歌舞伎観てきました11 『婦系図』
2024年10月歌舞伎座にて観劇。
仁左衛門さんと玉三郎さんが初共演すると話題の新派演劇。新派演劇は歌舞伎(旧派)に抗して新派といい、泉鏡花作の『婦系図』は明治41年に初上演され、歌舞伎座では43年ぶりというお話です。
元柳町芸者のお蔦(玉三郎)と若き学者・早瀬(仁左衛門)は人目をしのんで同棲していますが、早瀬の師でドイツ語学者の酒井(彌十郎)はそれを聞いて激高。早瀬に問答無用で「お蔦と別れろ」と言います。早瀬にとって酒井はスリの少年だった自分を家に入れて育ててくれた恩師。別れを決心しますが、一途なお蔦を前になかなか別れをきり出せません。
…というあらすじから想像されるように、板挟みの仁左衛門さんは美しい顔を歪めて、終始苦悶しています。そうとは知らない玉三郎さんのお蔦が、はじめて二人で出歩けるのを無邪気に喜んでいるのが「湯島境内」の場です。
「にざたまラブラブ全開!」とはいかないところが歯がゆいですね~。
かつて芸者だった気配を残しつつ、かわいらしさ満々の玉三郎さん。この無邪気な喜びが輝かしければ輝かしいほど、別れを告げられた悲嘆は際立ってきます。お蔦の台詞のひとつひとつが、恋をする女性のいじらしさに溢れて、粒だっているものだから、「芸者は正妻にはなれない日陰者である」、「結婚には身元調査が必要」などという当時の風潮がみごとに薄汚れてみえます。
芸者(玄人)と一般女性(素人)という区別が厳格にあった時代。自分の不遇をそれほど不遇とも思わずに生きていた女性がたくさんいたことを、今のわたしたちは、思い出せないぐらい遠い未来を生きています。
仁左衛門さんはインタビューで「今とは全然違う、当時の別れの切なさが皆様に伝われば」とおっしゃいました。そうあの時代でなければ、存在しない恋の高揚感と痛みを、あの当時の枠組みを使って演じているのですね。
ここで「切れる別れるは、芸者の時にいう言葉。いっそ 今の私には、死ねとおっしゃって下さい」という有名な台詞が出てきます。舞台だけでなくTVドラマや映画にもなって流行っていたんですね。昭和の子どものわたしもこの台詞に聞き覚えがあります。どんな話の誰の台詞かも知らず、口ずさんでいました。さすがリズムが良くて覚えやすい!
この『婦系図』は、泉鏡花の半自叙伝的な話だそうです。鏡花の師・尾崎紅葉が、鏡花と芸者・桃太郎が同棲しているのに激高して別れろと言い、実際、鏡花は桃太郎と別れたそうです。その直後、尾崎紅葉が亡くなったので、二人はまた元のさやに収まり、やがて結婚したそうなので、実際はめでたしめでたしです!
恩師・酒井が尾崎紅葉で早瀬が泉鏡花本人だと考えると、尾崎にあこがれて上京し、書生として住み込み、世に出してくれた尾崎に逆らえなかった鏡花自身の境遇とも重なって説得力がありますし、この舞台が、鏡花から伴侶となった愛しい人への公開ラブレターに思えてきますね。
お蔦の朋輩役・小芳を演じた萬壽(5代目時蔵)さんの、大げさでなく情感を伝えるお芝居、良かったです。