても過言ではないでしょう、それから計画が変更されたことがありましたが、なお十分な日数があります。また、広い場所を準備工事のために使用できます。それに、仕事をする人たちの数が実に豊富です、これらは最も良い条件です、始めは色の白い力弱そうな常勤ひのきしんの人たちを見た時は、何ほどのことができるかと感じましたが、今では皆んなが一人前以上の働きになっています。そして慣れてくるに従って、自分の仕事が面白くなってきたのか、非常にはかどるようになりました、だが、最も大切な事は、上の人も下の人も信仰に燃えつつ大工事に専心している事です。この一事がこんな大工事をすらすらと楽に運ばす所以でしょう。

出典:天理時報昭和7年6月16日号


最初の一言目に、いきなり核心が出てきます。

実に楽というべきでしょう。

「はたはたを楽にするから働くというのや」

当時のひのきしんに励む人々が、このおやさまのお言葉を体現していた事がよく分かります。

そして、何がひのきしんに励む人々を駆り立てていたのかと言えば、ここに書いてある通り、信仰に燃えているということです。

最も大切な事は、上の人も下の人も信仰に燃えつつ大工事に専心している事です。

信仰に燃えている状態というのは、ひのきしんの態度のことで、感謝と喜びが原動力になっている状態だと思います。

この感謝と喜びを原動力に
「陽気ぐらし世界」
という大目標に向かって突き進んでいる事が、職人には信仰に燃えているように見えたのでしょう。

松下氏が天理を来訪して、
「もっと大きな世界を考えないといかん。」
と感じたのは、
おやさまの掲げた陽気ぐらし世界に邁進する、信仰者のパワーを目の当たりにしたからだと思います。


三代真柱中山善衛と松下幸之助の対談に現れた違和感の正体


あらきとうりょう42号に、三代真柱中山善衛(以下三代真柱)と松下氏の対談が載っています。

この中でこういうやりとりがあります。

松下氏
「(前略)そこで、そのP・H・P(prosperity peace happy)の研究を思いついたわけです。その時に方々へ行きましたよ。天理教へは行きませんでしたけれども、東本願寺へも、西本願寺へも乗り込んで行って、大いにP・H・Pの観点から宗教を論じたわけですよ。(後略)」

三代真柱
「そのP・H・Pの考えをもう少し具体的に御説明いただけませんか。」

松下氏
「まだ十分に真理を得ていませんのではっきり言えませんし、あなた方の雑誌にはどうもね(笑)(後略)」

出典:あらきとうりょう42号

このように、松下氏が自身の研究の説明を渋る場面があります。

最初にこの対談を読んだ時は、説明を渋る理由が分かりませんでしたが、松下氏の講演を読んで、天理教からかなり影響を受けているため
(むしろP・H・Pの原点になっていると言っても過言ではないかも)
だと言う事が分かりました。

同誌で三代真柱がP・H・Pの雑誌を読んだ感想を述べるのですが、その感想が
「僕らの教えて頂いている教理と、ある点では共通したものがあると思って拝見しました。」
と述べているので、その可能性は低くない事が分かります。


最後に

松下氏の超絶リスペクトしていた頃のおぢばの雰囲気を、教祖140年祭活動の参考にしていただけたら幸いです。


おまけタイム


どーも!すっかりご無沙汰してしまった男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

大教会青年が始まって、はや2ヶ月が経過しました。

大教会で生活していると、一日中ひのきしんがあり、今は日没が早い事も合わさって、にをいがけをする暇が中々ありません。

そう考えるとやはり、僕にはnoteを書いたり、ラジオを収録することが、まずできることだと思うので、これからも天理教noteをどうぞよろしくお願いします。


P・S
今日近所の商店街を歩いていると
「おもしろランド」
を見つけたので、皆さんに紹介したいと思います。



本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!





サポートして貰えたら、そりゃめちゃくちゃ嬉しいです!