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#古津八幡山遺跡弥生の丘展示館
わし流 にいがたブラタモリの旅 その12 「古津八幡山遺跡④ 〜生活・ものづくり編〜」
弥生時代後期に起きた争乱(倭国乱)が収まったことによって、人びとは丘陵の上から低地へと集落を移した。その低地にあるのが舟戸遺跡である。
そして空いた丘陵の上につくったのが古津八幡山古墳である。時代は古墳時代へと移ってゆくのだ。
その古墳時代中期、舟戸遺跡の竪穴住居にはカマドがあった可能性が高いという。そうであればここは新潟県内でいち早くカマドを取り入れた集落といえるらしい。
また古墳時代の木
わし流 にいがたブラタモリの旅 その11 「古津八幡山遺跡 ③ 〜古墳編〜」
古津八幡山集落をかこむ環濠の外側から、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)という墓が3基見つかったという。
有力者の墓と考えられてるようだが、その中の一つからは棺も見つかったんだな。そして中からは短剣と矢じりが見つかっている。どうやらムラの長にそえられた品と考えられているらしい。
標高がもっとも高いところに1基だけ、墓道が発達した四角い墓が見つかったそうだ。これは前方後方形への進化の過程での中間
わし流 にいがたブラタモリの旅 その10 「古津八幡山遺跡② 〜弥生時代編〜」
ここに弥生時代の定義が書かれている。それを読むと、ま、簡単に言っちゃえば、人工の田んぼをつくって稲作を始めたころから古墳が出現するまでの期間が弥生時代なんだな。
そしてどうやら稲作は西から始まって東へ伝わっていったようだ。とするとだよ、ここにも書いてあるけど、西と東とでは弥生時代の始まりにズレがあるってことじゃないか。
通常、弥生時代は紀元前9世紀ころからとなってるようだが、新潟の弥生時代の始
わし流にいがたブラタモリの旅 その9 「古津八幡山遺跡 ① 〜環壕集落編〜」
先日、たまたま車で秋葉区を通ったので、ついでに以前から行きたかった「古津八幡山古墳」に寄ってきた。
この周辺なんて何度も通っているし、何度も看板見てるのに、興味がないとまったく目に留まらない。ところが遺跡に興味が出てくると一転、めっちゃ気になり出すのだ。こんな近くに古墳があったのだからね。
古代の日本では弥生時代になって稲作が始まると、土地や米や水をめぐってムラどうしで争いがはじまったのだそう