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私の修士号取得物語(中)

1.プロローグ

 選科生の1年間で科目の単位取得が非常に順調だったので、全科生の2年間もうまく行くと考えていた。

 ただ、指導教官とゼミの運営形態が気掛かりだった。

 何故なら、サイト情報だとゼミの運営の方法や基準は統一されておらず、指導教官によってまちまちで、かなり差異があったからである。

 この差異は出費の多寡に直結する。

 修士号取得費用は、勤務先の「キャリアアップ支援」に申請していたが、事後にしか支払われないので出来るだけ出費は抑えたかった。

 よって、仕事もあるので無駄で余計な時間と労力とお金を費やすのは「まっぴらごめん」だった。


2.オリエンテーション

 全科生のオリエンテーション会場は千葉の本部で、新入生は出席が義務付けられていた。

 所属プログラムのオリエンテーションの会場には学生が100名弱、教官が10名いて、その内容はごく普通のことだった。

(1)指導教官とゼミ

 最大の関心事である指導教官が発表された。私はなんと、心密かに「M可(エムカ)」と呼んでいるあの例の教授だった。あまりの想定外のことに吃驚仰天し、しばし茫然自失となった。

 同期生は私を入れて7名だった。

 オリエンテーションの後、他のゼミのA教授が私たち7名にA4判の分厚い封筒を渡してくれた。何だろうと思って見てみると、ごく初歩的な「文献検索の方法」のコピーだった。このゼミでは、文献検索も指導されないのを知っていてきっと見兼ねたのだろう。

 その後に開かれたゼミの雰囲気は最悪だった。M2(エムニ)と呼ばれる上級生の8名は、M1(エムイチ)と呼ばれる私たち新入生に対して物凄く高圧的だった。

 自己紹介の後、エムカから「新入生の誰か、午後からのゼミで研究の進捗状況を発表するように」言われたので、すかさず「私がします」と言った。

(2)最初のゼミ発表とその後

 昼休みに準備をしていると、M2の連中はチラチラこちらを見ながら「質問攻めにしてやろうぜ」と聞こえよがしに言っていた。

 私は、準備していたアニメーション付きのパワーポイントを使って自分の研究の概要を説明し、課題の英語論文の和訳と科目22単位の取得も済んでいることを報告して最初のゼミの発表を終えた。

 M2たちは全員沈黙した。私が「質問どうぞ」と言っても押し黙ったままだった。「じゃあ、意見をどうぞ」と聞いても下を向いてままだった。

 私はエムカに向かって「指導をお願いします」と言うと、かなりの間があってから「そのまま続けて」だったので、「そうします」と答えた。

 私の発表後、M2の発表があったが酷かった。私が、彼らの作成したパワーポイントを使ったプレゼンテーションの拙劣さと統計処理方法の誤りおよび文献による先行研究の不備を指摘すると、M2の連中はエムカの方を向いて助けを求めたが知らんふりをされ、下を向いて押し黙った。
 これを見て、このゼミでは文献検索だけではなく、パワーポイントを使ってのプレゼンテーションの方法や統計処理など研究に必要なことは何一つ指導されていないことを知った。

 その後、ゼミについてエムカから発表があった。開催は月1回の日曜日、関東・中部・関西の各地区の学習センターで順に実施し、ゼミ生はそのどこかに出席することと月1回のゼミの2日前までに資料をゼミのメーリングリストに送信することが義務付けられた。

 要は、私は3か月に1度、日曜日に関西地区で開かれるゼミに出席し、他のゼミ時には資料だけ送信すれば良いのである。これはありがたかった。

 しかし後日、エムカがなぜ居住地の関東以外の中部や関西でもゼミを開催するのかを知ってびっくりした。それは、とんでもない理由だった。

 ゼミ終了後、エムカが「これから懇親会をしよう」と提案してきた。とんでもない。どうやら、こいつはかなり酒好きのようだ。気を付けなければいけない。

 私は「イヤです」と言ってさっさと退席した。

 懇親会は、エムカとM2だけの「飲み会」になったと、後日聞いた。


3.先輩のお説教

 翌日、先輩に諸々を報告すると、大目玉を食らって懇々と諭された。
 
 「何でも自分の思うように行くと思ったら大間違いだからね」。
 「学力もお金もない性格の悪い君が、『M可(エムカ)』とはいえ担当の教授にケンカ吹っ掛けてどうするの」。
 「君の目的は、研究を指導してもらうことではなくて修士号を取得することでしょう」。

 等々のお説教が一々身に染みた。

 それでも先輩は「第一印象は最悪だから挽回はもう無理。よって、月1回のゼミ以外は出来るだけエムカやM2とは関りを持たないようにすること。文献検索方法のコピーをくれたA教授に礼状と一緒に君の雑誌掲載論文の別刷を送ること」と指示してくれた。

 A教授からは、後日お礼と共に「何か困ったことがあれば相談に乗るし、場合によっては大学当局に報告します」とのメールを貰った。やっぱり「いわくつき」のゼミだったんだと確信した。


