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156.「真柱の理」


はじめに

「なぜ真柱様(以下敬称略)が必要なのですか?」
「真柱の理ってなんですか?」

真柱が大切なことは知っていても、何故大切なのかが答えられない方は多いのではないでしょうか。

「真柱は必要無い」といった完全に誤った認識をしている方も、時々見かけたりしますので、そんな誤った認識をしない為にも、「あらきとうりょう173号」を参考に、真柱の理について書かせていただきます。


「真柱」が大切であることの証明方法


まず、「真柱」が大切であることを、どのように証明すれば良いのかという問題があります。
この証明については
1.教祖が真柱に言及されてる逸話がある
2.原典に登場する

このどちらか、もしくは両方の条件を満たしていれば「真柱」が大切であることの証明になるかと思います。

ではまず、教祖が「真柱」について言及している話しから紹介していきます。


教祖の言葉に出てくる真柱


1.稿本天理教教祖伝よりp68

「今度、おはるには、前川の父の魂を宿し込んだ。しんばしらの眞之亮やで。」

教祖は男女の区別もつかない生まれる前から、真柱を定められていました。

もしかしたら、
「男か女かなんて二分の一で当たるじゃん」
と思われる人も、いるかもしれませんが、逆に考えてみて下さい、
「二分の一で外す可能性がある」
ということです。
僕がもし教祖の立場だったら、わざわざ二分の一を当てにいくような危険は犯しません。間違えた場合、それによって失うものが大き過ぎます。
ですから、この生まれる前から真柱を定められた御言葉自体が
「教祖に親神様が入り込まれている証明になる」かと思います。


2.稿本中山眞之亮伝よりp8-9

「眞之亮は、これから先、何を言うのやと思うような事もあるかも知れんで。しかし、それは神が言わすのやで。」

この言葉から、教祖とは違う意味で、「真柱」には神さまが入り込まれることが分かります。


3.稿本天理教教祖伝よりp277

「さあ〳〵今なるしんばしらはほそいものやで、なれど肉の巻きよで、どんなゑらい者になるやわからんで」

この御言葉は明治18年の御言葉ですが、当時、真柱である眞之亮はまだ若く、周りの先人達も、「教祖の孫」というだけで、あまり真柱の思いを重視していなかったようです。
しかし、それではいけないということで、教祖がこのような御言葉の言われたのだと思います。

以上のことから4点分かることがあります。
1、真柱は、教祖が直々に定めて下さった。
2、真柱は、魂のいんねんによって定められている。

3、真柱には、「月日のやしろ」とは別の意味で神が入り込んでくださる。
4、今の真柱が細く(若輩者)でも、周りのものが誠真実を寄せれば太い柱になる。

このようなことが分かってきます。

教祖がこれらの事を話されていたという事実だけで、「真柱」の重要性が伺えます。


さらにここから、おさしづを見ていきたいと思います。


おさしづに出てくる真柱


おさしづには「しんばしら」という語が36箇所あります。
その内約4割強にあたる15件が明治23年と24年に集中しています。
そこから一部ピックアップしたいと思います。

何年から紋型無き処から、しんばしらという
明治23年10月13日
妊娠なって一つ話掛け、紋型無き妊娠よりしんばしらと言うて、親族話掛け。…(中略)…妊娠どちら分かり難ない処、しんばしらという理明らか。
明治23年11月17日

このように、生誕される前から深いいんねんをもって真柱と定めていることが強調されています。

明治24年のおさしづでは

内々万事しんばしらに一つ〳〵
明治24年5月13日
しんばしらにしっかり伝えて
明治24年6月11日

このように、真柱に何事も相談し、内々を治めていくことを言われています。

これらのおさしづの内容は、先ほど上げた教祖のお言葉と重なっています。

ですから明治23〜24年の頃は、何度も何度も真柱が大切であることを繰り返し述べて、周囲の人々に真柱の理を分からせようとしていたことが伺えます。


真柱の一声


そして、明治38年のおさしづに、真柱の理を表すものがありました。

さあ〳〵まあこれ皆々、何人あれども、あちらこちら、今日の日揃うまい〳〵しんばしらが聞きて、一つ理こうと言うはこう。帰らん者あれど、決まってこうと言えば、何人寄るも同じこと、…
明治38年5月11日

この意味は、
「真柱が『こうだ』と言ったならば、それが理であり、周りの人達が何人寄ってもそれは不変のものである」
このようになります。

現在の「天理教教典」が二代真柱中山正善の名の下に教義書としての地位を確立しているのは、このためです。

また旬に応じて「諭達」が真柱の理において発行されるのも同じです。

内々一つのしんばしら、声が一つの理、
明治26年5月12日
さあ〳〵皆の一声千声よりも、しんばしらの一声。
しんばしらの一声は用いらん者はあろうまい。
明治39年5月26日

このように、真柱のお言葉がいかに重く重要なものであるかが、このおさしづから分かります。
この他にも、真柱の言葉が重く重要なことを示すおさしづは、多数存在します。


おふでさき要点


※僕の気力と体力という超個人的な理由により、おふでさきにおける真柱の立ち位置は要点だけあげさせていただきます(すみません泣)

気になった方は自分で調べてください。(投げやり)


・かんろだいを「しんのはしら」と表現されることから、真柱はかんろだいの理を受けていると考えられる。

・真柱は内を治めるしんばしらであり、世界だすけに向かう「をや」としての立場を持っている。

・真柱の話は教祖のお心のままにお伝え下さる(ぢばの理)

・真柱の話に心を寄せ、その話を実行していく(「しん」に肉を巻く行為)ことが、ようぼくの根本的あり方である。


真柱の理 まとめ


真柱は単に道の中心のなる人物という意味に留まりません。
存命の教祖から許しを戴く上で指示くだされ、おはこびをしてくださいます。
いわば信仰の要と言うべき立場です。

教祖が現し身を隠される直前や、本席を定めるさいの状況からも分かりますが、親神様がたすけの上に事を進める際、何よりも真柱の言葉を重要視しました。

そのことからも、真柱のお言葉や、思いを明かされることで、信仰者の歩みの指針が得られることになります。

信仰の歩みを進める上で、真柱の理を外すということは、親神様の思召を否定することになり、信仰的意味を成さずに人間思案に堕ちてしまします。

ですから、真柱の一声は、存命の教祖及びぢばの理の発現であり、その指針によってこそ正しく道の歩みを進めていくことができるのです。


おまけタイム


どーも!ゼリー凍らせたやつにハマる男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

最近、夜中にお菓子やアイスなんかをバリボリ食べています。

中でも一番ハマってるのは、ゼリーを凍らせたやつです。

暑苦しい夜には最高のおやつになります。

ということで、今日もめちゃくちゃ眠たいのでもう寝ます。

(眠たくなると全て箇条書きっぽくなってしまう説)

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!





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