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『虐待児の詩』 新潮文庫の一冊

「ケインとアベル(上)」


「ケインとアベル」を初めて読んだのは、もう随分昔のこと、留学先のボストンで友人に読んでみろと手渡され、強引に勧められたからだ。
そして、この物語は、私個人にとって非常に感慨深いものがある。

ひとつは読んだ場所が小説の舞台であるボストンだったということ、もうひとつはこれを勧めてくれた友人が、この小説から多大な影響を受けたと見え、特に主人公のひとりであるアベルに自分自身を投影しようとしていたのか、アベルの真似をして銀製であろう古びた腕輪を肌身離さず身につけていたのが非常に印象的だったこと、そして、もうひとつ、たいした期待もなく読み始めた一編の小説の下巻を読み終えたときには、不覚にも涙があふれて嗚咽が止まらなかったからである。

一度読んで展開が分っているから、今回も読みきった時点で、涙があふれ出るかどうかはわからないが、リアルな人間模様に感動するであろうことは、上巻を読み終わった現在、再確認できた。
これを私に勧めてくれた友人とはそれ以来、音信不通となってしまったので、彼が一体どういう意図で私にこの本を勧めたのかは今となっては定かではないが、私はどちらかというとケインよりの人間であり、彼のようにアベルではなく、ケインに自分自身を投影して物語を読み進めていたような気がするので、アベルに自分自身を投影して読み進めていたであろうと思われる彼とは、多分、異なった感動を感じていたのではないだろうか。
お断りしておくが、私は富豪の家に育ったわけではないし、彼も貧しい生まれなどではない。むしろ彼の父親は著名な指揮者で、実家は何人ものばあややお手伝いさんがいるような環境であったことを聞いた記憶がある。
まあ、私や、この本を勧めた友人のことなどどうでもよいのだが、私が言いたいのは、これからこの本を読もうとされている皆さんもきっと、ケインかアベルのどちらかに自分自身を投影しながらこの物語を体験されるのではないだろうかということである。

そして、どちらであってもこの本はきっとあなたに何かを与えてくれるだろうということだ。

私は、この本から多くの教訓を学ぶことができたと思う。




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