4.同期生たち

 同期生とは、メーリングリストを作成し情報交換をした。
 みんなエムカに不安と不信感を抱いていた。

 この思いが「2年間で一緒に修了しよう!」という結束力になった。
 
 ただ、同期生の中に出席義務だったオリエンテーションを欠席した関東在住の女性が1名いた。名簿を貰ってその存在に気づいてメールを送ったが返信はなかった。しかし、メーリングリストには登録してきたので違和感を感じた。私たちは陰で彼女のことを、英国のネス湖にいると噂されるが目撃情報がない恐竜になぞらえ『ネッシー』と呼んだ。

 結局、同期生はその彼女を入れて、関東3名、中京3名、関西2名の計8名だった。この『ネッシー』がとんでもない奴だとは、この時はまだ誰も分からなかった。

 私は先輩に教わってきた知識と技術および経験を活用し、統計処理の方法や論文の書き方等々の同期生の相談に乗って支援した。

 科目の過去問と分析結果や予想問題は大変喜ばれ、パワーポイント・ワード・エクセル等の使い方の指南と種々のテンプレート提供は大変感謝された。

 月1回のゼミの前にはメールで資料が送信されてくるので、私はM2連中のそれにダメ出しをして、「ゼミ当日に答えて下さい」と質問を列挙して返信した。そのためM2はどの地区でのゼミに誰も出席せず、雰囲気は良くなった。


5.エムカの本性

 異変が起きたのは、各地区でのゼミの2回目からだった。

 関東地区の同期生から「エムカが、ネッシーは何かの後輩で、仕事が日曜日勤務のためゼミに出席できないと言うので会いに行った、と言っていた」と連絡があった。問わず語りで喋ったと言う。

 「おかしいな」と思った。ネッシーからは相変わらず何の連絡もゼミ時の資料の提出もない。教授が後輩と言うだけで院生にわざわざ会いに行くのは変だ。連絡をくれた同期生も「女の勘で怪しい」と言う。彼女は探偵並みの調査能力があり勘も鋭かった。私は、彼女のことを『名探偵コナン』のキャラクターの『毛利蘭』に因んで『ラン』と密かに呼んでいた。

 私は更なる調査をランに依頼した。

 今度は、中部地区の同期生からエムカに対する苦情が入った。
 
 それによれば、エムカはゼミに1時間遅刻し、二日酔いで酒臭い上に居眠りまでした。写真も撮ったと言うので、画像を送ってもらった。椅子の背もたれに寄り掛かって口を半開きにして寝ている。一見して憤りを覚えた。前日に深酒をしたのだろう。

 エムカの本性が現れ始めたと感じた。

 関西地区でも異変が起こった。

 年末の日曜日、ゼミにエムカは登山服に登山靴そして大きなリュックを担いで学習センターに現れた。頭にはご丁寧に赤いチロリアンハットまで被っていた。何でも関西在住の長男と昨日一緒に登山をして楽しんだと、問わず語りで上機嫌に話した。

 ゼミを主宰する教授の服装ではない。

 私は怒りを抑え「記念ですから」と煽て、その恰好を写真に撮った。エムカは嬉しそうにピースサインやポーズまで取って写真に納まった。

 関西でゼミを開催するのは息子に会うためで、出張申請して交通費を浮かしているのだろう。

 私はA教授に、ゼミでのエムカの様子と画像を添付してメールを送信した。

 また、4月から数校の資格予備校から種々のパンフレットが同期生全員に送られて来るようになった。どうやら個人情報が流出しているようだった。この件も併せてA教授に報告した。

 A教授からは「大学当局に報告し、プログラム内でも共有します」との返信があった。


6.エピローグ

 年始の1月はM2の修士論文の口頭試問等があり、ゼミは開催されず、何故か2月と3月もエムカが多忙を理由にゼミを開かなかった。

 M2の連中とは全く交流しなかった。後学のため1月の口頭試問を見学したランの言では、副査の教授からエムカとM2はボロカスに言われ、壇上憤死していたとの事だった。

 その後、M2の8名中半数の4名が修了できず休学したと知った。

 私たちは、この間、これ幸いと情報交換をしながら月1回の資料提出をし、各々科目単位取得やレポートと論文の作成に勤しんだ。

 A教授に諸々報告した後、資格予備校からパンフレットは送られて来なくなった。エムカが名簿を売ったと今でも疑っている。

 また、ランの調査によると、エムカは学生時代に中部地区に住んだことがあり、同窓生と会うためにゼミを中部地区にしたことが分かった。きっと、出張申請して交通費を浮かしたのだろう。

 遅刻と居眠りをしたゼミの前日は同窓会があったことも判明した。

 エムカのお金とお酒には十分注意する必要性を感じた。 

 ネッシーからは相変わらず何の連絡もなく、エムカとの関係は依然怪しいもののランの調査によっても新しい情報はなかった。

 こうして、波乱の全科生1年目が終わった。
                 <了>