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Vol.12 軽い気持ちで始めた保育の仕事が天職に? 子どもの世界を伝えていきたい

現在、愛知の保育園に勤務している西巻慧菜さん。パートタイマーで保育に従事する傍ら、外部の子育て支援の活動に携わったり、保育士であり母でもある立場から、Instagramやnoteなどで保育や子育てに関する発信をしたりしています。活躍の場を広げている西巻さんに、保育士になったきっかけや、今後目指していることについてお聞きしました。

中国で働きたい思いから保育士の道へ

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大学時代に中国語学科で語学を学んでいました。就職活動を考えた時、私の中で「中国」がキーとなっていて、普通に日本企業に就職をするイメージが湧かず、どうしようかと悩んでいました。

ちょうど当時(2010年)、上海万博が開催されるとあって、そこで「日本館のアテンダントをしよう!」と半年間携わることに。中国での滞在経験が忘れられず、日本に帰国した後も改めて中国で働きたいという思いが強くなりました。中国で働ける仕事では、キャビンアテンダントや貿易関係の事務職などもありましたが、自分には合わないなと……。そこで以前から興味のあった子どもに関わる専門職なら働けるのではと思い、国家試験で保育士資格を取得。再度中国に向かったのでした。

中国で保育の仕事を始めて大切なことに気づく

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中国では日系の保育園で働き始めたのですが、かなりチャレンジングな一年でした(笑)。
保育の知識を学んだとはいえ、通信教育で勉強したので真っ白な状態。現地ではお手本となる保育士に出会う機会がなく、仲間がおらず何もわからないのです。
目の前の子どもたちが大好きなのに、自分が未熟だから、うまく活動を進められない。「保育って、どうすれば上手にできるの?」そんな自問が続き、「日本で経験を積んでからでないと無理!」と、一年後に帰国することにしました。

そもそもの保育士になる目的が不純だったことを恥じると同時に、保育士の仕事の奥深さを実感。そして保育士への思いが強くなりました。


日本の保育園で感じた「ゆらぎ」と自分で得た保育の「軸」

帰国後は一般的な日本の保育園での保育士の仕事を学ぼうと、日本の保育園(株式会社経営)に就職。
日本の保育園である、ということだけでも絶大な安心感がありました(笑)。
ただ、園内での人間関係が私には合わず、また、「子どもにどう声かけしたらいいのか」など技量的なゆらぎがあっても相談相手ができず、葛藤していました。

そんな時、asobi基地に出会いました。「asobi基地」は、オトナもコドモもみんなが平等で、誰もが参加できる新しい育児支援の場所。
そこでのボランティア活動を通して、保育を語れる保育士仲間に出逢い、イベント企画をするなどしていきながら、徐々に自分の保育の軸が形成されていくのを感じました。
保育は、うまくやるとか、うまく回すとかではなく、子どもの世界を一緒に見ること。そこで生まれるものを、隣で見守ること。そんなことに気づいたのです。
子どもたちとの日常は、それだけでクリエイティブ。保育士だからと子どもに何かを教えようとするのではなく、人対人として関わろうという意識を、強くした時期でもありました。

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子育てと保育を両立させながらわたしが出来ること

現在は夫の転勤で、東京から愛知に引っ越し、保育園でパートとして勤務しています。
本当は正社員として、担任を持つなどしてエネルギッシュに働きたいのですが......今は育児中のため、少しセーブして保育に携わっています。
ただ、仕事をセーブしたことで、元々好きだったイラストや音楽を園以外の場所で活かしたり、SNSやnoteなどで保育や育児に関する考えを発信したり、様々なアプローチを試みています。

小さい頃から表現活動が身近な場所にあるわたしにとって、ささいなきっかけで始めた保育の仕事は、子どもたちの大胆かつ繊細な心理が毎日少しずつ変わっていく生々しさや、彼らの表現から見える子どもたち独特の美しいセンスを受け取れる、まさにクリエイティブな世界でした。

そんな子どもたちの世界や、彼らの世界をのぞくわたしたち大人のことを、子育て中の保育士として、社会にどう伝えていくかが、これからの自身の課題だと考えています。

Instagram

https://www.instagram.com/satonaporitan/

note
https://note.com/satona/

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