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181.関根豊松氏に学ぶ 「貧に落ちきること」の意味


はじめに


教祖の最初のひながた「貧に落ち切る」(金銭を施す)という事について、イマイチ納得できない、よく理解できないという方が時々見受けられます。

これに関しては、稿本天理教教祖伝逸話篇に

「貧に落ち切れ、貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。水でも落ち切れば上がるようなものである。一粒万倍にして返す。」

このようなお言葉や

「流れる水も同じこと、低い所へ落ち込め、落ち込め。表門構え玄関造りでは救けられん。貧乏せ、貧乏せ。」

このようなお言葉が残されています。

「貧に落ち切る」に関してこっちでも詳しく説明しています。

本日は、愛町分教会初代会長関根豊松氏(以下関根氏)の通り方から、こう言ったお言葉に現れていること以外の、「貧に落ち切ること」の意味について考えていきたいと思います。


ひながたを踏む


お道の通りはじめに丸十四年間、この道を本当に判るまで研究するために、人の軒下にゴザを敷いてお願いしたりして、夜寝る間も寝ないで、食べるものも食べないで、やってやってやり抜きました。なぜそんなことをしたかと申しますと、自分に判らぬことを、人に取り次いでも駄目です。自分に判らぬことはやっぱり人も判ってくれません。そこで十四年間やってやってやり抜きました。
 こうして十一年目にようやくはっきりしてきました。それまでは人は助かる、当たるとさわると人は助かるのですが、どうしてこれが助かるのか、それが判りません。それでやったのです。これで十四年間やって、やっともう大丈夫、これなら間違いないということがはっきりしたのです。その研究に苦労した道中はいくらでも助かりました。そりゃ助かる筈です。寝る間も寝ないで、食うもの食わないで、自分のことは一切忘れて飛んで歩きましたから、助かる筈です。
(中略)
私は三十まで宗教道楽したと思えば、人に聞かれても恥かしくない。三十までやっていかなけりゃ。それから財布の口を締めたって遅くはない。こう思ってやりました。そうしたら、助かって助かって不思議なほど助かります。助かりますが、その理が判りませんからこの長い年代、私は苦労に苦労をして自ら求めて研究をしてみたのです。
出典:因縁に勝つ ー研究時代ー


「自分に判らぬことを、人に取り次いでも駄目です」

ここに出てくる「自分に判らぬこと」とは何なのか。
可能性は二つあります。

1、神様の御守護
2、難儀する者の味

逸話篇を参考に考えるのであれば、「難儀する者の味がわからん」という事になりますが、続く言葉が「自分に判らぬことはやっぱり人も判ってくれません。」となっていますので、おそらく
「自分に判らぬこと」=「神様の御守護」
という事になるかと思います。

貧に落ち切る意味は一体なんなのかと言うと、
お金も物も持っていなければ、神様の御守護に頼るしかありません。
ですから、まず第一に、
神様にもたれ切った生活を送る事で、神様の御守護を全身で感じられることがあげられます。

また関根氏は、教祖のひながたの道を、寸分狂わず踏もうとされていました。
ですから、第二としては
「貧に落ち切る」ことが、「ひながたを踏む」事に繋がるからだと思います。


余談
天理教信者であれば聞き馴染みがあるのは「ひながたを踏む」ではなく「ひながたを辿る」だと思います。
しかし、僕が読んだ関根氏に関する本の中では、関根氏は「ひながたを辿る」ではなく「ひながたを踏む」と言われていました。
言われてみれば「ひながたを辿る」よりも「ひながたを踏む」の方が、より強く自分の意志を現しているようで力強く感じましたので、ここ最近は「ひながたを踏む」を意識的に使っています。


守るものが自分の内に無い


僕が結構重要だと思っているのが、「守るものが自分の内に無い」という事です。

独り身で財産も何も無ければ、自分一人で自由に行動する事ができます。
しかし、家庭を持っていたり、自分の財産を持っていた場合、それらを省みずにお助けに励むことは、並大抵なことではありません。

