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映画日記その307 「波紋」

須藤依子(筒井真理子)は、緑命会という水を信仰する新興宗教にのめりこみ、祈りをささげては勉強会にいそしんでいた。庭につくった枯山水の庭の手入れとして、1ミリも違わず砂に波紋を描くことが彼女の毎朝の習慣となっており、それを終えては静かでおだやかな日々の尊さをかみしめる。しかし長いこと失踪したままだった夫の修(光石研)が突然帰ってきたことを機に、彼女を取りまく環境に変化がおとずれる。

シネマトゥデイ

妻と結婚して20年。本作の予告編をみてちょっと気になって鑑賞した。いやはや、シュールだ。シュールすぎる。これは男として、どうレビューすればいいのか、本当に頭を悩ませる。本作は女性からしたら日常のホームドラマ、しかし男からしたらある意味サスペンスホラーなのかもしれない。

夫婦、宗教、介護、差別、貧困などなど、本作には多くの社会問題が盛りこまれている。その中でもやはり夫婦問題がズシリと心に突き刺さってくる。依子(筒井真理子)はパートで働きながら家事や介護をになう。更年期障害も重なりストレスをかかえる依子にとっての唯一の救いが宗教だ。その引き金になったのが、なんと夫である修(光石研)の失踪だ。

夫が失踪となれば安否を心配したり悲しんだりしそうなものだが、現実はそんなことはない。むしろいら立ちや憎しみが増すのだ。子どもや介護をすべて自分に押しつけて逃げた夫。それはこれまでの長い夫婦生活のなかで積もり積もったストレスも重なり、もはや夫などとうてい受け入れられないほどの大きな憎しみとなるのだった。そんな憎しみや将来の不安をかかえる依子にとっての、心のよりどころが宗教なのだ。

いっぽうで、福島原発事故による放射能の報道をみて、家族をおいて失踪する修。本作では報道だけが理由で、唐突に失踪したようにみえるが、こちらも長い夫婦生活のなかで積もり積もったストレス、また仕事のストレスも重なって家を飛びだしたようにボクは思う。いやここだけの話、ボクもすべてを投げ出して自由になりたいッて、これまで何度か思ったことがある。口にはしないけど。

そんな修がガンを理由に家に帰ってくるのだ。微妙ではあるが、これもなんだかわかる気がする。男というのは忘れる生き物なのだ。夫婦間でなにかあっても時間がたつと忘れて(いや薄れてと言ったほうがいいかもしれない)、なにもなかったかのように振るまうことができてしまうのだ。

ところが女性はちがう。女性は忘れないのだ。とりわけ自分にとってイヤだったできごとは一生忘れない。そして人を嫌いになるとずっと嫌う。ましてや毎日顔をあわせる夫を嫌うようになると、その夫を生理的に受けつけなくなるのだ。世のそんな女性が本作をみると、共感するところばかりで笑いがとまらないだろう。そんなシーンが劇中のあちこちにあるからだ。

そしてラストの、依子が雨に濡れながら喪服姿でフラメンコを踊るシーン。どうやらレビューをみると賛否両論あるようだ。たしかに最初はボクも唐突で驚いた。しかも雨なのに青空なのだ。しかし、しばらく見入っていると依子のしっかりとした顔つきで踊る姿が、どこか吹っきれた清々しさと強い決意を感じて、とてもいいシーンに思えた。

あの雨は過去の自分を洗い流す雨、枯山水を壊しながら踊るのは過去との決別、真紅の傘は強い決意、そしてあの澄んだ青空は依子の心を表してるのでは。そしてあのようにフラメンコを踊れるということは、以前の依子はきっとカッコよくて素敵な女性だったにちがいない。

最後にキャストの皆さん、いい感じにくたびれたおっちゃんおばちゃん感が出ていて、うんッ、とても良かったッ!ボクもずいぶんとくたびれたおっちゃんなのだが、本作をみて肝に銘じるのだった。

座右の銘その13
「人生は家族で始まり家族で終わる」

座右の銘その15
「世界平和とは家族を愛することだ」



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