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現実逃避に海を目指したくても

 遠くに、遠くに行きたくなる瞬間がある。たいていそれは「〆切」というプラカードを掲げた何かに追われているときで、やらなければいけないことが両肩に重くのしかかっているときだ。そういうとき電車に乗っていると、降りる駅を通り越し、終点まで電車に揺られて、降り着いた先でまた乗って、乗り継いで乗り継いで、海にたどり着きたいと思う。行き着く先は絶対に海で、山でも川でもなければ全然知らない街でもない。絶対に、どんなときも必ず、ただ海なのだ。
 海を見て、ぼ〜として、波の音を聴いて、砂浜を歩いて貝殻を見つけたい、それだけだ。そんな当たり障りのないことを、けれどうっとりするくらい贅沢なその時間を求めて、いつも空想にふけっている。海がわたしを呼んでいる。たとえ、「まさに」という単語が頭についた現実逃避と手をつないでいたとしても、わたしは海に向かって歩いていきたい。
 とは言うものの、実際にこのシチュエーションで海に会いに行ったことはない。だって、わかっているから。わたしはそんなふうに海を目指せるほどスマートな人間ではない。
 きっと必死に乗り換え案内を調べないと海にはたどり着けないし、そのせいでバッテリーの劣化したスマホの充電はすぐに減る。計画性とかけ離れた行動のために、モバイルバッテリーなんて便利なものはなく、充電の残量と戦いつつも途方に暮れる運命を避けようと、これでもかというほどに足を速めて移動する。改札を通るたびに行き帰りにかかる交通費の高さに目を背けたくなり、お金が惜しいと思いながらICカードをチャージする。ようやくたどり着いたとしても“ぼっちで海”という状況に周りの目が気になって、なんだかんだ勝手に肩身の狭い思いをする。そのうえ、素敵な貝殻は思ったよりも見つからなくて、靴に入った砂をよろめきながら出している。そもそも、降りるべき駅を通り過ぎる勇気がわたしにはない。ああ、なんて悲しい。なんて夢のない…。
 でもきっと現実ってこんなもので。やらなきゃいけないものはどこに行ってもやらなきゃいけないものに変わりはなくて。追いかけてくる彼らに「完了」の2文字を授けられるのは、紛れもなくわたしだけなのだから。
 だからつまり、何が言いたいのかっていうと、今日もわたしはやらなければいけない。早くやって早く終わらせて、解放される瞬間を目指すのだ。地道こそ近道。我慢こそ終止符。海よ、夏に行くよ。

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