おまけタイム総集編 131〜135


はじめに

日曜日は、おまけタイム総集編の更新となります。

僕のおまけタイムが一番楽しみという稀有な方のために、今まで書いた記事のおまけタイムのみをまとめた、総集編をお送りしたいと思います!

当時を振り返ったコメントも添えてます。


131.天理教教会本部の「田植え」と「苗取り」してきた話 のおまけタイム


どーも!田植え中の泥だらけの手でスマホを取り出し、パシャパシャ写真を撮りまくる男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

この記事を読んで、疑問に思った方ももしかしたらいるかもしれません。

そうです。
「写真撮ってる手、泥だらけじゃね?」

このようの思われた方、素晴らしい想像力を持っておられます。

やはり、スマホが汚れるのと、記事のネタになる写真が撮れないの、どちらか一つを選べと言われれば、スマホが汚れる方が良いということなのです。

僕も一端のブロガーになったのだなと実感しました。
( ˘ω˘ )

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

ほな!

一言コメント
今では、睡魔にしょっちゅう負けるので、一端のブロガーから降格した気分です。


132.おふでさき概説 おふでさきの扱い方 のおまけタイム


ーも!昨日の田植えで筋肉痛になっていると見せかけてなっていない男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

筋肉痛にならずに済んで本当に助かっています。

この感謝の気持ちを表すべく、筋肉痛(きんにくつう)であいうえを作文を作りたいと思います。

きみと初めて喋ったのは
ん?どうしたの?って聞いてくれたあの日
にくいぐらい可愛らしい君の横顔に
くるしくなる。
ついに告白しようと思う
うしろ姿を見ているだけは卒業だ



練習終わり!




本番スタート!



キンキンに冷えた八宝菜
んーこって言うな、うんこだ!
ニコラスケイジ見たいな顔しやがって
くそって言うな、んーこだ!
痛風だけは勘弁して下さい
ウーロンハイだけはマジで許さない

ふー( ̄∀ ̄)
名作になりうる作文ができました。

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

ほな!

一言コメント
そういえば最近アイウエオ作文やってないですね!今度やろ!


133.お道に知恵や学問はいらぬと言われますが、学問と信仰は矛盾することでしょうか?「続・信仰問答」#16 のおまけタイム


どーも!今度こそ田植えで筋肉痛になると予想している男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

本日も田植えに行ってきました。

詳しく知らない方はこちら


今回田植えを行なった田んぼに、何かよく分からない生き物がたくさんいました。

それがこいつです。

(グロ注意なので画像を見たい方は、下のリンクから記事に飛んでいただけたらと思います。

こいつが大量にいる田んぼに素足で入るのは、大変抵抗があると思うのですが、大量にいると気づいたのは、田んぼから上がった時だったのでセーフでした。

もし田植え前に気づいていたら、怖気付いていたかもしれません。

あっグロ注意入れた方がよかったですかね?テヘペロ

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

ほな!

一言コメント
これカブトエビって言うらしいです。こいつのおかげで田んぼが元気に保たれているそうです。


134.おふでさき概説 第一号、第二号概説 のおまけタイム


どーも!
「有難い」の反対は「当たり前」
「好き」の反対は「無関心」
「美味しい」反対は「無味」ではなく「不味い」だと思う男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

反対語についてふと思ったことを書きたいと思います、

「有難い」の反対は「当たり前」
「当たり前」の反対は「ありがたい」
これは納得です。

しかし、
「好き」の反対は「無関心」
「無関心」の反対は「好き」
これは納得できなくないですか?

ちょっとこのことについて考えていきたい思います。

「無関心」の反対は「関心有り」ではないでしょうか?
もし「無関心」の反対で「好き」が成り立つなら、
「無関心」の反対は「嫌い」も成り立つと思うんです。

このことについて考える際に参考になるのが、ユング心理学の「影(シャドー)」という概念です。

影の内容は、簡単にいって、その個人の意識によって生きられなかった反面、その個人が認容しがたいとしている心的内容であり、それは、文字どおり、そのひとの暗い影の部分をなしている。
出典:ユング心理学入門 著:河合隼雄


つまり影とは、自分の中で
「これはいけないことだからやっちゃ駄目だ」
と思ってる部分になります。

「人の悪口を言っちゃ駄目だ」
と思ってる人が、人の悪口を言っている人を見ると、
「あいつはなんて最低な人間だ」
と腹が立つと思います。

逆に、普通にで悪口を言ったり、悪口に対して何も思っていない人は、人の悪口を言っている人を見ても何も感じません。

つまり何が言いたいかというと、
自分が嫌悪感を抱くものは、自分が普段抑え込んでいる自分「影」だと言うことです。

単純に言うと、
「好き」という感情を抱くのは、自分の中にある肯定的な面であり、
「嫌い」という感情を抱くのは、自分の中にある否定的な面となります。

どちらも自分が性質として持っているものなのです。

冒頭の話しに戻します。

以上のことから、
「自分の内面(自分の感情が動くもの)」の反対が
「無関心」であって、
「自分の内面」の中に
「自分が肯定している感覚(好き)」と
「自分が抑圧している感覚(嫌い)」
があるということになります。

ですから「好き」ではなく
「好き嫌い」の反対が「無関心」
だと思いました。
(語感が悪いので使うことは無いと思います)

ちなみに、更にその中身をつきつめていくと、

「好き嫌い」の反対は「無関心」

「自分の肯定している感覚と抑圧している感覚」の反対は「自分の中に無い感覚」

「自分」の反対は「自分以外」

ということになります。
これは教理の中にある「人は鏡」にも応用できて、
「好き・嫌い(と思う人)」=「鏡」
「無関心(な人)」=「鏡じゃない」

という風にも繋がります。
感情が動く人は鏡で、そうで無い人は鏡じゃないという考えです。


今日は久しぶり(?)に好き勝手に僕の頭の中を書き出してみました。
長々とすみません。

おまけタイムは僕が好き勝手に書くところなので、勘弁していただけたらと思います。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!

一言コメント
長い。


135.松尾芭蕉「古池や 蛙飛び…」この俳句がなぜ凄いか知ってますか? のおまけタイム


どーも!松尾芭蕉と聞くと、真っ先に「ギャグ漫画日和」を思い出してしまう男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

松尾芭蕉といえば、皆さんこの絵を思い浮かべるのではないでしょうか。

画像1

出典:ジャンプSQ

間違えました。

こっちですね。

画像2

出典:天理参考館

これは、教科書でもよく見る絵ですが、実は天理参考館に保管されているものだということをご存知でしょうか?

三年前ぐらいの特別展で、展示されているのを実際に見たことがあるのですが、こんな有名な絵が天理参考館にあるなんて、それまで全く知りませんでした。
(この時は特別展で、天理図書館から貸し出されていました)

他にも色々と貴重なものが展示されているので、天理を訪れた際は是非、天理参考館立ち寄ってみて下さい。

結構楽しいですよ!

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

ほな!

一言コメント
そういや最近この記事地味に読まれ続けてます。多分芭蕉の検索ワードに引っかかってるのだと思いますが、息の長い記事ができるのは有り難いです。




サポートして貰えたら、そりゃめちゃくちゃ嬉しいです!