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ルッキズムとエイジズム

えらいタイトルだな。

息子は当たり前だけど母であるわたしのことが大好きで、日々まっすぐの愛の言葉をぶつけてくる。嬉しいことだけど、少し気になることがある。

おかあさん、ずっとおかあさんでいてね、ぼくが大人になってもだよ、と言う。おかあさんはずっとおかあさんですよ、と言うものの、そう言うことではなくて、おばあさんにならないで欲しいと言うことらしい。

それは無理よ、と言うと、だめ!可愛くなくなっちゃう!と狼狽する。今のままのおかあさんがいい、きれいだから、しぼしぼ(皺々のことらしい)にならないで、と言う。おかあさんはおばさんじゃないね、と言う。

ルッキズムとエイジズムそのものじゃないか。

うちのお母さんは若くて可愛いから良い、となるのは、子としての欲目であり願望でもあるのだろう。きれいでおばあさんじゃない人が良い、と言う感覚はいついかにしてインストールされたのか。

誰それは美しくないとか、歳をとっているとか、誓って息子に話したことはないし、そもそも息子がいてもいなくても、わたしたち夫婦はそういった形で人様を評さない。作り手のルッキズムやエイジズムが無意識的に根を張っているテレビ番組の類も意識的に見せずに育てた。だから家庭由来ではないと思いたい。

ならばどこで、と思う。息子の属する小さな社会に、既にそういった価値観があるんだろうか。どこでインストールされたものであるにせよ、まだまだあやふやで幼い感覚であろうことは重々承知ながら、要注意だなあと思う。

若くなければ、基準を満たす美を持たなければ、という価値観は誰のためにもならない。人を傷つけ、我が身も同じく苦しめるだけだから、息子にはそういった感覚はなるべく持たずに風通し良く生きてほしい。

可愛くなりたい歳をとりたくない、と必死に必死に必死になっていたかつての自分と、今のわたしとの距離感を思うと笑ってしまうけど、これも歳をとったおかげなのだ。

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