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グッバイ条件反射。私は私を再定義する。【アデプトプログラム®】

親の望みを叶えながら生きてきた子どもには、
今もその条件反射が行動パターンに染みついている。
これはそんな私の実話であり、
今現在も進行形のお話。

私自身がこれまで無意識だったけど、ちょっと前まで自分の内側には「ない」のエネルギーが満ち溢れてた。
時間が「ない」。
お金が「ない」。
やりたいけどでき「ない」。
やりたく「ない」。
よくわから「ない」。
知ら「ない」。

これに気が付いたのは過去生きてきた年数分の自分について掘りに掘り下げて棚卸しをした時でした。
全部抜き出して書き終えて俯瞰して見てみたら、本当にこういう言葉ばかりがズラリと並んでいて、むしろ圧巻だった(笑)。

本来、こういう掘り下げる作業も苦手だったから棚卸しに本腰を入れたのは初めて。
でもやった甲斐はある。


私のこの「ないないエネルギー」の出どころは、考えるに、おそらく母譲りなのではないかと推察している。

思い返せば母もじつに「ないもの」探しが上手いのだ。
常に「あれがない」「これがない」と目を光らせては「ない」をクローズアップしている感じ。(これでは安心して生きられないだろうにね)

ただそれは母自身にとってはまるで悪ではなく、ただ住みよい環境を整えるための事前対策であり、おそらく昔から「よく気がつく頭の回転の早さ」の一例として多くの人たちに認められ褒められてきた美点でもあったのだと思う。だから、悪気はない。(だからこそそれが怖い)


そのような境遇で私自身も子どもの頃からナチュラルに「ない」には敏感だったように思うし、「ないもの」探しは上手だし大人になった今もその癖(という自覚もなかったままに)は残っている。

何より根底に根強く残っている私にとっての一番の弊害は、
母が訴える「ない」を条件反射的に自分が解決しようと頑張ってしまう行動パターンであり、しかもそれが私の人生の優先順位において常に上位になってしまったことだと思う。

自分の手を止めてでもやってしまったり、
とにかく優先順位が瞬間的に崩される。
たぶんそれが崩されるから私自身もその瞬間ワケがわからなくなるんでしょうね。崩され続けて最後はどれが基本形だったかもわからなくなってた。

物凄くわかりやすい例えでいうとかつて会社員だった頃、仕事中であろうが母からの着信は出なければならなかったし、たとえ風邪をひき熱があっても来客に足りないものがあれば買い物へ行く。
とにかく欲求には答える。解決する。そして数日後、新しい問題が起こり欲求は更新され、解決に奔走する。

くり返しくり返し。

そして何より問題だったのはそれを私が難なく受け入れていたことであり、
そうやって「ない」を埋めることが「親孝行」だとすら思ってた私の在り方。それが大問題だったと今は思います。
どう考えても自分のこと蔑ろにしすぎ。

でも子どもは、多かれ少なかれ親の願いを叶えたい、不足があれば解決したい、とたぶん反射的に思うものなのだろうと思う。
最初はおそらくとても純粋な領域で自然とそう行動していたのかもしれない。でもそれがどこかのタイミングで拗れて、中身はさておきどんな欲求も飲むのが当たり前、それが親子、出来ない子は親不孝、みたいな妙な掟にすり替わったような気がする。

だから今、このことに気が付いた私は私のことを思いっきり労ってそして褒めることにした。
今まで本当によくやったよね。
もう誰かの「ない」を埋めなくていい。だって私自身は不足を感じてない。
母の感じる「ない」を私が肩代わりしなくていい。
親の望みだろうと叶えなくていいんだよって自分に許可を出す。
それより自分の望みを叶えようよ。
今まで本当によく頑張ってくれてありがとう。無理させてごめん。
(私へ、私より)


…とまぁ、こんな手紙を自分に対して出したところです。

生まれつき備わっている反射に対して、後天的に獲得する反射を条件反射と言うそう。
私のも最初はただの子ども心の反射だったのが、どこかのタイミングで条件反射になった。そこにはおそらく、親の望みを叶えたいという私のエゴがあった。

エゴとは、すなわち、Edge God Out
「神(自分という創造主)」をおしのけること。

自分という創造神を押しのけて違う何かを優先した時、
人はたちまちこんがらがる。なぜならそれが本当の自分ではないから。
本当の自分が生まれてきた目的ではないから。

本当の自分は、エゴの向こうに隠れている。
本心も、本来持って生まれているパワーも、全部隠れてる。
見つけてあげるにはエゴを自覚して、腹据えて話し合ってそして出て行ってもらうことかな。

そうやってひとつひとつ、後天的に備わった枠組みを外していくことにより自己の独自性を再定義する。

再定義する、って言葉にすればたった5文字。
だけどそれがどんなに人生を好転させるかを想像することが出来ますか?
誰でも人生やり直したいと一度は思ったことがないでしょうか?

やり直すことは出来ないけれど、望む望まないに関わらず後天的に書き換えられてしまった本来送ろうとしていた自分の人生の舵を取り戻すことは出来ます。それはやり直すのとは違うんです。もう一度取り戻すべきもの。
「ない」のではなく、本来「ある」のに見失っている状態だから。
「ない」と「ある」とでは大違いなんですよ。その違いの大きさを知ってほしい。

それを知るのにどうしても必要なのが【形而上学】。
そしてその境地にたどり着くのに必要なのが【イニシエーション】。
イニシエーションを迎えるための特別な2日間、それこそが【アデプトプログラム®】といういわばワークショップ。単なる座学ではない、パワー、エネルギー、目に見えないもの、心、感性、思考力、経験値、愛、これまで培ってきたものすべてが無駄じゃないと思えるプログラムだと私は思います。

アデプトプログラム®は形而上学の知識と、波動を上昇させる錬金術を兼ね備えています。
正しい知識がナビゲーションとなり、高まる波動がエンジンとなって、受講後の最高の人生を生きることを後押ししてくれるでしょう。

受けてほしい、というエゴから言うのでもなく
受けたほうがいい、という曖昧なレベルのものでもなく。
ただただ必要だからここに在るもの。
あとは受け取るだけのもの。
それが伝わるといいなと意図してこれを書きました。

北海道で開催されるアデプトプログラム®

今後のスケジュール(一部です)

11月11日(土)、12日(日):札幌市
主催:SHINING WINDシャイニングウィンド~光る風~

12月9日(土)、10日(日):砂川市
主催:太陽の道
https://www.reservestock.jp/events/815190
こちらは残席2名様となっています


ちなみに。
「ない」のエネルギーにもマイナスとプラスがありまして。
どうせ「ある」なら、プラスの「ない」を見つけることを再定義してみた。

あきらめ「ない」。
やめ「ない」。
後悔し「ない」。

我ながら、なかなかいいシフトチェンジが出来ていると思います。


自分を取り戻したい方へ贈ります。


いただいたサポートは形而上学と魔法の学び、そしてヒーリングサロンを通じて必要としている方へのサポートとして循環させていただきます。