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入学当時は、冨田先生、五島先生、八尾先生、片山先生、ロイ先生、ロアン先生、ハー先生と、錚々たる教授陣にご指導を頂きました。
初めての授業で、一切ベトナム語が分からない状態の我々と一切日本語も英語も話されないハー先生との間で授業が成立したのは、今から思えば奇跡的だったと言えるでしょう(笑)。次第に我々がベトナム語を覚えていったものの、当初はどうやってお互いコミュニケーションをとっていたのか今だに謎...。
卒業論文はベトナム軍部を扱ったため、五島先生に大変愛情をもって?厳しくご指導いただきました。「膨大な量のベトナム語資料の読込み」と「論拠を提示しない論文は許すまじという一貫した姿勢」は、社会人になってから仕事をする上で非常に大きな武器となりました。
ひょんなことから昨年8月からベトナムで仕事をしておりますが、自分で言うのも何ですが、五島先生の悪魔のように?過酷なスパルタ授業のおかげでベトナム語の読解力だけはいまだにそこそこのレベルを維持できていると思います。(会話はもともとの蓄積自体がないので日々額に冷や汗してますが...。)
卒業の年の年の瀬になっても、五島先生の「論文はまだ書かないでくれる。書いても無駄になるから。」との冷酷な?言いつけのもと、論文のタイトル「ベトナム軍部の対ラオス認識」を決めるだけで半年くらいああでもないこうでもないと、ゼミ授業がある日はエンドレスの延長戦で171号線のフォルクス(まだあるのかな?)で毎週のように夜中まで五島先生と議論したのが懐かしい思い出です。
昨年、来越の前に、冨田先生と五島先生にご挨拶にうかがいましたが、お二方とも相変わらずお元気なご様子で、積もる話を肴にどんどん杯を重ねてしまいました。

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冨田先生、OGメンバーと。左手前が筆者

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五島先生、同期のメンバーとの会食にて。右手前が筆者


(後編へ続く)



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