私の学士号取得物語
1.プロローグ
ずっと専門学校卒の学歴がコンプレックスだった。それは、ある国家資格を取得して技術者として優良企業に就職しても、そこで研究をして何本も筆頭著者として論文発表してもそうだった。私は「学歴コンプレックス」の塊だった。
そんな折、研究でコンビを組む相方の博士号を取得している先輩から「だったら、大学に行けば?」と言われた。「今から大学に進学する時間もお金の余裕はありません」と答えると、ある新聞記事を見せてくれた。
それは短期大学や専門学校等の卒業生を対象とした「学士号の学位授与」の制度ができることを報道したものだった。私は、その記事を食い入るように読んだ。
要は、不足する単位を大学で取得し、「大学評価•学位授与機構(現大学改革支援・学位授与機構)」なる所に申請してレポートを提出し筆記試験を受けて合格すれば学士号を取得できるということだった。
「調べてみる価値あるだろ?」と言われ、私は夢中になって調べた。
その結果、うまくいけば最短で1年間、費用は50万円弱で学士号を取得できそうだった。
そのことを教えてくれた先輩に報告すると、「これは大学への『勝手口』からの入学だな」と面白がってくれた。
確かにこの機構のパンフレットに「新しい学士への途」とのキャッチコピーがあり、先輩のこの台詞は言い得て妙だと感心した。
2.入学までの準備作業
早速、卒業した専門学校から申請時に必要な書類の卒業証明書と成績証明書を取り寄せ、並行して不足する単位を取得する大学を選定した。
私のその条件は「書類審査だけで入学でき、近くて、安くて、単位取得が楽そうなところ」という誠に都合に良いものだったが、一つだけこの条件に当てはまる大学があった。
それが「放送大学」だった。
この大学選定作業で威力を発揮したのが、急速に普及していたインターネットの書き込みの情報だった。玉石混交だったので、注意深く慎重に情報の内容を吟味した。
その結果、選択科目さえ間違わなければ単位は楽に取れそうだった。
そこで、2005年に1年間の在学期間がある選科履修生となり、ネットに過去問があり、単位取得が楽そうで、試験の日時が重ならない申請に必要な16科目を厳選した。
ネットの情報と共に熟読したのが放送大学の講義要目(シラバス)だった。
講義内容は勿論、直近2回分の単位認定試験の平均点が明記されていたので選択するうえで非常に参考にした。
この作業は一見大変そうであったが、実際にやってみると物凄く楽しかった。選択したい科目の選定は「相性の良さそうな人を探し出す」感覚で、楽しくてワクワク感満載だった。
並行して申請先の「大学評価•学位授与機構」から必要書類を先に取り寄せ、その都度記入していった。この方式によって、準備の進捗状況が手に取るように分かり、過不足のない準備が可能となった。特に「単位修得状況等申告書(統括表)」という悪名高く、煩雑で複雑怪奇と噂される書類の作成に大いに役立った。
提出するレポートは「学修成果」という名の大学の卒業論文に相当するもので、そのレベルの物は今まで発表した論文を編集すればすぐにでも完成できそうだった。
最終の筆記試験は、提出した学修成果から記述式で出題されるとのことなので、簡潔明瞭に出題しやすいように学修成果を書けば良いと考えた。
所属する学習センターは、勤務先と自宅から徒歩圏内にある大学内の所にした。夢見ていた大きくてきれいなキャンパスではなかったけれど、卒業した専門学校がビルの中にあったので物凄くうれしかった。また、顔写真付きの学生証も発行され、学生割引が使える機会には大いに活用した。
3.科目の単位取得
入学後、準備万端整えて授業は必要不可欠と判断したものだけ視聴した。
授業のノートは作らず、授業内容はテキストに書き込んだ。
これはテキストが持ち込み可の試験科目があるからだった。この書き込みのおかげで後日の単位認定試験の4問分を正答できた。
その他、単位取得で絶大な威力を発揮したのが、国試の受験勉強で身に着けた「過去問分析」だった。
好成績を取ろうとせず単位取得だけを目的にして、選択科目の複数の過去問と通信指導の課題や問題を一覧表にして頻出の出題分野と形式を特定し、予想問題を作成して受験した。
その結果、滞りなく16科目32単位を取得した。この一連の方法は一生の宝になると確信した。
さすがに一日8科目受験での連続二日間はきつかったが、作成した予想問題が七割方的中していたのには自分でも驚いた。
4.学修成果の作成
「学修成果」のレポートは一週間で完成した。
今まで発表した論文のエッセンスを編集して簡潔明瞭に、分かりやすい図表と30編ほどの日米主要雑誌の参考・引用文献を入れた。
規定内のA4判1枚に800~1,000字程度の17ページの我ながら上出来のレポートで、相方の先輩からも「言うことなし」とお墨付きをもらった。
レポートを作成しながら並行して筆記試験の予想問題も作成した。
筆記試験の形式は記述式なので、出題しやすいように結果は箇条書き、考察は論理的に記述し、作成した予想問題しか出せないように導いた。
5.筆記試験
会場は、電車で30分ほどの旧帝大だった。
電車の最寄駅からキャンパスの正門までは近かったが、それから試験を受ける教室まではやたら遠かった。
試験場は大教室で、掃除がまるで出来ておらず汚くてがっかりした。
受験生は300名ほどいたが、自分の書いたレポートから出題されるのが分かっているので会場の緊張感は全くなかった。
試験官は、受験票の顔写真と受験生を見比べて、同一人物か否かの確認を念入りにしていた。
試験の目的は「首実検」でもあると感じた。
試験問題は二問とも私の予想通りだった。
6.学士号取得
筆記試験終了後、3ヶ月ほどで学士の「学位記」が送付されて、予定の1年間で学士号を2006年に取得できた。
物凄く呆気なかった。
学士号が取得できた実感がまるでなく、これが自分のコンプレックスの源だったのかと思うとなんだかとても馬鹿らしくなった。
こんなことで悩んでいたのかと思うと、自分自身が本当に情けななかった。
しかし、この思いが次に繋がることになるとはこの時は思いもしなかった。
7.費用
この学士号取得に掛かった費用は、勤務先の「キャリアアップ支援」に申請して約50万円の全額を賄うことができた。
8.エピローグ
例の先輩からは、「学力もお金も無いくせに情報収集能力だけで学士号を取ったヤツ」だの「玄関横の勝手口から入ってきて一番美味しい思いをしたヤツ」だの「他人の褌で相撲を取って勝星をかっさらっていったヤツ」等々と愛ある毒舌の弁を散々受けたが、言われれば言われる程、うれしかった。
学士号を取得してすぐにこの先輩から「この後どうするの?」と聞かれた。
私は「修士号を取ります」と答えた。
「どういう段取りで?」と聞く先輩に、私が立てた腹案を熱っぽく語った。
先輩は「面白そうだね」と言って微笑んでくれた。
私は「はい、とっても」と笑顔で答えた。
<了>