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考えごと日記その7 「サピエンス全史からアヘン戦争を考える」

いま読み中の「サピエンス全史 下」に、1840〜42年におきたアヘン戦争が軽く触れられている。本書にはアヘン戦争を、資本の名のもとに「政府が大資本の言いなりになった悪名高い例」としてのべられている。つまりイギリス東インド会社と、イギリスの実業家が、戦争を利用してアヘン(麻薬)を中国に輸出し、大儲けしたというはなしだ。

1800年代にはいると、イギリスは中国に大量のアヘンを輸出するようになった。それによって中国国内には大量のアヘンが出まわり、多くの中国人がアヘン中毒になったのだ。そして中国は経済的にも社会的にも衰弱していった。

1830年代後半になって中国政府はアヘンの取りひきを禁止した。ところがイギリスはこれを無視し、中国へどんどんアヘンを密輸するのだ。中国政府はたまらず、イギリス船に積まれたアヘンを没収し、処分しはじめる。

そこで1840年、イギリスは「自由貿易」という大義名分(?)のもとで、中国に戦争をしかけるのだ。産業革命をへて経済的にうるおうイギリスにたいして中国はなすすべもなく、戦争はかんたんに決着。イギリスのいっぽう的な勝利で、もはやそれは戦争とはいえないものだったという。

和平交渉の結果、1842年に英中で南京条約がていけつ。それは中国にとってひじょうに不利な不平等条約であった。そしてイギリスは香港を領土とし、中国を半植民地化したのだった。その後もイギリスは中国にアヘンを輸出し、1800年代後半には中国総人口の1割にあたる約4,000万人がアヘン中毒になったとされる。

これを読んだとき、ふと毛沢東を思いうかべた。アヘン戦争から約100年後の1958年からはじまった毛沢東による大躍進政策。この中国の社会主義化は、毛沢東の異常なまでの「執着心」によってすすめられたのだ。ソ連の社会主義化が、スターリンの異常なまでの「執着心」によってすすめられたように。このスターリンの「執着心」は、ロシアが西側諸国に虐げられてきた歴史による遺恨と敵対心が原動力となっていたのだ。

いっぽう毛沢東の原動力には、ともするとこのアヘン戦争の敗北がひとつにあったのかもしれない。中国にとっては、イギリスにいいように虐げられた苦々しい歴史だからだ。100年たっても遺恨と敵対心がのこっていて不思議ではない。中国とロシアはおなじ境遇の歴史をもつ国どうしとして接近し、西側諸国の資本主義に対抗し、社会主義国家を建国したのではなかろうか。

そんな遺恨と敵対心が、国家のイデオロギーとして現在まで脈々と受け継がれてきている。現在進行形のウクライナ戦争も根底にあるのは、このような長い長い歴史のなかで積みかさなった国家のイデオロギーと、そしてアヘン戦争のような資本家のお金儲けなのだろうか。


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