それがどれだけ難しいことかは、「大いなる慈母」を読めば分かります。
下にその一部を引用させて頂きます。

「現在は子供の愛にひけらかせて、道の精神がにぶるとは思いません。しかし長い年月のことでございます。私も子供の母です。万が一にも子供ゆえに心がいずみ、たすけ一条の精神が鈍るようなことがあっては、全く申し訳ないと思います。いっそのこと、今ここでこの光之助の命をおひきとり下さいませ。子供は無情な親と思うことでしょう。しかし母と共に道に励んだという理は、幼いこの子の魂に永遠に残ることでしょう」
出典:大いなる慈母

詳しくはこちらのYouTubeの朗読を一度お聞き下さい。

僕はこれを聞いて泣きました(T ^ T)

自分の子供という守るべき存在がいる場合、「貧に落ち切った中を通る」というのは並大抵なことでは無いことが分かります。
(子供が居られる中、財産がある中を貧に落ち切っていった教祖のひながたは、想像を絶します)

関根氏は、自分の守るべきものを自分の内に十四年間一切作りませんでした。

ですから、自分の都合を一切省みることなく人助けに奔走できたのだと思います。

そして、第三の理由としては
「貧に落ち切ること」で、「自分のことを考えず、100%お助けに集中できる環境になること」だと思います。

関根氏がいかに猛烈な人助けに奔走していたかは、関根氏のおばさんが、関根氏を不審者だと思った巡査に対して、関根氏のことを説明した言葉として残っています。

あの人はね、何でも人を助けることにかかったら、まるで気狂いみたいでしてね。何時になろうと、夜中だろうと何だろうと、一向構わないで出かけるんですよ。家のおじさんがあの人の家へ行ってみると、食べるものも人にみんなやってしまって、ご飯もろくに食べられないので、おひつはタガが外れてしまっている。そこで帰ってきて私を呼びつけて
「ばあさん、豊さんとこは一体あれは何だ。おひつのタガが外れてしまっているし、一体あの子はご飯を食べてるのかい。なぜ、ちゃんと面倒見てやらないんだ」
「だってね、おじいさん。あの豊さんはいくら私がご飯を持ってってやっても、すぐ人にやってしまって、自分はちっとも食べないんですよ。あの人には困ります」
こういう始末なんですよ…
出典:因縁に勝つ ー研究時代ー

関根氏のこうした話は、他にも沢山残っています。


まとめ


「貧に落ち切る意味」を逸話篇に出てくるものも含めてまとめます。

・貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からない
・表門構え玄関造りでは救けられない
・神様の御守護を全身で感じられる
・「ひながたを踏む」事に繋がる
・自分のことを考えず、100%お助けに集中できる

そして、これらを踏まえて一番重要なことは
「一粒万倍にして返す」
ということです。

貧に落ち切った中を人助けで通り切った時、一粒万倍にして神様が返してくださる。

現在の愛町分教会や東本大教会の姿を見れば、そのことは一目瞭然だと思います。

なんたって結果として残っているのですから。


おまけタイム


どーも!腹が減ったら炭酸水を飲めば良い男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

僕は炭酸水が大好きで、子供が生まれてお酒を飲むことをほとんどしなくなってからは、炭酸水が毎日の僕のささやかな楽しみになっています。

毎週日曜日に一週間分の食料を買い出しに行く際、一緒に炭酸水を買うのですが、先週の土曜日の時点で、コップ1杯分だけ飲んだ1Lの炭酸水が残っていました。

どうせ次の日買いに行くので、残った炭酸水を全部飲んだのですが、お腹が凄く膨れて気持ち悪くなりました。

<結論>
炭酸水はそれでも美味しい

前まではライムのフレーバーにハマっていたのですが、最近はグレープフルーツにハマっています。

ということで、オチなしおまけタイムはこんなところで終わりたいと思います。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!

サポートして貰えたら、そりゃめちゃくちゃ嬉しいです!