見出し画像

【試し読み】田中佑実『死者のカルシッコ:フィンランドの樹木と人の人類学』

死者のイニシャルや生没年などの印を樹木に刻んだ「死者のカルシッコ」は、フィンランドのサヴォ地方を中心にかつて盛んに作られました。本書では、風習が終わりつつあるいま、死者のカルシッコとともに暮らす家族のもとで長期にわたるフィールドワークを行い、「エラマ(生)」をキーワードに、家族の想いと暮らしを描きます。
特別に「はじめに」を公開します。ぜひご一読ください。

本書では、フィンランドのサヴォ地方を中心とする地域で行なわれていた死者のカルシッコ、フィンランド語でvainajan karsikko(ヴァイナヤンカルシッコ)と呼ばれる樹木をつくる風習を紹介しながら、樹木と人々の生身の繋がりを描く。
死者のカルシッコは、フィンランドのサヴォ地方を中心とする地域において一六世紀後半または一七世紀から盛んに作られたとされる死者の印を持つ樹木である。印を持つ樹木だけでなく、その印自体もカルシッコと呼ばれる。死者のカルシッコは、家から墓場へと繋がる道の途中に立つ木々の中から選ばれ、枝が切り落とされたり、後の時代には死者のイニシャルや生没年が直接樹木に刻まれることで作られていた。死者のカルシッコの作り方とその意味は、時代によって変化があるとはいえ、死者のために作られる樹木という点は、変わらず今日に、細々とではあるが伝えられている。
私はある本をきっかけに、死者のカルシッコという存在を知った。二〇一三年、留学先を探していた私は、それまで渡航経験のあったオーストラリアか、サンタクロースと寒いというイメージしか浮かばないフィンランドという二択で迷っていた。結局、何も知らないから行ってみるという理由でフィンランドを留学先として決めたのだが、さすがに少しは何か知りたいと思って、大学図書館の蔵書検索で「フィンランド」と打ち込んだ。一番に出てきた検索候補が『フィンランド・森の精霊と旅をする』、著者は写真家のリトヴァ・コヴァライネン(Ritva Kovalainen)とサンニ・セッポ(Sanni Seppo)。この本が、死者のカルシッコと私の最初の出会いだった。今思えば数少ないフィンランドに関する蔵書の中で、この本が所蔵されていたことが不思議でならない。
『フィンランド・森の精霊と旅をする』は、フィンランドで一九九七年に出版されたPuiden kansaを圧縮して日本語訳し、二〇〇九年にプロダクション・エイシアから出版されたものである。本には、彼女らがフィンランドやエストニアへ旅をしながら撮った写真とともに樹木と繋がりをもつ人々の語りが記されている。横長でコンパクトタイプの、なかなか日本では見かけないサイズの本の中には、神秘的な木々の写真や、樹木と共に佇む人々の写真、詩のようにちりばめられた人々の語りが詰まっていて、ページをめくるたびに引き込まれていく本だ。
私は二〇一九年の冬、筆者のひとりであるセッポと会って話をした。ビルの一室にある彼女のアトリエで、この本を作るまでの道のりを聞いたのだが、それは一九世紀にフィンランドの民俗学者たちが行なった資料収集とほぼ変わらないもののように感じた。セッポがコヴァライネンと、このプロジェクトを始める際、大学の研究者たちにフィンランドに残る聖なる木や伝統的な樹木の風習について尋ねたそうだが、それに対する研究者たちの答えは、もはやそのような樹木はフィンランドでは忘れられてしまった、なくなってしまったというものだったと言う。ただエストニアには、まだそのような樹木が残っているということで、彼女たちはまずエストニアへ向かった。しかしエストニアにあるのならフィンランドにも残っているのではと、彼女たちはフィンランド文学協会の樹木に関する膨大な資料の全てに目を通すことからスタートした。資料のそれぞれに記載されている土地の名前を地図に落とし込み、その土地の家を一軒一軒まわりながら樹木を探すという、気の遠くなる旅をしたのだ。加えて彼女たちは、特別な樹木について新聞を通して人々から情報を募り、それらを訪問して写真を撮り、語りを聞くという手法も取っていた。その苦労と努力によって紡がれた本は、生身の樹木と人々の繋がりをいきいきと描き出すことに成功しており、ひとつの民族誌と言ってもよいと私は思っている。この本の中に、彼女たちが聞き取りを行なった、ある家族とカルシッコの樹木についての語りがあるので紹介したい。

「我が家の裏は、いまは道路になっているけれど、もとは小さな松林だった。岩の多い滑らかな斜面で、昔はここで祝いのかがり火を焚いたものだった。そこに四本のカルシッコがあった。父、祖父母、曾祖父母、曾曾祖父母一世代ごとに一本ずつ木があったわけだ。……父さんは五〇歳の若さで亡くなった。春の種まきの季節に、父さんとふたりでカルシッコの木の横を通り
かかったとき、大きな枝が折れて別の枝の付け根にぶら下がっているのを見てどんなに驚いたことだろう。どう説明していいのかわからない光景だった。風はまったくなかったし、折れた枝はいたって生き生きとしていた。その年の八月、父さんが突然亡くなった。動物はあらゆる種類のことを敏感に察知することができる。いったい木はどうなのだろう。」
(コヴァライネン・
セッポ 二〇〇九:九一ー九二)

