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[場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)・緘動(かんどう)・発達障害・不安障害・不登校などの生きづらさ]への理解 第11話 「会えない、行けない、できないは、嫌悪感でなく不安感」


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長女は4歳の時、幼稚園入園をきっかけに場面緘黙症・緘動(※1)を発症しました。
二女は8歳の時分離不安障害(※2)と診断されました。
※1:家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。
※2:分離不安障害とは愛着のある人物や場所から離れることに対し、過剰な不安と苦痛を感じる精神医学的障害のひとつ。

症状のでかたや困難さはそれぞれかと思いますが、娘の場合を伝えていきます。

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*会えない、行けない、できないは、嫌悪感でなく不安感*

8歳の時、分離不安障害と診断された二女。
緊張や不安、心配事、また季節の変わり目による感覚的なアンバランスによって身体に症状が出ます。
そういうときには、心とからだのバランスを保つことを極力優先し、不安や心配事をなるべく遠ざけて過ごします。

安心地帯の家の中では、長女や三女と元気に過ごせる時間が多いですが、吐き気などの身体症状がある時期は外出はおろか、家の中の移動にも洗面器を持ち歩く娘。

昨年のお正月のことです。
やはり年末に向かい、体調を崩していた娘。

すぐ近くに住むおばあちゃんの家までのご挨拶や食事会に行くのか行かないのか、娘は葛藤しました。
その葛藤の中にはきっといろんな思いがあったはず。

年に一度の挨拶には行くべきだろう。
でも行けば帰りたいとはきっと言えない。
一人では留守番できないから一緒に待つ誰かも行けない。
行かなかったらおばあちゃんは悲しいかな。
行ってみたら楽しかったと思えるかも。

そして考えれば考えるほど追い詰められていく娘。

そんな妹に、こういった経験は大変豊富な長女は、巧みな技をあれこれ使って妹の気持ちをほぐし、妹にとって安心材料になる提案をたくさんしてくれました。

そこで、私は例えました。

お姉ちゃんの提案は馬にぶら下がるニンジンかもしれないけど、そもそも馬は本当にそのニンジンを食べたいか?

食べたいならそのニンジンのために走るけど、嫌だなと思ったら顔を背けてますます追い詰められる。

"それが知りたい。"

「行きたいという気持ちはある? 」

そう問いかけると、

「行きたいなという気持ちはある……」

小さく二女はそう答えました。

そうなんです。

体や心に症状が出てしまう人にとり、「無理」と感じることは必ずしも嫌悪感からではないのです。

そうしたいという気持ちがあっても、迫ってくる不安感から、出来ないと感じるのです。

そして結果、できないことは大いにあります。

でもそれは責めてはいけない。
もっと強く背中を押すべきだったのではと、サポートする人を責めてもいけません。

思いはあったのに、できなかったという経験なんです。

思いはあったのにできなかったことに向き合って、次の自分に繋げていくのがきっと成長なんです。

思いはあったのに、心とからだの調子を感じとり、今回はやめておくと決められたことはきっと、勇気なんです。


その年、二女は行けました。

お姉ちゃんが考えてくれたアイデアを全部使って、行くことができました。
そのアイデアを丸ごと受け入れてくれた環境にも感謝です。

しかし、次回も同じようにすれば、またうまくいくわけではありません。
あの時、できなかったことが今の二女にはできるようになったり、思えるようになったことがあります。
まだ満たされていないエネルギーは、どこかに使えば、前にはできたことには足りずそちらは出来なくなるということもあります。

ですから、あの時出来ていたことが今、出来なくなっていても落胆しないでください。
そのがっかりした感じは本人にとってもきっと辛いことだと思うからです。


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