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人生をやり直したい?なら、語学を始めればいいのに。

私が授業で期待するのは、先生による大量のうんちくと経験談である。
そして、ロシア語は、あくまで自然的に、学問でなく実用として、理論でなく体感として、つまり話すと聞くだけに特化して習得すると決めた。
たどり着いたのは、私のためにあったんじゃないかと思うほどぴったりな、でもおそらく60年くらい続いている、小さなロシア語教室。
さらに、先生、テキスト、受講生。何もかも理想どおりすぎて、隔週なのがもどかしいくらい。2時間じゃ足りない。毎日でも行きたい。
こんな気持ちになるのは初めてで、この高揚感を誰かに知ってもらいたくて、今日も筆をとる。

といいつつ、何を隠そうまだアルファべートが読めるだけの初心者である。
yesとnoしか言えず、This is a penと言うのにも苦しんでいる。
なのにロシア語の先生は皆ほんとに演技がうまくて、
Is this ~?でも学ぼうものなら、
「これは**?あれ、違うの?じゃあ、&%#$?それも違う?おっかしいなぁ……うーん、じゃあこれは何なの!!?」
と迫真の演技で迫ってくる。
対するこちらも必死の形相ですが、演技はしてません。

「**」が聞き取れて、「**は英語で言うと何ですか?」とクールに切り返せるならまだいい。
たいてい最初の音ぐらいしか覚えられないが、もごもごあうあうでやり過ごせる雰囲気でもない。先生の合格点に届く回答でないと、違う違う~と言いつつ猛烈に新たな回答を期待されている。
結局、元気に叫ぶしかない。
「もう一回!」
「ちょっと待って!」
「分かりません!」
そして、学習内容よりこの種の発言のほうが定着する。
日本語より先に出るようにもなる。
というか、日本語では久しく使ってないのだ。
使うことを忘れてしまったのかもしれない。

「待って待って、もう一回!」
と先生にいろいろと要求しながら対話で授業が進んでいく。
これが思いの外楽しい。
でも実はそれより「分かりません!」と叫ぶほうがもっと楽しい。
(ちなみにロシア語の「分かりません」は”理解する”の過去形で、理解しようと頑張ったんだけどな、みたいなニュアンスが出るらしい。多用してやろう…)

「分かんない」が無意識を泳いでいる帰り道。
日本語を思い出すまでのわずかな間に、
ふと、言葉に執着する前の、こましゃくれて話すようになる前の、あの訳の分からないものと訳も分からないままに向き合って、首をかしげながらも茂みに突っ込んでトトロと遊んでいた頃の感覚を思い出した。

この瞬間のために、私は多言語を学ぶのかもしれない。

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追伸:
もうどうしていいか分かんないよ😖と叫びたくても叫べないあなた、
他言語で叫んでみるのはいかがでしょうか?
2020.6.27  ほかる

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