私はこの本を読みながら、樹木がフィンランドの人々にとって大切な存在であることを直感的に知った。上記に紹介した語りのように、人々と樹木は個別的に、様々な方法で関係を作っており、その素朴な語りが強く私を惹きつけた。実はこの本の中に、本書で登場する家族のカルシッコの写真が載っていたのだ。数年後、博士論文の研究で、そのカルシッコの樹木に深く関わるとは露とも知らずに、二〇一四年、大学生の私は初めてフィンランドへ向かったのだった。
二〇一四年の留学先はユヴァスキュラという、中央フィンランドにある湖水地方の都市だった。フィンランドに着いた私は、知り合いになったほぼ全てのフィンランド人に樹木のことを聞いていた。お気に入りの木はあるか? カルシッコという樹木の風習を知っているか? 本で読んだことの全てを尋ねたが、大抵答えはノーだった。ただ一人だけ、私の質問に対してイエスと答えた人がいた。それが、ホストマザーのマイヤである。マイヤについては、第一章第四節で改めて紹介するが、私にお気に入りの木を見せてくれた最初の人であった。マイヤと出会わなかったら、恐らくフィンランドと関わっている私はいなかっただろう。
二〇一四年から二〇一五年の一年間の留学を終えてもなお、二〇一六年、二〇一八年と、私は大学の夏休みを使ってフィンランドを訪れた。この頃には、研究という道が私にとってのフィンランドと繋がる方法になっていた。それは、相手のことをよりよく知りたいと思い、フィンランド語を学び、大学という空間を中心に友人たちの輪の中にいた私にとっては自然な流れであった。二〇一六年の訪問は、修士課程の研究で取り組んでいたフィンランドの美術史に関する資料収集が目的だったが、二〇一八年の訪問は人類学的なフィールドワークが目的だった。二〇一八年、修士課程から博士課程へ進む段階で、私は美術史から人類学へ研究分野を変えた。この転換については、あとがきに書いているので、そちらを見ていただきたい。
二〇一八年、人類学に移った先で、博士課程での研究として取り上げたテーマが、死者のカルシッコだった。二〇一四年の留学前に『フィンランド・森の精霊と旅をする』でカルシッコを知ってから数年経って、このテーマを本格的に取り上げるに至ったのは原点回帰とも言える。私はフィンランドの樹木と人々の結びつきの大切さを直感的に掴んではいたが、しばらくそれをどの視点からどのように描き出せばよいかわからずにいた。だが、人類学のフィールドワークという方法を用いれば、人々の語りを直に聞き、そこから樹木と人々の繋がりについて考えることができそうだったし、テーマとして取り上げるならやっぱり、あの本の中で最も謎多き存在、死者のカルシッコだった。
しかし実際、この風習を行なう人々はフィンランドにおいて片手で数えられるくらいである。前述したように、二〇一四年に初めて訪れたフィンランドで、この風習のことを尋ねても誰も知らなかったし、二〇一九年、博士課程で再度留学した際の所属先であったヘルシンキ大学の民俗学研究室の指導教員たちは、この風習が現代のフィンランドで行われていることすらも知らなかった。まさにカルシッコは忘れられた、または終わったとみなされていた風習だったのだ。
本書では、そんなカルシッコの樹木と世代を超えて現代でも、ともに生きている家族のもとで行なったフィールドワークを通して、カルシッコの樹木自体について、そしてそれと繋がる死者や家族について紹介する。今日カルシッコの風習を続けている家族の生活から見えてくるのは、産業化の中で急速に切り離されていったとされる死者と自然、そして生者である家族が多様な側面で互いに関わり合う姿である。
二一世紀、カルシッコの樹木を見て特定の死者を思い出す人はほんの一握りになってしまった。風習が終わりを告げつつあるいま、この時代に、カルシッコの風習を続ける人々がどのような想いでこの風習を続け、樹木、死者、生者の多様な繋がりの中で生きているのかを記し、後世に伝える。これが本書の使命だろう。死者のカルシッコを通して、フィンランドにおける樹木、死者、生者の繋がりを問うことが、私たち自身のまわりのものたちとの繋がりをもう一度考えるきっかけとなれば幸いである。

それではさっそく物語を始めよう。フィンランド語もままならない日本人の私を広い心で受け入れてくれた人々と出会えたこと、彼らと生をともにする存在、カルシッコの樹木、動植物、目に見えない者たちと出会えたことに感謝して。
(つづきは本書にて)

詳細はこちらからどうぞ↓

死者のカルシッコ ー フィンランドの樹木と人の人類学(楡文叢書 6) | 北海道大学出版会 (hup.gr.jp)